お初にお目に掛かります。
五番手を務めさせて頂く、風舞 木葉と申します。
形式に則り、ご挨拶を申し上げましたが、こういった形で話をするのは、恐らく今回ばかりになると思いますので、名前等はもう忘れてしまっても構いません。
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さて。
一つ前に話をしていた大馬鹿は、トリがどうやら等と抜かしていましたが、勘違いをなさってはいけません。私は只の五番手。順番が最後というだけ。技術が上な訳でもなければ、やってきた年数が長いという訳でも無いのです。
ややこしい言い方で皆様を困惑させてしまって、誠に申し訳御座いません。此処で、改めてお詫び申し上げます。
どうぞ、過度なご期待をなさらぬよう。所詮は、尻の青い餓鬼の戯れ言でしかありません。努々、それをお忘れにならないでください。
信じたり真に受けたりする等、それこそ愚の骨頂。
此れから話すことも、全て絵空事に御座います。
・・・・・・それでは、始めましょう。
五番手、風舞 木葉
《積みたる塔を》
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私が・・・そうですね、八つになるかならないかという時分の話です。
季節は夏で、盆の入りより、少しばかり前。夏休みでした。
とても暑い日で・・・とは言っても、今日のようなカーンと晴れて乾燥した暑さではなく、もっとじっとりと湿った、風が肌にへばり付くような曇りの日で。そうですね、丁度、生温い寒天の中に埋められているような心地がしました。
私は家で独り留守番をしていて、危ないから外に出てはいけないと、祖父にきつく言い付けられていました。午後の四時にはもう帰るから、と。
ですが、待てど暮らせど、祖父は帰って参りません。遂に時計は午後の五時を回りました。
日がだんだん落ちてきて、家具の影が移ろって行きます。そのくせ、日の光が妙に明るくて、外はまるで昼のようなのです。
お恥ずかしい話ですが、怖かった。家の中が何か歪みだしているような気がしました。呑み込まれて出られなくなるような。
だから、つい、表へと出てしまったんです。
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一旦外に出ると、家の中は愈々薄暗く、ぽっかりと口を開けているように見えました。
早く帰らなければならないとは知っていたのです。しかし、たった独りではどうにも戻り難く、私は、そのままフラフラと道を歩いて行きました。
祖父が帰り道に使うであろう道です。今日は歩いて帰って来る筈なので、途中で見付けて貰えるでしょう。そうしたら、一緒になって帰れば良いのです。
例え叱られたとしても、構わないと思いました。
門を出て東へ。それから道沿いに真っ直ぐ。暫く行くと、川へと行き当たります。右に曲がって、川沿いを数分も歩けば、古い墓地と地蔵の群れ。地蔵は、今にも崩れそうな御堂の中に納められています。
道を歩いているのは私一人だけです。何時もなら、下校中の高校生なんかが通っているのですが・・・・・・。
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おわぁ
くぐもった、何処か甘ったるい音が、直ぐ横の地蔵から聞こえました。赤ン坊の泣き声のように聞こえました。
前に、祖父が言っていたことを思い出します。
「この地蔵はな、子供を守る為に立ってる仏さんだ。けどな、それだけじゃない。」
死んだ子供の、供養の為に立ってんだよ。
おわぁ
苔むした石地蔵から、また声が聞こえました。
思わず、御堂から顔を背けると、今度は何か硬質な、カタン、という音が聞こえました。
おわぁ
三回目の泣き声。次いで、数回
おわぁ、うぁあ、なぁぁお、
と、声が続きます。流石の私も、赤ン坊にしては妙だと思いました。
恐る恐る、振り向いてみます。
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にゃぁう。
地蔵に供えられた水を舐めていたのは、一匹の猫でした。
拍子抜け、とは正にあんな感じのことを言うのでしょうね。本当にヘナヘナと力が抜けるんですよ。それで、次第に可笑しくて堪らなくなって、道端で一人、笑い転げました。驚いた猫が逃げ出す程だったのですから、その勢いは、大したものだったのでしょう。
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一頻り笑った後、私が切れてしまった息を整えていると、川の方から強い風が吹きました。悪くなった魚のような、生臭い臭いが鼻を突きます。
