俺は会社の関係で転勤続きだった。
ある町に引っ越して来た時、社宅ではなくあるアパートを借りてそこから通勤することになった。
2階建てで各階に2部屋しかない、つまり計4部屋のアパートなのだが、1階には誰も住んでいないらしい。
辺りは静かでコンビニも割と近くにあり、駅も遠くなかったため住み心地は悪くはないと思っている。
住み始めて最初の休日の土曜日、週明けから働き始めた俺は、ご近所さんに挨拶が遅れたので菓子織りを持って挨拶に行くことにした。
お隣さんは人当たりのよさそうなスタイルの良い、30歳前後の綺麗なおばさんだった。
渡した菓子織りを嬉しそうにもらってくれし、代わりにと飴玉をくれた。
戴いた飴玉は部屋に帰って、すぐに食べた、紫色の飴玉だったのを覚えている。
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その後、近くのスーパーまで足を運び総菜を買って家まで帰った。
家で昼食を食べていると、外から「ゴーン、…ゴーン」という音が聞こえてきた。古い鐘の音ようなものだ。
普段、平日は仕事をしていた為、この時間帯に居ることは初めてだった。
1分くらい続いただろうか、なんの音なんだろう?そう思うも、俺は始めはあまり気にも止めていなかった。
翌日も、時間帯はズレていたが「ゴーン、…ゴーン」という音が聞こえてきた。
数日後、会社の打ち上げから帰ってきた俺は酒に酔っていたのと疲れたことから、布団に入ってすぐに眠ることにした。
俺が寝ている最中、携帯が鳴った。
深い眠りから起こされた俺は、寝ぼけながらも携帯に手を伸ばす。
携帯画面は眩しいから見たくなかったので、画面を見ずとも通話ボタンを押し布団の中で耳に当てた。
画面を見ていなかった俺は誰か伺うように、「もしもし…」と言った。
電話の向こうは「ザー」という壊れたテレビのような音が遠くから静かに聞こえてくる。
しばらく沈黙が続いた後、
「~るの?」
と言った。聞き取れなかった俺は、
「誰ですか?」
と聞き返す。またしばらく沈黙が続いた後、
「聞こえるの?」
と返ってきた。
意味が分からなかった俺はタチの悪いイタズラだと考え、苛立ちを覚えながらも電話を切ることにした。
眩しくも着歴を見たら、登録されていない番号だったので、やはりイタズラ電話だと思った。
携帯の画面の時間を確認すると午前の2時だった。
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翌日、会社から帰ったら玄関を閉めて間もなく「ゴーン、…ゴーン」という鐘の音が聞こえてきた。
その次の日は家で夕飯を食べている最中に「ゴーン、…ゴーン」と音が聞こえた。
「不定期な音だな~」、そんなことを考えながらも、俺は何の音か少し気になり始めていた。
週末になり、この近辺のことを何も知らないと思った俺は、家の周囲を探索しようと考えた。
一番は毎日のように聞こえてくる、あの鐘の音がどこから鳴っているのかが気になったからだが…。
よくよく調べてみると住宅と言えるものは少なく、やたら墓地や神社が多いことに気が付く。
しかしいくら探しても家まで響くような鐘は見つからない。
しかもこの日は珍しく、その音は聞こえてこなかった。
「そもそも、いつ鳴るかわからないから仕方ないか…」そんなことを呟きながら、家に帰ることにした。
その日「ゴーン、…ゴーン」という音が聞こえたのは夜中の12時だった。
住民が寝静まる時間帯に鳴る鐘の音に、この時少し違和感を感じ始めた。
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次の日、転勤先で初めて彼女を家に呼ぶことになった。
住みやすい場所だと教えてやったら、前に隣町に住んでいたこともあったと教えてくれた。
この辺りもたまに遊びに来ることがあったんだと楽しみにしていた彼女は、他県から来たにも関わらず朝10時頃に来てくれた。
彼女は部屋に入るなりなんなり「なんかこの部屋寒くない?」と言ってきた。
俺は「風邪でも引いてるんじゃないか?俺は何も感じないけど」と答える。
お隣さんに渡した菓子織りと同じものがあるからそれを出してやろうと考えていたが、彼女が何故かそわそわしていたから、仕方がないので外出することにした。
玄関先でお隣のおばさんに話しかけられた。
おばさんは便所の小さな窓のようなところから、格子越しに顔を覗かせている。
「彼女ですか?」と言われたから
「はい、そうです」と答えた。
俺はとりとめ話すことはなかったので、ついでにあの鐘のことを聞くことにした。
「そういえば、あの音はなんなんですかね?」
するとおばさんは
