奥羽山脈の北側の山林の中に静かにたたずむ小さな沼がある。
その沼は四季折々に沼の色が変わる。
地元の人は5色沼(五季沼)と呼んでいる。
春先から春の終わりまでは、奥羽山脈の雪解け水が流れ込み
湖面一面真っ青になる。
5月から7月までは、プランクトンの繁殖が増えて緑色になる。
8月から9月までは、深緑になる。
10月から11月は紅葉と落ち葉の影響で、真っ赤になる。
12月から2月までは、雪が降り凍りつき真っ白になる。
観光名所としても山形ではかなり有名なところです。
ちょうど30年前のことです。
私と二人の友達がキャンプをしにこの五色沼のほとりに来ました。
当時は、観光客がそんなになく来る人もまばらでした。
そんな中、沼のほとりにテントを張り食事の仕度をしたり
ふざけあったりして、時間を過ごしました。
そしてキャンプファイヤーを楽しみ、ビールやら酒を楽しんでる時でした。
テントの後ろの方から声がしました。
「ちょっと火に当たらせてくれないか?」
みんなは驚きこの時間に人が尋ねてくることが不思議で、いっせいに
その人を眺めました。
ハンチング帽をかぶり登山服を着て、見た限りは有名な登山家のようです。
私たちはいっせいに頭を下げました。
その人は火に近づくと、「こんなところでキャンプをしてるのを見たのは
初めてだ。この沼がよっぽど好きなんだなー」と言うと火の前に座りました。
私たちは一瞬ちゅうちょしましたが、顔が優しそうな顔で火に映る顔を見ると、
ほっとした。おじさんにビールを勧めるとおいしそうに飲み干して
しゃべりだした。
「ここには伊達政宗を暗殺しようとした武者が8人、米沢を追われ、
奥州街道をさかのぼり出羽の国に逃げ延びたが、追っては後を立たず、
この沼のほとりに追い詰められ自決した。
その呪いがこの沼にはある。」
「その時期が10月の半場。自決した日が近づくとこのぬまが
血のように赤く染まる。調度その時期がもうじき来る。」そう言うと
酒を一気に飲み干して、「ごちそう様」と言って
元来た道を引き返して、闇の中に消えていった。
私たちは、酒の酔いもあり背筋が寒くなってきた。
そしてテントの中に入ると、身を寄せ合うように寝た。
朝何時ころだろうか、テントの裏を歩く足音に目が覚めた。
外に出てみるとヘルメット姿の男が二人、テントの前に立っていた。
男たちは私たち3人がテントから出ると、にらみ付けた
「お前たちこの場所でキャンプをしてはいけない事を知ってるか?」
「キャンプ場は、ここから先1kmのところにある。」
「ここは県の天然記念物に指定されている場所だ。早く立ち退きなさい」
と言うと周りを見渡し、「ゴミや酒のびん、缶は捨てないで持ち帰れ」
というと、テントの近くの燃えカスを見渡していた。
「こんな綺麗な沼のほとりにごみがあったらいけないだろ」と言うと
もう一人の職員はゴミを拾い始めた。
私たちはテントをたたみ、一人が昨日あのおじさんから聞いた話を
職員に本当かと聴き始めた。
営林署の職員は二人顔を見合わせて笑っていた。
「この五色沼は昭和時代に発見された。それも奥羽山脈道の建設で、
この道を初め、山林の伐採用に作られた道が一杯ある。その中のひとつが
この道でこの道を作る前は周りは全て、雑木林で覆い尽くされていて、
この沼の存在すら知らて居なかった。」
「偶然この道を作ったらこの沼の存在がわかった。」そう言うと笑っていた。
「その作り話は誰から聞いた」と逆に聞かれました。
私は昨日のおじさんの事を話しました。
二人の職員は、食い入るように私に聴いてきました。
私は昨日の風体を話すと、一人が「それは幽霊だよ」と言い出した。
「一昨年その爺さんは、この沼がよっぽど好きなのか、2週間に一回来て
夕方の日が暮れるまでスケッチをして帰宅していた。」
「しかしある寒い日、沼のほとりで動かなくなっているおじいさんを
私たちが見つけた。もう手遅ですでに息を引き取っていた。」
そして、「その日夜に営林署まで運び次の日の朝、救急車を呼び引き取ってもらった。
しかし身よりもなく、孤独なおじさんだったようで
近くのお寺に引き取ってもらった。」
「それから時々、この沼のほとりに出てきては人と話しをしたり
作り話を聞かせる。」
「その爺さんが死んだ場所はお前らがキャンプをしているところの
丁度そのあたりだ。」
そう言うと二人は引き上げてゆきました。
取り残された、私たちは呆然としてました。
作者退会会員
昔書いた、作品です。
あまり怖くないですが、読んでください。
明日は正月ですが、タイは34度の猛暑です。?「普通かな?」