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長編9
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五色の光

music:4

夕闇の迫る山の中で、私は一人途方に暮れていた。

気ままな一人旅の途中のちょっとしたトレッキングのつもりだったのだが、帰りに近道をしようと登山コースをそれたばかりに、山の中で迷ってしまったのだ。

進めば進むほど木々や草はうっそうとしてくるし、完全に遭難したと気づいたときには、もう戻る道も分からなくなってしまっていた。

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かすかな望みをもって携帯電話を出してみたものの、案の定圏外になっており、私の疲労と絶望を増やすだけの結果になった。

こんなところで夜を明かす訳にはいかない。初秋とはいえ夜は冷え込むだろうし、熊などに遭遇したら危険だ。

なにより、もっと恐ろしいものに出逢ってしまったとしたら・・・。

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私は首を振って気力を振り絞り、なんとか足を進めた。

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しばらく進んだ頃、私は水の流れる音を聞いた。

その方角に進んでみると、そこは小さな沢であった。

『山で道に迷ったら、川沿いで進めば里に出られる』と、かつて聞いたことがある。

私は藁にもすがる気持ちで、その言葉に従った。

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既に道はなくなり、川に沿って歩いていくことは難しかったが、小一時間も歩くと少し平坦になっていった。

そして踏み固められた獣道らしきものを見つけ、もしやと思って進んでいくうちに、はっきりと道らしきものに辿り着いたのだった。

『ああやれやれ、これで人の居るところに出られる』と思うと気持ちも楽になり、

前に進んで行けるようになっていった。

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日はとっくに暮れ、山の中は闇と静寂に支配されていた。

私は心もとない小型ライトだけを頼りに、時には木にぶつかり、時にはつまづいて転びながら、ようやく山を抜けて平地に出た。

そこは人里にはほど遠い谷あいの平地で、月明りに照らされた草むらが水面のように揺れていた。

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道はしばらく草むらを縫って進んでいたが、やがて左に折れてゆるく下り始めた。そしてその下り坂の入口の右側に、古びた小さなお堂が建っていた。

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お堂は一見して雨風にさらされており、扉は一部穴が開いたり外れかけたりしていて、長期間手入れされていないことが分かる。

中は暗く、何を祀っているのかは分からない。

そしてお堂に申し訳程度についている縁側に視線を移したとき、私は一人の男が座っているのに気が付いた。

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music:2

それは、ぼろぼろの衣をまとった僧侶であった。

だが、その顔は伸び放題の髪と髭に覆われており、僧侶の衣をまとっていなければ僧侶とは思わなかっただろう。

その僧侶は微動だにせず、目の前に生えている松の木をじっと見つめていた。

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その異様な光景に、私は思わず立ちすくんでしまったが、少しして『これは人里の場所を訊ねる良い機会かもしれない』という気持ちから、僧侶に声をかけてみることにした。

だが、何度声をかけても、僧侶はこちらを見るどころか微動だにしない。

もしかしたら、何かの修行の最中なのだろうか、と思いながらも、早く人里に辿り着きたい一心から、しつこく声をかけてしまった。

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そのうちに、私の問いかけに根負けしたのだろうか、こちらを一瞥してあごを道の方向にしゃくると、また元の姿勢に戻って松の木を睨み始めた。

だが僧侶がこちらを見たその一瞬、私は得体の知れない恐怖を感じた。

その眼は氷のように冷たく、何か禍々しいものを感じたのであった。

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道を聞いた礼もそこそこに、私は坂道を小走りで歩き出した。

もたもたしていると後ろからあの禍々しい目がついてくるようで、後ろを振り返ることもできなかった。

そうして進むうちに、私は人里のような所に出た。

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music:4

しかしそこは、耕作されていない畑や放棄された家など、かつて人が住んでいた名残でしかなく、人の気配は皆無であった。

残念な気持ちから足取りは重くなってしまったが、ここで野宿というのも気が滅入る。

なんとか気力を振り絞って歩を進めると、集落跡を抜ける頃に小さな明かりが目に飛び込んできた。

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それは、その道をしばらく行ったところにある家の灯のようだった。