「音?なんの音ですか?」と聞いてきた。
「え?聞こえませんか?鐘のような「ゴーン」っていう音ですよ」
「さぁ、私は聞こえませんよ」
彼女が玄関から出てきた。
「誰と話してんの♪」
「あぁ、お隣さんだよ」
「え?誰もいないよ?」
振り返るとおばさんはいなくなっており、窓もいつの間にか閉まっている。
「あれ…?」
俺はなんとなく不思議な感覚にみまわれた。
久々に会った彼女は、何をするにしても楽しそうにしている。
風邪を引いてるかもと思ったのはどうやら杞憂だったらしい。
車で少し遠くに出かけた程度だったが、買い物したり骨董品を探したりしていた。
すると彼女が「Aちゃーん!」と一人の女性に声を掛けた。
その女性も「(彼女)ちゃん!」と返した。知り合いを見かけたらしい。
俺も続いて「どーも、(俺)です」と言った。
Aさんは驚いてる様子だった。
「どーもAです…」と返してきたAさんは、彼女を連れて少し離れたところに行ってしまった。
何やらコソコソとこっちを見ながら話しているらしい。
「なんであんな男と付き合ってんの!?」とか話してるんだろうか、ちょっと嫌な気分だ。
話が終わったのか、離れたところでAさんとは別れたらしい。
帰ってきた彼女は何か元気が無いように感じた。
何かあったのだろうかと思い、仕方なくアパートに帰ることにした。
車に乗ってアパートに帰っている間も彼女は一言も喋らなかった。
到着するなり彼女は「嫌だ…」と仕切りに動こうとはしない。
「どうしたんだ、さっきから?」
「嫌なものは嫌なの!」
と、いきなり怒鳴り始め、彼女は自分の車に乗り込んだ。
「なんだよ、帰んのかよ」
「私…、あのアパートには入りたくないの」
そう言って彼女は帰った。
「なんなんだよ…」
そう呟きながら俺はアパートに帰った。
玄関をくぐると「ゴーン、…ゴーン」とあの音が聞こえて来た。
「たくっ、うるさいな」
と俺は不機嫌に呆れて言った。
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その夜、変な夢を見た。
俺は暗い森の中に佇んでいた。
視界の先に女がいるのが確認できた。
女は俺を見つけるな否や、気持ち悪い動きで追いかけて来た。
四足歩行で手足の動きがバラバラな走り方で、人間じゃないような動きだ。
俺は反対方向に全力で逃げ出す。
絶対に捕まりたくない。
捕まったらヤバい、でもどこに逃げたらいいのか分からない。
そんなジレンマに囚われながらも、ただひたすら走るしかなかった。
訳が分からなかった。
分かっているのは、あの女に俺は追いかけられているということだけだった。
全力で走っているはずなのに「ウッフフッ、ウッフフッ」という女の薄気味悪い声だけが近づいてくる。
追いかける足音が全く聞こえないという不気味さもあって、俺は走りながら振り返る。
すると女の気持ち悪い動きが、気持ち悪い笑顔が、目の前まで迫って来ていた。
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「き こ え て る な ら こ っ ち に お い で ー !」
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俺は悲鳴を上げた。そこで夢は醒める。
体は震え、冷や汗をかいていた。
その時、「ピリリリー」と携帯が鳴った。
体が飛び上がるほどビックリした。それ以上に驚いたのは携帯の画面だった。
保存した覚えのない、女の気持ち悪い笑顔が画面に出ている。
「うわー!!なんだ!?なんなんだよこれ!?」
俺がそう言った矢先、携帯に触れてないのに通話になった。
「ゴーン、…ゴーン」という音が携帯の奥から聞こえて来る。
「ふざけんな!」
俺はパニックになりながら携帯の通話を遮断し、電源を切る。
すると「ゴーン、…ゴーン」と外からもあの鐘の音が聞こえてきた。
「ふざけんな、ふざけんなよ…なんなんだよこの音は!?」
涙が出るほど混乱していた。
すると、ドンドンドン!と次は玄関の方から大きな音がした。
立て続けで訳が分からなくなっていたが、
「(俺)くん!開けてー!」と声がした。
「(彼女)か!?」
玄関を開けたらそこには彼女がいた。
「ここから逃げよ!」
俺は強く手を引かれ、そのまま彼女の車に乗せられた。
車を走らせてる中、俺はアパートの方を振り返った。
すると隣のおばさんが真夜中にも関わらず、ベランダからこちらを見ていることに気が付いた。
午前2時のことだった。
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町を出た後の車の中で「どうしてだ!?」と何が何だか分からなかった俺は、そんな風に聞いたと思う。
