押し入れの中からゴソゴソと物音がする。気遣いを込めて軽くノックをすると、返事は無かったがスンスンと鼻を啜る音がした。
「此処に居たのか。」
返事は無い。
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我等が母校の文化祭・・・通称七夕祭には、形だけではあるが、審査が有る。先ず最初に、書面でどんな催物をするか伝える第一審査。次に、文化祭二日前に行われる最終審査。この二つだ。本来なら、この二つの間に第二審査と第三審査が挟まれるそうなのだが、何か理由が有るのか今は行われていない。
審査の内容は演物の中身が公序良俗に反していないか、安全性は確かか、こっそり阿呆なことをやらかそうとしていないか等々。
まぁ、要はこの二つの審査をクリアさえすれば良いのだ。良いのだが・・・・・・。
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「ハイ、残念ですけどね、アウトです。」
「えっ。」
座布団の上で、狐目が数回瞬きをする。キョトンとして、まるで鳩が豆鉄砲を喰らった・・・いや、狐に摘ままれたというほうが近いか。そんな顔をしている。
「あの、アウトって・・・」
「うん、だからね、審査だよ審査。アウト。駄目。失格。」
審査当日。万全の体勢で臨んだリハーサル。
小宮寺、小笠原、田中、そして自分。順調に合格し、最後が狐目の話だった。幼少期の経験を元にした怪異譚で、実在の事件を背景としている。五人の中で最もクオリティが高い。それもそうだろう、一番練習を重ねていたのだから。
現にその日も、完璧な発表だった・・・筈だった。
審査担当の教師が、手に持ったボードをボールペンで叩きながら言った。ペシンペシンと、プラスチックのボードが間の抜けた音を出す。その響きも含めて彼の言葉は、狐目の今までの努力を全否定するには、剰りにも軽いように思えた。
狐目が尋ねる。
「何処が駄目だったんですか。」
あくまでも静かな口調だった。表情も、元に戻っているように見えた。
教師はフンフンと鼻を鳴らして頷く。まだ二十代の若い男性教師だ。言動が一々軽く見えるのも、年齢の所為かもしれない。
「幾ら解決済みとはいえ、実在の事件だからね。テーマがちょっとね。まあ、遺族の方が来る訳じゃないとは思うんだけどさぁ。不快感を持つ人も居るんじゃないかなーって。いやー面白かったんだけどねぇ。」
そうしてまたヘラリと笑ってみせる。
「しかし、その点に関しましては、暈せば大丈夫だと深山先生に・・・。」
「あーうん。でもね、駄目。やっぱり駄目ってことになったの。」
パン、パン、と教師が二回手を打ち合わせる。この話はこれでお仕舞い、と言いたいようだった。
「じゃあどうして伝えて・・・」
「あれ? 言ってなかったっけ? もしかして俺、伝え損ねてたかな・・・あ、別に嫌がらせとかじゃないよ。悪気は無かったんだって。ごめんねー。けど俺もさぁ、そろそろ他のクラス行かなきゃならないんだよね。」
狐目の言葉を遮った教師の声に、ありありと面倒臭そうな様子が浮かんでいる。
ガタンッとすぐ隣で音がした。田中だ。机の下で、今にも立ち上がろうとしている。
慌てて服の裾を掴む。
「なにすんだよ。」
低く小さな声。どうやら本気で怒っているらしい。無理もないことだ。俺だって腹が立つ。許されることなら生温く緩んだあの顔面をぶん殴ってやりたい。けれど。
「狐目が我慢してるんだから、お前も行っちゃ駄目だ。」
此処で面倒を起こせば、平静を装っているあいつの精一杯の矜持が崩れてしまう。
「耐えろ。少なくとも今は。」
軽く手を振りながら教室から出ていく教師を、全力で睨み付けた。
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教師が居なくなった教室は、先程までの静けさが嘘のように怒号が飛び交っていた。
三割が教師への悪態、もう三割が狐目への同情、更に三割が今後の不安。
そして、最後の一割。彼等は直接狐目の元に駆け寄り、前述の三つを一緒くたにぶつけていた。
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「あいつマジありえないふざけんな!!」
「風舞君大丈夫?」
「これからどうすんだよ!」
喧しくてしょうがない。クラスの端で傍観を決め込んでいる此方でさえ耳を塞ぎたくなるくらいだ。
