12月27日
木菟先生という人のところでお世話になることになった。
元々彼の所有物だったとはいえ、私は彼の事を何も知らない。戸惑いが顔に出ていたのか、木菟先生が私に緊張しなくていいですよと言って笑った。私を安心させようとしてのことなのだろう、見え透いた気遣いが少し怖い。
何をすればいいですかと尋ねたら、何もしなくていいと言われた。
しかしやることがなければ手持無沙汰だと言ったら、先生はノートを一冊持ってきて私にくれた。
それに日記をつけなさいと彼は言った。強制はしない、気が向いた時にだけつけなさいと。その日記がこれだ。
人間のなんたるかを考えろという意味だろうか。とりあえず、今日の分を記しておく。
12月31日
今日は夜から冬堂さんのお店で年越しの会をやるらしい。そのため、先に家の大掃除を済ませることになった。
雑巾を出すために押し入れを開けたら、いきなり小さな生きものが出てきた。
白く細長い依れた布のような生きもので、見たことのない姿をしていた。
慌てて捕まえ、先生に見せたらそれは「しろうねり」だと言われた。
古雑巾の九十九神だそうだ。どうするか尋ねたら、放っておいてよいと言われた。
しかし雑巾がなければ掃除ができない。仕方がないので押し入れの整理をしていたら、頭上からぎしぎしと軋む音が聞こえてきた。
見ると、小さな鬼のようなものが2匹天井に取り付いて揺すっていた。
驚いて先生を呼んだら、それは家鳴りという小鬼だ、無害だから放っておいてよいと言われた。
家鳴りを無視して整理をしていたら、押し入れの奥からゴキブリが一匹這い出してきた。
今までの流れからすると、また放っておいてよいと言われるのが関の山だろうと思ったのでそのままにしておいた。
掃除を終えて身支度を始めたら、書斎から先生の悲鳴が聞こえた。
何があったのかと尋ねたら、持っていこうと思っていた風呂敷にいつの間にかゴキブリが入り込んでいたのだという。
恐らく掃除の最中に出てきたのだろうと言っていたので、きっと先程のゴキブリだろうが見かけたと言えば面倒なことになると思い、黙っておいた。
1月6日
今日は兎に角非道い目に遇った。
先生から急に連絡が来て、誤認逮捕されてしまったので美子さんを駅へ迎えに行って欲しいと頼まれたときは少しだけ嬉しかった。
しかしいざ行ってみたら、先生の身代わりにはされるわ厳つい刑事さんに理不尽に怒られるわで大変だった。
結局超常関係の事件だったらしい。あの人の身の回りでは、幽霊や妖怪など珍しくないようだ。
因みに、美子さんからは囮に使ったお詫びとして沢山の服を貰った。お陰で私も少しは衣装持ちになっただろう。
美子さんは美しく優しい女性だ。それでいて茶目っ気のある、愛すべき人物だと思う。
どうやら先生を恋慕っているらしいが、彼女のような綺麗な人が、どうしてあんな変人を好きなのかどうにも気になる。
しかし先生と結ばれることが彼女の幸せなら、私は全力でそれを支えよう。
常に人の幸せを願う、人間とはそういうものであるべきなのだから。
1月26日
先生から留守番を任された。何となく風邪っぽくて寝込んでいたら、家に深山さんが来た。私に用があると言って、半ば無理矢理部屋に押し入ってきた。
私は風邪がうつるから帰った方がいいと言ったが、彼は自分は風邪をひく質ではないと言って聞かなかった。
用事は何かと尋ねたら、見舞いに来ただけだと言ってコンビニの袋を渡してきた。
中には大人の雑誌が入っていたので、驚いて放ってしまった。人妻物と若い子ので迷ったなどと言っていたが、何の事なのだろうか。
しかし、折角の頂き物で喜ばない訳にはいかないし、事実少し気が楽になったのでお礼を言っておいた。
彼は、困った時は俺を頼れと言って帰った。
深山辰二郎刑事。先生とは違う意味で変わった人だ。
2月2日
風邪を拗らせ、一週間ほど寝込んでいた。
部屋の外が何やら騒がしかったので、覗いてみたらなんと先生が美子さんを手篭にしようとしていた。