清流・・・とまでは言わずとも、そこそこの水質を保っている筈の川です。
こんな臭いがするということは、何か打ち上がって死んでいるのかも知れません。
なんとなく気になって川原に降りてみました。ですが、それらしき物は何も無く、大小様々な石ころが落ちているだけです。流れる水に削られたからなのでしょう、角の有る物は殆どなく、大きさは違えど、皆、楕円形の平たい石でした。
一つ手に取ってみると、思いの外軽く、ひんやりとしています。
「・・・・・・えいっ」
川面に向かって石を投げてみました。昔、何かのテレビで、投げた石が水面を跳ねながら進んで行く、という映像を見たことを思い出したのです。俗に言う、水切りですね。
見たことが有るだけでやり方は知らなかったので、当然、石は一度も跳ねることなく、水に沈んで行きました。
・・・あれはね、腰を落として、石と水面が平行になるように投げなければ、駄目なんです。適当に投げて成功する訳がないんですよ。
けれど、幼かった私は、それが理解出来ず、もう一度チャレンジしようと、また川原にしゃがみ込みました。
そう言えば、テレビでは、平たくて丸い石が良いと言っていた。さっきの石は、少し歪んでいたかも知れない。そうだ、きっとそうだった・・・
今、考えると、呆れた議論のすり替えなのですけれど。
平たくて丸い石、平たくて丸い石・・・・・・。
中々見付かりません。単に平たいだけや、丸いだけの石なら沢山落ちているのですが、どちらも兼ね備えたものとなると、何故か一つも見当たらないのです。
しゃがんだまま辺りを見回すと、視界の端に妙な物が目に入りました。
石で積まれた塔です。塔といっても、お寺なんかに有るような、立派なものではありません。単に、鏡餅のように石を重ねただけのものでした。
よく見ると、それが其処ら中に立っています。
どれも、上から見たら分からない程度の大きさで、平たい丸い石が使われていました。
成る程、この塔に使われていたから、良い石が一つもなかったのでしょう。
いっそ、崩してしまおうかとも思ったのですが、単に水に投げ込むだけの為に、態々崩すのはなんだか心苦しく思えます。
・・・けれど、一つくらいならば。
手頃な塔に手を伸ばします。そっと、そっと、崩してしまわぬように。細心の注意を払いながら。
「あっ。」
触るかさわらないかの所で、ガラガラと音を立てて塔が崩れてしまいました。
見た目からして頑丈には見えませんでしまが、まさか、ここまで安定感の無い作りになっていたなんて・・・慌てて元に戻そうと石を積み直します。しかし、中々上手くいきません。
もういっそ、逃げてしまおうか・・・どうせこんな石の塔、大した意味は無い筈。ただの遊びの痕跡に過ぎない筈です。ならば、少し壊してしまったからといって、誰も気にしないでしょう。
周りを見回し、誰も居ないのを確認して立ち上がります。
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「何してるの。」
誰も居なかった筈の真後ろから、声がしました。
慌てて振り返ると、女性が一人立っています。年の頃は、三十代の後半辺りでしょうか。
少なからず動揺してはいたのですが、何とか平静を装って挨拶をしました。
「・・・こんにちは。」
「あら、こんにちは。こんな時間に、こんな所で、ボクは何してるの?」
詳しく教えてはいけない気がして、一言だけで返事を返します。
「ええと・・・・・・待っています。」
「待ってるって、おうちの人を? お父さんお母さん?」
「・・・はい。」
実際に待っているのは、両親ではなく祖父でしたが、態々訂正することもないだろうと思いました。祖父も家の人なので、嘘を吐いたことにはならないと思ったのです。
彼女は警戒している私を見て、にこりと微笑んだようでした。
「積み石をしているのね。」
塔を崩すところを見ていたのでしょう。誰にも見られていなかった積もりだった私はギョッとしました。
「あの・・・」
「積んでみて。」
優しいながらも、有無を言わせぬ強さの口調でした。彼女はもう一度、ゆっくりと繰り返します。
「その石を、積んでみて。」
どうしてそんなことをしなければならないのか。
どうしてそんなことをしろと言うのか。
何一つとして、意味が分かりません。
けれど、何だか妙に恐ろしくて、聞いてはいけないような気がして、私は口答えをすることも出来ず黙って頷きました。
川面に沈みかけている夕陽が反射して、蜃気楼のような光の靄を作っていました。
