5才から9才まで祖母の家で暮らしていた。
婆ちゃん、母ちゃん、俺にゲン(柴犬)、パピコ(パピヨン)にオカメ(オカメインコ)の仲良し家族だ。
婆ちゃんの家は広かった。
都会か田舎かと聞かれれば間違いなくド田舎だ。
兄弟もいなければ友達も少なかった俺はいつもゲンと遊んでいた。
数少ない友達は家が遠いため、学校以外で会うのは難しかった。
自転車に乗れなかったから尚更。
家から30分くらいの所にバカでかい桃の木があった。
その木の周りには背の高い雑草やデカい岩などは一切無く、俺には広場のように見えた。
何が気に入ったのかわからない。
それから毎日のようにゲンとそこへ行って遊んでいた。
学校の友達には勿体なくて教えなかった。
婆ちゃんや母ちゃんにも秘密だ。
家からの距離を考えれば婆ちゃんや母ちゃんはこの木の事なんて知ってただろうけど。
春も夏も秋も冬も、一年中飽きることなく通っていたが
ある日ゲンが体調を崩し『散歩禁止令』が出された。母ちゃんに。
パピヨンのパピコと行こうと思ったが
こいつは俺に全く懐いてない上にやたらと吠えてうるさいのでその日は一人で行った。
雪がうっすらと残っていたので雪だるまを作っていた。
雪が少ないのが原因か技術面に問題があるのかわからないが立派な泥だるまが出来た。
そんな汚い泥だるまを夢中で作っていた。
「今日は一人なの?」
後ろから声がした。
びっくりしてすぐに振り返った。女の子だ。
今日はって事はいつも来ている事を知っているんだろうか。
なんて答えればいいか分からず黙っていると
「あの子は来ないの?」と、追加質問された。
多分、ゲンの事だ。
「具合、悪いって…」としどろもどろに答えた。精一杯だった。
「そうなんだ…じゃあ、これあげるね」
その子は菱形の木の板をくれた。
「私ね、あの子とあなたがここに来るのが楽しみなの。早く元気になってまた一緒にここに来てね。」
ニコっと笑って山の方へ走っていってしまった。
イマイチ理解出来ない俺は、貰った木の板をポケットに入れて再び泥だるま作りに専念した。
夕方 家に帰り、ご飯を食べながら昼間の事を思い出していた。
皆には秘密だから相談なんて出来ない。
結局考えても分からなかったのでそのまま寝た。
次の日もゲンは相変わらず元気が無かった。
名前の由来は『元気のゲン』なのになんて事だ。
横になっているゲンの腹に昨日貰った菱形の板でつついていた。
パピコに吠えられ、母ちゃんに怒られた。
正直、ゲンがいないなら外に行ってもあまり楽しくない。
昨日のあの子の事が気になったが、今まで見てたくせに一度も一緒に遊んでないんだから遊び相手にはなってくれないだろう。
この木の板もなんだかよくわからない。
この日はずっとゲンと一緒にゴロゴロしていた。
1週間程でゲンの体調は良くなった。
木の板のおかげではなく病院の薬のおかげだ。
俺は病み上がりのゲンを連れてあの木の所へ行った。
俺も1週間ぶりだったのでかなりテンションが上がっていた。
そこへ行くとあの女の子はいなかった。
というか、いつもいなかった。
特に気にもせずにゲンに雪玉を投げたり走りまわったりして遊んだ。
やっぱりゲンがいると楽しい。
また毎日のようにゲンとここへ来るようになった。
自転車に乗れるようになり、家が遠くて遊べなかった友達と遊ぶようになってから
そこへ行く回数は徐々に減り、最終的には全く行かなくなった。
ゲンと散歩はしたが片道30分もかけてそこへは行かなかった。
家の前で十分だった。
俺が9才になった年、婆ちゃんが死んだ。
来月からは違う所に住むらしい。
もっと雪で遊べる所だよ、と母ちゃんが教えてくれた。
婆ちゃんが大好きだった俺は雪なんかどうでもよくて、ただただ悲しかった。
学校に行くのも嫌で婆ちゃんが死んでからは一度も行かなかった。
婆ちゃんがいたこの家にいる時間の方が大事だと思った。
引っ越しの準備も終わり、明日の朝9時にはここを出る。
もう戻ってくる事は無いかもしれない。