彼女は「昼に会った友達ね、隣町のお寺で住職をしてるの」と言ってきた。
俺「確かAさんっていう――」
彼女「そのAさんが(俺)くんを見て「彼、憑いてるから気を付けて」って言ってきたの」
俺「憑いてる…?」
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彼女「私も訳が分からなかったから、問い詰めて詳しく聞いたら――「今夜あたりが一番危ないから(彼女)ちゃん、彼に着いて行かない方がいいよ。…特に彼の住んでる場所には絶対入っちゃ駄目――」。そう言われて思い出したの。あのアパートで寒気を感じたことや、隣の人のこと」
俺「隣の人?」
彼女「変だったんだよ」
俺「何が?」
だいぶ落ち着いて来たものの、俺はまだ混乱していた。
彼女「実は私あの時、既に(俺)くんのすぐ後ろに居たんだよ。何度も声を掛けたし、近づいても気付いてないみたいだったよ」
俺「…」
確かにあの時、おばさんは音もなく消えたし、彼女のことを見てないはずなのに「彼女ですか?」と存在を知ってるかのように問いかけてきた…。
偶然どこかで見かけたのだろうかと思っていたが、少し違和感のようなものを感じた。それにさっきも…。
彼女「買い物の帰り、色々考えてると怖くなって家に帰ったけど、やっぱり心配になって…」
俺「今からどこへ行くんだよ」
彼女「Aちゃんのところ、隣町の寺院だよ」
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真夜中なのにも関わらず、待ってくれていたらしいAさんは「さっ、こちらへ」と言って寺院の屋敷のようなところへ俺達を案内した。
俺はAさんから憑いてるものを祓うと言われて、正座させられた。
目の前には楕円形の鏡があり、俺の斜め後ろでAさんはお経のようなものを唱え始めた。
…そして10分ほど経った頃、鏡に映る自分の後ろに青白い影が見え始める。
しばらくすると、それは髪の長い女だということが分かり、こっちを見て気持ち悪く笑いかける表情までもはっきりと見えてきた。
音も無く佇むその姿に、俺は声も出せず驚いて逃げ出そうとした。
すると「動いちゃ駄目!」
Aさんにそう言われ、俺は女の白目の無い真っ黒な瞳と鏡越しに目が合ってしまった。よく見たら夢で見た女と同じだ。
ガタガタと震えながら俯いていると、「ゴーン、…ゴーン」とあの音が聞こえてきた。
俺は反射的に鏡の方を向いてしまった。
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「こ っ ち に お い で き こ え て る ん で し ょ !?」
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鏡の女が気持ち悪い笑顔で問いかけてくる。
「耳を傾けてはいけません!帰って来れなくなりますよ!」
俺は目を瞑り、耳を塞いで下を向いた。
Aさんの経を詠む声が大きくなるのを感じた。まるで闘っているみたいだ。
俺は気持ち悪くて吐いてしまった。すると口から紫色の物体が出てきた。
…それから数時間が経過した。
俺はずっと「ゴーン、…ゴーン」という音を聞かぬよう耳を塞ぎながら俯いていたが、鐘の音が次第に遠ざかっていくのを感じた。
更に数時間が経過した頃、「終わりましたよ」とAさんが肩を叩いて俺に言った。
鏡を見てみると、そこには自分とAさんの姿があり、他には何も映っていなかった。
除霊が始まって何時間が経ったろうか、気付けば夜が空けていた。
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俺は彼女と共にAさんの話を聞くため、畳の敷いてある仏壇の部屋に行った。
そこでAさんはおもむろに地図を広げた。
「これがあの町の地図です。あなたはこのアパートに住んでいるんじゃないですか?」
と、Aさんは地図に指を差した。
「はい、そのアパートです」
と俺は答えた。
A「あなたは家の周りに何があるのかご存知ですか?」
俺「?…いえ、住宅はあまりなかったとは思いましたけど…」
A「他には?」
俺「まぁ、やたら墓地やら神社があったなと…。あの、何が言いたいんですか」
A「これを見て頂きたいのです」
そう言ってAさんは地図の上に赤いペンで線を引き始めた。
A「実はあの町の墓地と神社は、偶然にも規則的な配置をしています。そしてこれが墓場の位置、これが神社の位置です」
Aさんはそれぞれを直線で繋いだ。すると墓地は×字に交差し、神社は十字に交差して、※印(こめじるし)のような形になっていた。