どうやら呪いの人形による行動だったようだが…。深山さんがいなければ手遅れになっていたかもしれない。
頼れる人がいるのは幸せだ。
2月14日
今日はバレンタインデーだった。
先生は近所の主婦の方々から沢山お裾分けを貰っていた。私も貰ったが、物が食べられないのでお気持ちだけ頂いておいた。
午後には晴明君が訪ねてきて、先生に何やら相談をしていた。
聞けば、靴箱に入っていた箱の中に一つだけ送り主の分からない物が紛れていたのだという。
先生がその箱を開け、中身のクッキーを割ると、それは糸を引いて二つに分かれた。
よく見ると、クッキー生地に練り込まれた黒髪が繋がっているようだった。
凝った包装も1枚ずつ剥がして調べると、中に米粒のような字で熱い思いが綴られていた。行き過ぎた愛ほど恐ろしいものはない。
夜には美子さんがやってきて、夕飯を作ってくれた。先生は、チョコレートより味噌汁の方が好きだと言って喜んでいた。
美子さんも幸せそうだった。良いことだ。
3月3日
ニュースで桃の節句を祝う幼稚園児について見ていたら、先生が桃の節句についての話をしてくれた。
何でも、雛人形というのは元々人にかかるはずの厄を背負う人形だったとか。それらを川に流すことで、厄を流してしまおうという訳らしい。
しかし、川に流された人形はその後どうなるのだろうか。どこか吹き溜まりのようなところに流れ着いていたとしたら、その場所はとんでもない厄に見舞われるのではないだろうか。
その事を先生に尋ねたら、こう返された。
川を流れる人形を、事情を知らない幼子が見つけたらどうすると思う、と。
いつだって厄払いの見返りになるのは幼子なのですよ、と、彼は微笑んだ。
私は其れ以上の事を聞くのを止めた。
3月14日
先生を美子さんのお店に行かせてから、深山さんと一緒にお酒を飲みに行った。
居酒屋は初めてで、頼んでいない料理が出たり焼き鳥を食べて何故か罪悪感を感じたりして戸惑った。
いい機会なので、深山さんに幸せとは何なのか尋ねてみたら笑われた。
いちいちそんなことで悩んでるうちは分からん、と言われて、益々分からなくなった。
しかし深山さんの言うことは、根拠はないが何故か納得することばかりなので不思議だ。
それに、この人といると訳もなく安心する。この気持ちは何だろう。
3月15日
頭が痛い。
先生に言ったら、二日酔いだと言われた。
慣れないお酒を一度に飲むからだと怒られてしまった。少しは心配してくれてもいいのにな。
先生は深山さんが私に悪い遊びを教えたと言って溜め息をついていた。
煙草も駄目ですかと尋ねたら、当たり前でしょうと言われた。
それなら、どうして深山さんは両方やっているのかと尋ねたら、あまり人の揚げ足をとるものではないとまた怒られた。
4月28日
美子さんの古いお友達が、彼女への嫉妬から鬼女に身をやつすという驚くべき現象が起きた。
話にはきくことだったが、まさか本当にそんなことが起こるとは思わなかった。
人間がその性質を変えてしまう事など有り得るのかと先生に尋ねたら、当然だと返された。
人間とそうでないものの間に、どれだけの違いがあるのか。それは人の事をどう考え、どんな信念のもとに行動するか、ただそれだけだと彼は言った。
先生の言うことは、いつもよく分からない。
4月30日
最近、自分の姿が変わってきたような気がする。
前は先生と瓜二つの顔だったはずだが、今の私はどう見ても先生よりずっと年下だ。
何か病気にでもなったのかと不安になり、先生に相談したらそれはアイデンティティが出てきただけだと言われた。
できたばかりの私は先生の魂が入っただけの人形のようなものだったが、最近になって自我や個性が確立されたのだという。
良い傾向だというが、どうせ変わるならもっと身長が伸びてほしかった。
5月7日
今日は恐ろしい目に遇った。
自室で髪をといていたら、いきなり少年が飛び込んできて私の櫛を取り上げ、身体中に穴を穿ったのだ。
後で聞いた話で、彼が万引きの常習犯であるということを知った。