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一つ、二つ、三つ・・・・・・。
覚束無い手付きで石を積み上げます。けれど、何度積んでも数秒と保ちません。五つに手が届く前に音を立てて崩れてしまいます。
私は塔が崩れる度に、横目で女性に目を遣りました。「もう積まなくていい。」と言ってくれるかも知れなかったからです。
しかし、女性は何も言いません。彼女は口をつぐみ、薄く笑いながら、じっと此方を見ていました。
私はそれを確認してがっかりしながら、また次の塔を積み始めるのです。
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軈て日が落ち、辺りが薄い暗闇に包まれ始めました。私はまだ石を積み上げています。
女性は上機嫌で、鼻歌なんかを歌いながら、やはり此方をただ見詰めていました。
一つ、二つ、三つ・・・・・・
積まれた塔の天辺に、小石を一つ乗せます。石は、軽くゆらゆらと揺れた後、止まりました。
「あ。」
初めて、十個の石を積み上げることが出来ました。私は急いで女性に目を遣ります。彼女は僕が積んだ塔を見て、にこりと笑いました。
「あら。」
此れで帰れるのではないか、これだけ積んだのだからもう帰らせて貰えるのではないか・・・。
期待に胸を膨らましながら、私は彼女の方に向き直りました。
「もう、こんなに積めるようになったのね。」
少し驚いたような言葉に、大きく頷いて見せます。
彼女がゆっくりと私の傍まで歩み寄りました。
愈々です。私は彼女の薄い唇が動くのを、待ちました。
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ガラガラと音が聞こえました。さっきまで何度も聞いていた、石の塔が崩れる音です。
慌てて彼女の顔から目を離し、塔の方へ視線を移します。
塔は無惨に崩れ去っていました・・・・・・彼女の履いていた、靴の底によって。
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踏み付けられた塔を見て唖然としている私に、女性は言います。
「さぁ、もう一度。」
自分中で、ふつりと何かが切れる音がしました。
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「なんでこんなことするんですか! なんでこんなことさせるんですか! どうして僕がこんなことしなきゃならないんですか!」
大声で叫びます。
その時だけは、恐ろしさより怒りの方が勝っていました。
女性はやはり何も言わずに此方を見ています。何を言っても、どれだけ言っても。
それが、余計に不安を煽りました。
涙混じりの、罅割れる一歩手前の声で叫びます。
「帰してください!!」
「何処へ?」
「・・・えっ?」
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唐突に女性が口を開いたこともそうだったのですが、何より、聞かれた言葉の意味が分からず、私は暫しポカンとしました。彼女は繰り返します。
「帰るって、何処へ?」
冗談を言っているようには見えませんでした。
「何処に帰ろうとしているの?」
「家・・・です。僕の家。もう帰りたいんです。」
「家なんて無いじゃない。」
「有ります!」
「無いのよ。」
彼女は何故か、自棄に断定的な口調でそう言います。
「でも・・・・・・うぐッ!」
反論しようとした口を、強い力で掴まれました。ヒヤリと冷たい手でした。
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「無いのよ。死人に、帰る家なんて無いのよ。」
足の裏が俄に冷たくなりました。目線だけで下を見ると、さっきまで見えていた砂利が見えなくなっています。水が増えて来ているのです。
女性は何時の間にか能面のような無表情になっていました。
助けを呼ぼうとしましたが、なにせ口を鷲掴みにされているので、声が出せません。手を使って逃げようともしましたが、両手を捻り上げるように固定されてしまいました。
「帰る家なんて無いのよ。此処で石を積むしか無いのよ。」
じわじわと水位が上がってきます。もう、足首まで水に浸っていました。
「両親より先に死ぬのだから、償いをしなくてはいけないでしょう。だから石を積むの。此処で石を積み続けるのよ。」
彼女が話をしている間にも、水嵩は増し、流れる水はもう、ふくらはぎまで迫っていました。流れも早く、もう、力を入れていないと立っていられそうにありません。