そしてその中心にあるのが、自分の住んでいるアパートだった。
A「鐘の音…」
俺「え?」
A「(俺)さん、あなたには除霊の際に聞こえた鐘の音が何日か前から聞こえていたはずです」
俺「聞こえてました。何でそれを…」
A「あなたと同じ目に遭った男性が過去にいたからです。私たちの宗派はその鐘の音を『誘いの鐘(いざないのかね)』と呼んでいます」
彼女「誘いの鐘?なんか気味悪い…」
俺「一体どこに誘われるんですか?」
A「冥界です。一度でも聞こえてしまうと冥界へ引きずり込まれる死の宣告だと云われています。その音は取り憑いた人間にのみ聞こえるらしいのですが…」
俺「冥界…」
現実感のない話なのに実際に鐘の音を聞いた俺には、その言葉がどうしても恐ろしく聞こえた。
俺「Aさんはどうしてそんなに詳しくご存知なんですか?」
俺は聞いた。するとAさんはしばらく黙って、
A「かつてあのアパートには仲の良い姉妹、姉の優子と妹の彰子が隣同士に住んでいました」
と、昔語りを始めた。
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A「姉妹は神仏に厳しい宗派の人間でした。二十歳になるまで結婚はできない宗派の戒律もありましたが、妹には恋人がいました。ある年齢となり姉妹は宗派に習って寺にこもり、念仏と鐘を鳴らす毎日を2年間送ることになりました。しかし、男はそれでも妹の彰子を待つと言っていました。厳しい修行を終え、いざ元の住居に帰ってみると、なんと男は1年先に帰ってきていた姉の優子と交際を始めていたのです。もともと、男は姉の優子と友人関係にあったそうです。複雑な環境の中、妹の彰子は姉の優子と隣同士の生活を送っていました。かつては自分の恋人だった男が壁を隔てて姉と交際している、そんな心境に耐えられず、遂に彰子はこの世を去ったのです」
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彼女「彰子さんは(俺)くんの部屋で亡くなられたの?」
A「はい、その通りです。首吊り自殺だったと聞いています」
俺は入居する際も、女性が自殺したなんて話は全く知らされていなかった。
今思えば、そんな部屋に2週間以上も住んでいたことを考えると本当に恐ろしく思えた。
彼女「なんだか、かわいそうだね…」
と、彼女が言うと、
A「はい、かわいそうな話です。しかし、ここからは恐ろしい話になります。先ほどお話致しました通り、このアパートは神社や墓場を直線で結んだ交点、偶然にもその中心となっています」
俺「それが何か関係あるんですか?」
A「はい。そのような場所では凄まじい程、負のエネルギーを増幅してしまうのです。即ち「霊道」等を作ってしまうことがあります」
俺「霊道…」
A「妹の彰子の怨みが増幅され、男の耳に鐘の音となって聞こえてきたのです。男に会いたくても耐え抜いた修行の鐘の音が、死に追いやった姉と過ごした旋律の音が、冥界へと引きずり込む怨みの音となって届いたのです」
彼女「怖い…」
俺「男の人は、それから…」
A「死にました」
俺が最後まで言い切る前に、Aさんは言った。
A「男が鐘の音が聞こえると言い始めて十日ほど経った頃、部屋の中で変死体となって発見されました。睡眠中に発狂して死んでいたそうです」
俺は息を呑んだ。と同時にあの日、夢で女に追いかけられたことが脳裏をかすめた。
A「もう察しているかもしれませんが、その姉妹は私と同じ宗派の人間です」
俺と彼女はその言葉に少なからず驚いた。
A「私も高校を卒業した後、修行をしました。だから姉妹や男のこと、誘いの鐘のこと、鐘の音がどのような音色なのかも知っています」
俺「その鐘はどこにあるんですか!?」
A「この寺院にも同じものはありますし、全国にいくつか存在しますが、彰子がどの鐘を使用したのかは分かりません。万一にそれを撤去したところで彰子の怨みは消えないでしょう」
「じゃあどうやったら、彰子さんの怨念は消えるんですか?」
と俺は聞いた。
しかしAさんは
「おそらく彰子の怨念が消えることはないと思います」と言った。
Aさんは最後に、
「あなたが居なくなっても、あのアパートに住む誰かが新たな犠牲者となるだけなのです」
と、言った。
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後日談――
Aさんの話を聞き終えたその後、俺と彼女は寺院を後にした。
俺はもちろんあのアパートには戻らず、色んな物をあの場所に置き去りにした。
その時、幸い本当の意味で命より大事なものは持っていなかった。
会社を無断欠席した俺はそれがきっかけで会社を辞めるに至り、今では彼女と同じ職場で彼女の後輩として勤めている。