私は安堵から疲れが出てくるのを感じたが、ここが踏ん張りどころとばかりに足を進めた。

あのようなものに出逢うとは夢にも思わずに・・・。

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その灯に近づくにつれ、そこが大きな古民家であることが分かってきた。

かつての庄屋屋敷なのだろうか、ぐるりと塀で取り囲まれ、茅葺きの大きな屋根が見える。

その塀の長さから考えると、けっこうな広さの敷地だろう。

門まで辿り着いた私は、力を入れて門を叩き声をあげた。

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『道に迷ったものです。今夜一晩、泊めて頂けないでしょうか』。

初めは何の反応も見られなかったが、そのうちにゆっくりとした足音が聞こえ、門の内側から老人の声がした。

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『どなたかな』。

私は道に迷ったことを告げ、今夜一晩、どこでもよいので泊めてもらえないか、と頼んだ。

『うちには病人がおるのでな、人を泊めるわけにはいかんのじゃよ』と老人は私の頼みを断ってきたが、

私の方も『家の片隅でも土間でも構いませんので』と何度も頼み込んだ。

そのうちに老人は『いや、このような夜更けに山の中に放り出すのも忍びない。よいじゃろう』と言って、門を開けてくれた。

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門を抜けて玄関へ入る。

その家は、代々受け継がれている重厚な歴史を感じさせる建物であったが、あまり手入れはされているように見えなかった。

また、薄暗い雰囲気とひんやりとした空気が合わさり、何となしに陰気な感じがする家であった。

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老人は私を空いている和室に通し、押し入れに夜具があることを告げた。

そして自分は病人を看る必要があるため、別の部屋に寝ると言い、部屋を出ていこうとした。

私は、先ほどの打ち捨てられた集落を思い出し、なぜあなただけここに病人と一緒に暮らしているのですか、とつい聞いてしまった。

老人は歩を止め、しばらく逡巡した後、私の前に座って話し始めた。

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老人の話では、十年ほど前までは村には村人が暮らしていたが、このような山奥での生活が徐々に成り立たなくなり、

人々は亡くなったり移住したりして廃村になってしまった。

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自分も出ていきたかったが、原因不明な病気を患う娘をこの家から出そうとすると物凄く苦しむので、

娘を置いてはいけずにここで娘と暮らしている。そのような話だった。

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『医者に来てもらってもお祓いをしてもらっても、娘は一向に良くならず、日に日に弱っていく。

わしはここで、娘がただ死んでいくのを見守ることしかできんのだ・・・』。

そう自分に言い語りかけるように老人は呟き、立ち上がって部屋を出て行った。

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老人が出て行った後、私は立ち入ったことを聞いてしまったことを後悔し、夜具を敷いて眠りについた。

歩き続けたことによる疲労と、雨露をしのげる安堵から、眠りはすぐに訪れた。

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music:2

その夜半、私はうめき声を聞いて目を覚ました。

辺りはまだ暗く、障子をあけると月明りに照らされた荒れ庭が見える。

そしてその声は、他の部屋から聞こえてくるようだった。

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気のせいではない。高くなり低くなり、うめき声は聞こえてくる。

それは、女の声だった。

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そっと縁側に出てみると、二つ離れた部屋から聞こえてくる。

あれは、病人が苦しむ声なのだろうか。

そう思ってそちらの方角を見ていたとき、庭の中に何かを見た気がしてそちらに顔を向けた。

すると

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music:6

そこには、男が立っていた。

いや、正確に言えば、あの崩れかけのお堂で松の木を睨んでいた僧侶が、あの禍々しい目つきで病人のいる部屋を睨んでいるのだった。

そして病人のいる部屋からは、苦しみに満ちたうめき声が流れてくる。

不思議なことに、月明りだけしかない荒れ庭の中だというのに、その僧侶の姿は青白く光り、はっきりと見えていた。

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これは人ではないでは・・。

そう考えた瞬間、私の体はすくみ、足が震えてきた。

あの目つきから顔を背け、震える足をなんとか動かして部屋に戻った私は、布団を頭からかぶって小さくなっていることしかできなかった。

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やがて空が白むころ、娘のうめき声は小さくなって消え、庭の僧侶はいつのまにか消えていた。