軈て、膝に、そして太股に冷たい感触。此処までくると、もう自力で立っていることは不可能です。私は、私の頬を掴んでいる女性に支えられるようにしてどうにか体勢を保っていました。
「もういいかしら。」
女性が、ゆっくりと手の指を一本外しました。下顎を押さえていた小指です。残りの指が、一気に頬骨に食い込みました。当時の私は、所謂金槌でしたので、この指が、外された時が自分の最期なのだと感じました。
薬指が、外されました。人差し指は添えられているだけなので、私の頬はもう実質、彼女の中指と親指とだけで掴まれています。全部の指処か、次で最期かも知れません。
私はぎゅっと目を閉じました。
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けれど、今度は、何時まで経っても指は経っても外されませんでした。
其れ処か、先程まで上昇をし続けていた水位さえ、少しずつ元に戻り始めているのです。
恐る恐る目を開けると、女性はのっぺりとした表情の上に、薄い笑顔を張り付けていました。
「駄目じゃないの。嘘吐いちゃ。」
ぐい、此方に顔が寄せられます。笑顔の中で、黒目が妙に真ん丸で、目だけが笑っていませんでした。
ニタリ
彼女が笑います。今度こそ、満面の笑顔です。
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「貴方の両親、本当はずっと前に死んじゃっているんじゃない。可哀想な子。」
パッ、と残された指が外されました。
力の抜けた身体は突然の事態に受け身を取れず、世界が反転したのが見え、次いで後頭部に強い衝撃。其処からは、暫く記憶が有りません。
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「・・・起きたか。」
目を覚ますと、目の前に祖父が居ました。言い付けを破ったにも関わらず、怒ってはいないようでした。
「帰るぞ。」
ずぶ濡れになっている上に腰を抜かしていた私をヒョイと背負い、祖父はゆっくりと歩き出します。
地蔵の前を通り、曲がり道を左に曲がり、段々家が近付いてきます。
背中でうとうとし始めていた私に、祖父が言いました。
「あの川はな、昔から急な増水を何度もして、よく子供が流されるんだよ。」
あの地蔵も、そうやって死んだ子供の供養の為に立ってんだ。
私は黙って、彼の話を聞いていました。
「俺が子供の頃も、流された奴が居た。ご両親が半狂乱になって探し回ったけど、結局見付かったのは流されてから一週間経った頃でな。・・・当然、生きちゃいなかった。」
悲痛そうではなく、あくまで淡々とした口調で話は続けられます。
「どうしようもねぇクソ餓鬼だったが、やっぱり、親からすりゃあ可愛い我が子だったんだろう。父親も母親も、ゲッソリ痩せちまってなぁ。せっかく親子三人無事で戦争を生き抜いたってのに・・・むごいもんだ。」
話は一度、其処で途切れました。
暫しの沈黙の後、彼はポツリと問い掛けました。
「お前、サイノカワラって知ってるか?」
「・・・・・・しらない。」
「そうか。」
頷いて、それきり黙ってしまいます。
そしてそれ以上、祖父は何も言いませんでした。彼の言ったサイノカワラが何なのかも、結局、説明してはくれませんでした。
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日本では古くから、親より先に死んだ子供は地獄に落ちるとされていました。
此の世と彼の世の境目、三途の川のほとりで只管石を積まされ、一頻り積み上がると、何処からか鬼が現れて、その塔を崩してしまう。そして子供はまた、一から石を積まねばならない・・・。
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その場所の名を、賽の目の賽に河原で《賽の河原》というそうです。
作者紺野-3
どうも。紺野です。
すっかり遅くなってしまいました。
《辛辛魚》という凄まじく辛いカップラーメンが有るのですが、それを木葉さんに食べさせてみました。平気な顔して食べていました。・・・舌に痛覚が無いんでしょうかね。
一泊二日ですが、友人達と遊びに行ってきました!
久しぶりに遊ぶ筈なのに不思議と懐かしさは無く・・・というか、ちょくちょく会っているので、何も変わってない気さえします。というか、今、台所でこの話を書いているのですが、部屋の中でテレビを見ているあれはなんぞ。
僕の書く話は、基本的に長くなる傾向があり、話によっては前編全く恐く無いとかそういうこともあります。はい。此は一応、単体の読みきりです。