よく、子どもは純粋だからなんでも見えてしまうと言いますね。
純粋さを忘れた大人達は子どもの頃、見えてたものが見えなくなったり、あの頃の夢をどこかに置き忘れたり・・・・・・そんな冗談はさておき、我々大人の中にも見える人はいます。恐らく、思ってるより多くいるのではないかなと存じます。
殆どの大人はそれを口外する事はなく、私もその例外ではありません。友人連れでいる時に何かにお会いしても、それを友人に伝える事は全くといってないのです。
こういう体質は、もう偏頭痛のようなもので、一生付き合っていかなければならないので、あんまり人に話したくないというのもあります。
私がよくお会いするのは、土地柄なのか兵隊さんがおおいのですが、彼らが未だに任務を遂行しているのだなと思うと、なんとか成仏させてやる方法はないのかなと苦悩することも屡々あります。
私も見えるだけであって、何か特別な力を持っているわけではないですからね。
以前の話で書いた田原坂の兵士も、あのバイクの彼も、私が特に何かしたわけでもなく、彼ら自身で仏に成る事を得たのです。
私は、この体質は持って生まれた運命なので、もう仕方ない事だと思っていますが、もうちょっと何かできることはないかなと、今までお会いした御霊を見てきて、感じております。
まあ、怖い話は尽きませんので今後とも、読者の皆様を怖がらせるべく、精進して参ります。
作者ゆっぴー
地震後ずっと、今書いてるこのwinタブを開いてなくて、電池切れたまま放置して、久々に電源入れたて、そういや13日の夜中も怖い話書き溜めてたなあと思い出したので、再出発という意味でもさしよりこれを投稿しました。
なにしろ16日未明の本震以降、若干精神状態もおかしかったですからね。あんな夜中にあんな揺れが来て、大きい余震もバンバン来ててそのまま眠れる人がいたら、それこそおかしいでしょ・・・。
私のとこは震度6弱であんな恐怖を感じたんだから、震度7なんてもう・・・・・・恐ろしいですね。
姉夫婦と子ども達が住んでいた熊本市内のアパートは、4月いっぱいでの明け渡しが決まっていて、姉もこっちへ帰ってくる予定でしたが、本震によってアパートの中もぐちゃぐちゃで、しかも断水により、住める状況ではなくなって、義兄も一緒に、一足早く帰ってきました。アパートは昨日、明け渡しが済ました。
新しい建物で、耐震性が高く、その分揺れが大きくなり、姉はもう本震の時は、めまいのような状態だったといい記憶がないそうです。
子どものもとへ行こうとしても、激しい揺れで歩けず、死を覚悟したと言っていました。何より、無事でよかった、地震後、帰ってきた姉の顔を見た時は、一気にホッとしました。
というか何より、家の近所で新幹線がずっと停まってたのが何かタダ事じゃないのを痛感して怖かった・・・・・・。