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music:4

夜が明けると、低い雲が立ち込めた薄暗い朝が訪れた。

私が布団に入ったまま、昨夜のことが夢だったのか事実だったのかをぼんやり考えていた時、

部屋に老人が入って来て、私に良く休めたか訊ねてきた。

私は言おうかどうしようか迷ったあげく、昨晩の出来事を話した。

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老人は驚いた様子もなく、むしろ諦めたような顔をしてこう言った。

『お前さんもあれを見たのか・・。あれが現れると、決まって娘が苦しむのだ。あれが何なのか、わしには全く見当がつかんが、なぜこのようなことになってしまったのか・・・』。

老人は、もう生きる希望も何もかも失ったかのように、床を見つめたまま訥々と語った。

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その話を聞いて、私は自分でもなぜそのような行動に出たのか分からないが、私は老人に心当たりがあることを告げた。

そして老人から数珠を借り受けると、昨晩のお堂へ向かって駆け出していった。

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私がお堂に着いた時、その僧侶は縁側に座っていた。

昨日私がここを通って道を訊ねた時と寸分変わらぬ姿勢で、松の木をじっと睨みつけていたのだった。

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music:6

私は数珠をぎゅっと握りしめると、腹の底から声を上げて言った。

『おい、くそ坊主!お前は人を導く仏弟子か、それとも人を苦しめる悪鬼なのか!

何の恨みか横恋慕か知らんが、お前がそのようにあの娘に執心していることで、あの娘は今朝、息を引き取ってしまったんだぞ!』

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僧侶はそのままの姿勢で聞いていたが、息を引き取った、という言葉にびくっと反応し、

目を大きく見開いてこちらを見た。

music:5

『な、亡くなってしまったのか・・・』。

そしてふらふらと立ち上がると縁側を降り、よろけながら松の木の根元まで歩いて、そこで崩れ落ちた。

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僧侶が崩れたところへ恐る恐る近づいてみると、そこには骨と皮になってしまった僧侶の骸が衣に包まれていた。

『この坊主は、あの娘に惚れていたのだろう。

そして骨と皮になり、とうに命は尽きていても、

その執着だけでこの世に留まっていたのだろうか・・・』。

そのようにやるせない気持ちになりながら亡骸を見つめていると、頬に冷たいものを感じた。

見上げると、朝から低く立ち込めていた雨雲から、ついに雨が降ってきたのだった。

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music:4

私は急いで縁側に上がり、雨が上がるまで雨宿りをすることとした。

その時の時刻は昼前であったが、朝から泣き出しそうな天気であったため、辺りは夕闇のように薄暗かった。

縁側に上がって空を見上げた瞬間、私は強烈な光を感じた。

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雷だろうか。

いや、雷の稲光は一瞬だ。だがその光は、弱まることなく背後から来ている。

意を決して振り返ると、その光はお堂の中から来ており、破れた壁や扉の隙間から強烈な光が漏れているのだった。

あまりに唐突な出来事に一瞬たじろいでしまったが、やがて扉を開け中を覗いたとき、私は自分の目を疑うこととなった。

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そこには、正面に粗末な祭壇に祀られた観音像があり、その観音像からまばゆいばかりの五色の光が射しているのだった。

そしてその光の海の中で見たものは、欄間に彫られた立派な桐と鳳凰の彫刻、そして一枚の屏風に描かれた満開の桜の絵であった。

古びたお堂とはいえ、このような立派なものが光を受けて輝いている様は神々しくもあった。

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しかしこれは一体・・・。私は目にした光景が理解できなかった。

無理もない。気味の悪い坊主が現れ娘を呪ったかと思うと、突然死骸になってしまった。

そして今は、観音像からの神々しい五光を受けた桜と鳳凰である。私の理解を超えたことが起こりすぎている。

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そのようにしばし呆然としていた私であったが、唐突にある事実に気が付き、それを確かめるべく後ろを振り返った。

そして私の目に飛び込んできたものは・・・『松』に『坊主』に『雨』。

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これだけ揃えば、五光も当然。

お後がよろしいようで。

(了)

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