しかし、中央の狐目は至って何でもなさそうな顔をしている。
「やり直せばいいじゃありませんか。」
平然と放たれた言葉に、皆が唖然とした。彼は続ける。
「明後日でしょう?明後日。まだ四十八時間も有るんです。出来ますよ。やってみせます。」
反論は起こらなかった。
彼ならばやってくれる、そう皆が思ったから・・・なのか、はたまた単に呆れていただけなのかは知らないけれど
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帰り道。田中が狐目の回りをウロチョロしている。
「すっげー木葉すっげー! 本当に三日でどうにかするのかよ!」
「ええ。というか、やらざるを得ないでしょう。」
「おお? マジかすっげー!!」
目を輝かせる田中に、狐目が軽く溜め息を吐く。何処と無くぼんやりしているようにも見えた。
紙パックの牛乳を啜っていた小宮寺が、大きな欠伸を一つする。此方もまた緊張感がない。呆れたように小笠原がぼやく。
「本当にマイペースだなお前等。というか風舞、どうにかするのはいいけどな、具体的にどうするかは決まってるのか?」
そう言われると狐目はその場に立ち止まり、黙って鞄を持ち直した。
「ん?」
自然と彼の方に皆の視線が集まる。
次の瞬間
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彼は物凄いスピードで走り出した。
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さて、狐目は足が速い。特に瞬発的なスピードは目を見張るものがある。走り始めてから加速しきるまでの時間が、極めて短いのだ。
しかも、異常に小回りが利く。普通スピードに乗りきってしまうと急な方向転換や停止が難しくなるものだが、それも難無くこなす。見ていると今にも足を捻りそうでハラハラするが、どうやら大丈夫らしい。
きっと、幼い頃から色々なものから逃げ回ってきた為なのだと思う。人間とか人間じゃない沢山のものから。
因みに、彼の能力は逃亡に特化しているので、喧嘩はからっきしである。というか根がビビりなので喧嘩自体出来ない。だが蹴りは痛い。かなり痛い。
・・・話がずれた。
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斯くして、狐目の姿は一瞬で消え失せたという訳てある。
此処が広く見通しの良い農道か何かだったら、また話は違ったのかも知れない。スタミナならば此方の方がある。しかし、生憎と俺達が通っていたのは曲がり角だらけの住宅街だった。なので、彼の姿は瞬時に視界から消え失せ、我々は追いかけることすら出来なかった。
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「逃げた。」
「逃げたな。凄い急加速だった。」
「具体的に・・・決まってなかったんだろうな。」
やっちまったなぁ、等と呟きながら、田中が腕組みをする。
「何処に逃げたんだろ。」
「にしても速かったな。」
「参ったな。どうしようか。」
「ああいうの韋駄天走りっていうんだろな。」
困っている旨とダッシュの感想とを交互に呟きながら、小笠原と田中が感心したような呆れたような声で話している。
因みに、その間小宮寺は何も発言をしていない。牛乳を飲み終え、今度は袋入りのメロンパンへと手を出し始めていたからだ。口がパンパンで喋れないのだ。パンだけに。
「お前ね・・・。流石にマイペースが過ぎやしないか?」
呆れながら頭を小突くと、不満げな顔をされた。
「そっちこそ、勿体ぶってないでさっさと問題を解決したらどうだ。」
「はい?」
聞き返すとまた、モサモサモサ、とパンを頬張る。また暫く何も喋れなくなりそうだ。
「お前、多分分かってるんだろ。」
喋った。
振り向くと、彼は口の左右にさながらハムスターのようにパンを詰め込んで話していた。
「木葉の居場所も、どうして逃げたのかも。分かってるんだろ。とっとと吐け。若しくはお前だけでどうにかしろ。」
「そんなことより行儀悪いぞ。口に物を入れたままお喋りしちゃいけません。」
「五月蠅い。ほっとけ。阿呆。猿。」
散々な言い様だ。しかし、指摘には一応従ってくれるらしい。一旦口を閉じ、首を横に振りながらゴクリと中のものを飲み下す。