布団の中でゴロゴロしていると急にあの木の板の事を思い出した。
なんだかよくわからないが一応大切にとっておいている。
貰ったものは大切にしろって婆ちゃんがいつも言ってたからだ。
そういえばお礼言ってなかったなと思い
夜の10時 子供にとっては未知の時間に、ゲンを連れてこっそり家を出た。
外は暗くて少し怖かったけど、ゲンがいれば怖いもんなんてない。
ゲンのキリッとした眉毛を見ると妙に安心する。
実際ゲンが強いかどうかはわからない。
走って行ったからか成長したからか、30分もしないで着いた。
大きな木が1本と、小さな雑草だけの場所。
誰もいなかった。
よく考えてみれば、こんな時間にこんな場所に女の子がいるわけがない。
ゲンがおすわりして俺を見つめている。
…ついてきてもらって悪いが、明日の朝出直そう。
いなかった時の為に一応手紙も書いて来ようと
ゲンに心の中で謝り、来た道を戻ろうと歩き出した。
「その子、なんていうの?」
後ろで声がした。
俺はかなりビビった。心臓が一回飛び出て戻ってきた。
素早く振り返るとあの子がいた。
始めて見た時から2年以上経っているが
あの時のまま、何も変わっていなかった。
急な出現にポカンとしている俺に
「その子、お名前は?」と聞いてくる。
人差し指の先にはお行儀よくおすわりしたゲン。
「あ…ゲンだけど…」そうとしか答えられない。
「そう。私ね、モモっていうの。こんばんは。」
ゲンに近づき、話かけている。
ゲンは黙ってその子…モモを見つめている。
(ゲンは元々滅多に吠えない)
モモはゲンと会話(?)した後、俺の方を見て
「あなたはなんていうの?」と聞いてきた。
「えっと、桃矢(トウヤ)。母ちゃんとかはモモって呼ぶけど…」
名前やあだ名が被った場合、後から名乗る方は正直パクったみたいで言いにくい。
余計な事を言わず「桃矢」で止めておけばよかった。
「オソロイだね」と笑った。
女の子みたいとバカにされたり
真似しないでよと言われなくて少しホッとした。
「こんな時間に来るなんて珍しいね」
また質問だ。だが、良い質問だ。
何故ここに来たのかすっかり忘れていた俺はその一言でここに来た理由を思い出した。
「これのお礼、言ってなかったから。明日引っ越しちゃうから言っておこうと思って。」
もう少し良い言い方もあっただろう。
しかもありがとうは結局言えていない。
そんな事に気付けない程俺はいっぱいいっぱいだった。
ゲンはモモを見たままだ。
こいつも何か喋ってくれたらいいのに。
「そっか。もう来れなくなっちゃうんだね。」
「うん」
「それ、大事にしてね。お守り。」
「うん」
「またね」
「うん」
うん以外言えないのか俺は。
モモはニコっと笑って走って行ってしまった。
『わんっ!!』
ゲンが吠えた。珍しい。
ゲンの声で気付いた。真っ暗だ。
よくこんな暗い中、モモやゲンをあんなにハッキリ認識出来たもんだ。
不思議に思ったがそんな事より母ちゃんだ。
どれくらい時間が経ったかわからないが、こんな時間に家から出た事がバレたら確実に怒られる。
俺はゲンに「走るぞ!!」と言って来る時よりも必死で走った。
家についてそうっと扉を開ける。
母ちゃんは寝ていた。セーフだ。
ゆっくり階段を上っているとパピコが吠えた。うるさい。
お前のせいで母ちゃん起きたらどうすんだ。
布団にもぐり、うとうとしていた。
あの子…モモも、そんなにいつも見てたなら話かけてくれれば良かったのにとか
この辺の子なら小学校一緒だったのかなとか
いろいろ考えながら寝た。
桃の木の上の方、葉っぱでよく見えない場所に誰かが座っている夢を見た。
何か言っていたけど、目が覚めた時には全く思い出せなかった。
そんな夢を見て俺は寝坊した。
母ちゃんに叩き起こされ、起床30分でこの家に別れを告げた。
あの木の所に行くの、今朝にしなくて良かったな。
学校の奴らにも挨拶くらいすれば良かったな。
車の中でゲンのキリッとした眉毛をいじりながら俺はこの土地から離れた。
作者退会会員
桃矢、幼少期のお話。