あれから地元に帰った俺は、あの場所で同じような犠牲者が過去にいたのかどうかを調べてみたことがある。
しかし事実、そのようなものは確認できなかった。
Aさんの言っていた「同じ目に遭った男性」というのは、やはりAさんの話に出てきた彰子(優子)の恋人だったというあの男のことなのだろうか。
彰子と優子がAさんと同じ宗派の人間なら、男が宗派の人間に鐘の音が聞こえることを相談し、それが宗派に広まったという流れになる。
しかし、本当に俺以外に犠牲者はいなかったのだろうか。
…何か腑に落ちない、俺はAさんの宗派は何かを隠しているように思える。
何故ならAさんは所々で話をはぐらかしていたし、話に筋が通っていなかったからだ。
例えば墓地と神社の配置、本当に偶然だったのだろうか。
俺にはどうもAさんの宗派が絡んでいるように思えて仕方がないのだ。
それにあの姉妹の昔話、正直かなり局所的だったにも関わらず、宗派全体が知っているような口振りだった。
何より詳しく知り過ぎている気がする。
それなのに宗派の名前は一切言わないあたりが、意図的に隠蔽しているように感じるのだ。
それに修行のこともほとんど伏せられていたし、鐘を鳴らす時間帯に決まり等があったのかすら分からない。
結局、あの鐘の音が不定期に聞こえてきたのは何故だったのだろう。
今思えば、あの音は徐々に時間帯が夜中に近付いていた気がする。
奇妙な電話があった時間は2回とも真夜中の2時だったし、夢を見たのも同じ時間だった。
あの時間帯に何か理由があったのだろうか。
もしかしたら彰子が首を吊った時間帯だったのかもしれない。
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…ここから先の話はただの俺達の考察になるのだが、
あのアパートのおばさんは姉の優子だったんじゃないかと思う。
彰子から怨まれていた優子は男が呪い殺され、次は自分が殺されてもおかしくないと考えた。
そこで優子は生贄を与えることで彰子を成仏できる、少なくとも自己の延命はできると思い、新しく入った住人を監視し続けることにした。
住人である俺が鐘の音を聞いたことを確認した優子は俺が死ぬまで時を待ったが、夜中に家から逃げ出したことに気付きベランダからそれを見ていた。
…もし仮にこの考察が正しかったとしても、優子はアパートから出られない理由がない限りそこに留まる意味はないし、生贄を与え続けなければならないことになる。
…やはりこれは推測の域を越えないのか。
しかし考えてみれば、彰子が死んだという話は聞いていたが、優子の生死を俺達は知らない。
本当は既に死んでいた可能性だってある。
もしかしたら俺は幽霊と会話していたのかもしれない。
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…いくら考えても納得のいく答えは出せなかった。
だったら俺はもう、それらのことを考えたくもない、思い出したくないとも思った。
夢だったんじゃないかと思いたかった。
それに、真相を知ることはもうできない。
何故ならあれから半年が過ぎたころ、Aさんが亡くなられたという情報が俺達の耳に入ってきたのだ。
俺達はかなり驚いたし、それを聞いた俺は完全にビビってしまった。
もしかしたら発狂死だったんじゃないかと頭によぎったが、葬儀に出席した彼女から死因は自殺だったと聞かされた。
発狂死ではなかったものの、Aさんの身に何があったんだろうと俺は案じた。
もしこの話を見た人の中に奇妙な怪異に遭遇した人がいるのなら、全てを投げ出してでもそこから逃げることをお勧めする。
確かに俺は、自殺したと聞いたAさんの身に何があったのかと案じた。
しかしAさんの葬儀には参加しなかった、それには理由がある。
俺にはそれこそが冥界への誘いに思えてならなかったのだ。
遠くに離れている俺を負のエネルギーが集まるあの場所へおびき寄せる為、Aさんが犠牲になってしまったように思えてならなかった。
そうでなければ、住職が自殺なんて俺には考えられない。
つまり――逃げたのだ、この一連の出来事から。
それから俺の周りで奇妙な現象は起きていない。
だからこそ思い出したくないし、これ以上考えたくないのだ。
冷たいヤツだと思われても構わない、それでも心に決めたことがひとつだけある。
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『何があってもT県U市Mには近付かない』
絶対に。
作者無名有人
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