そして、小宮寺は改めてグイと俺を睨み付けた。
「下手に反抗しても面倒事が増すだけだぞ。」
・・・どうやら、全部お見通しらしい。
確かに分かっていた。狐目の逃亡先とその理由、そしてどうすればいいのかも。けれど、ただ、何となく癪だったので黙っていたのだ。
「だって、まるで俺が子守りみたいじゃないか。」
小宮寺は肯定も否定もせず、またメロンパンを頬張った。
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そして話は冒頭に戻る。
押し入れの中からは、相変わらず身動ぎの音しか聞こえて来ない。
恐らく拗ねている訳ではない。単に出るタイミングが分からなくなっているのだ。昔からそうなのだ。
小宮寺達と別れた・・・というか、狐目の捜索に手出しをしたがるのを無理矢理帰らせた後、俺は真っ直ぐに彼の家へと向かった。
門が開けっ放しになっている。玄関も鍵が掛けられていない。革靴が脱ぎ捨てられ、三和土に転がっていた。確実に居ることは分かった。
けれど・・・・・・。
「何処に隠れたもんかね。」
居ることが分かったとして、どうやって探すかが問題である。何せ彼の家はべらぼうに広いのだ。
まあ、地道にやるか。彼が息を潜めてしまわぬよう、ゆっくりと長い廊下を進み始めた。
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結果として、彼は十分足らずで見付かった。布団部屋の一番奥の押し入れに隠れていたのだ。
「三馬鹿は先に帰しといた。爺様は仕事だ。出ても誰も茶化したりしないさ。」
コトン。中からノックらしき音が一つ聞こえた。返答と見てよいのだろうか。
「それでも出たくはないかい?」
コトン。
「話すのも無理なんだね?」
コトン。
どちらも肯定なような気がしたが、所詮言葉とは違う。正確な意図は分からない。
「なら、このまま話そうか。肯定なら一回、否定なら二回鳴らしてくれな。出来るだろう?」
出来るだけ優しく呼び掛けると、またコトンという音が聞こえた。肯定だ。
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「お前、具体的にどうすれば良いかなんて、考えてなかったね?」
コトン。
「意地と見栄を張って、あんなこと言っちまったんだろう。」
コトン。
「まぁ、クラスの奴等には、そっちのが却って良かったかも知れないね。『出来ますよ、やってみせます』だって? ふふふ、いや、中々の男振りだったよ。大した役者だ。」
ゴスッ。強くて重い音が聞こえた。これは襖を殴った音ではないだろう。ともすると壁か。
「ああ、砂壁をそんな勢いで殴り付けたら手を痛めるだろう。からかって悪かったよ。止しなさい。・・・馬鹿みたいだから。」
予想を遥かに越えた生優しい声が出たのが自分でも分かって、慌てて最後に罵倒を添えた。
コトン。
中から聞こえた音は、何を言いたがっているのだろう。肯定だとしても、やはり細かいニュアンスは分からない。
「早く出といで。言い切ったからにはやるんだろう? 折角大見得を切ったんだ。どうせなら最後までビシッと決めてみろ、大根役者。」
返事は無い。
壁時計の秒針が進む。一分、二分、三分。けれど、今の自分に出来ることは待つことだけだ。次第に瞼が重くなって来る。
「・・・なんか、昔にも、こんなことがあった気がするな・・・・・・。」
うとうとしながら呟いた言葉に対して
「そうですね。」
という返事が聞こえた気がしたが、何せ眠たかったので、定かではない。
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随分と昔の話だ。まだ狐目を木葉と呼んでいた頃、やはり布団部屋の押入れに、彼が押し入れに引き籠ったことがあった。
木葉が通っていた学校の連中に囃されて、幽霊の出るという噂の廃屋に一人で放り込まれそうになったのだ。
俺や俺の祖父、縁さんに助けを求めれば良かったのに、奴はやっぱり一人で抱えようとして抱えきれずに逃げた。その頃から全く進歩が無いというのはどういうことなのか。
「・・・る」
何処かで声が聞こえた気がした。
作者紺野-3
どうも。紺野です。
父方の祖母が亡くなりました。少し吐き出したいことがあるので、次の話は誠に勝手ながら一度シリーズを分断させて頂きます。