そのときに先生が教えてくれた百々目鬼の話で、鬼女の事件の時に言われた事が少し分かった気がした。
6月18日
今日は深山さんの娘の律子ちゃんに頼まれて、晴明君の誕生日プレゼントを買うのに付き合った。
律子ちゃんは男性への贈り物をするのが初めてだそうで、男性視点の意見を私に求めてきたようだ。
しかし私と晴明君とでは性格がまるで違うので困ってしまった。
考えさせて欲しいと言ってモール内をぶらぶらしていたら、見知らぬ老紳士に声をかけられた。
西洋の執事のような雰囲気を纏った彼は、私に肉球スタンプで〆のされた封筒を押し付けて去っていった。
封筒を開けると、なんと猫耳つきパーカーを着て猫クッションを傍らに置きテレビを見ている晴明君の写真と、「坊ちゃんにはくれぐれもご内密に」と書かれた手紙が出てきた。
そういえば、前に晴明君と会ったときペットの猫の写真を沢山見せてもらったことがあった。彼が生まれた時から家にいたらしい。
晴明君は猫好きだったと律子ちゃんに伝えると、彼女は猫のぬいぐるみを買いにいくと言った。
晴明君は本当は高貴な家の出なのだろうか。だとすると、あの紳士は本物の執事か…。
7月26日
今日は深山さんにクワガタ採りへ連れていってもらった。
事前に調べたが、クワガタには色々な種類があるらしい。中でもオオクワガタという大型のクワガタが人気らしいが、私はそれよりミヤマクワガタが欲しいと思った。
早朝から山に入ったので、まだ辺りは暗かった。
クヌギの木にカブトムシやクワガタが集まりやすいと深山さんが言った。
木を蹴ってみろというので言われた通りにすると、小指の先ほどの小さなクワガタが落ちてきた。深山さんに見せると、木からのサービスだと言われた。
深山さんが蹴ると、木が大きく揺れてカブトムシやクワガタが山ほど落ちてきた。流石だ。
思う存分採ったので帰路についたが、その道中で深山さんとはぐれてしまった。
林を彷徨っていると、不意に何かに体を捕まれた。
びっくりして後ろを見ると、なんと辺りの木が枝をこちらに伸ばして私を掴まえていた。
必死でもがいていたら、深山さんが気付いて助けに来てくれた。
木の幹を登山ナイフで切りつけて、木が怯んで私を落とした隙に助け出してくれた。
家に帰って先生に聞いたら、それは樹木子という妖怪の一種だろうと言われた。古戦場に生えた木が血の味を覚え、下を通る人間を狙うのだという。
しかしあの辺りが戦場だったという話は聞かない。一体何なのだろうか。
8月4日
深山さんから連絡がきた。
この間の樹木子の件で、進展があったらしい。
あの後、不審に思った深山さんが部下を引き連れてあの場所を大捜索したところ、木の根元から数体の女性の遺体が見つかったという。どれも行方不明になっていた女性で、彼女らの共通の知人の男を捕まえて事情を聞いたらすぐ自白したそうだ。
先生に報告したら、もしかしてあれは樹木子などではなく殺された女性達のSOSだったのかもしれないと言っていた。
確かにそうかもしれない。樹木子は人を捕まえて血を吸うそうだが、私は捕まっただけで何もされなかった。
女性達には悪いことをした。今度お参りに行こう。
9月11日
深山さんに抱いている思いの意味が分からない。美子さんが先生に抱いているようなものなのかと思って、先生に尋ねてみた。
深山さんといると安心する、これは恋なのかと尋ねたら、先生は吹き出した。
それは違う、それは恐らく子供が親を慕うようなものだろうと先生は言った。
しかし、親と言うなら私を生み出した先生のほうなのではないか。
その事について尋ねると、先生は言った。
誰が生んだ、誰と血が繋がっているということだけが親子をつくる要因にはならないと。大切なのは縁だと。確かにそうかもしれないが、よく分からない。
最後に、先生の父親について尋ねてみた。
しかし、何やかんやとはぐらかして答えてくれなかった。
ただ、一度はお父さんと呼ばれる存在になってみたかったですねと言っていた。
少し寂しそうだった。
10月20日
深山さんの誕生日のお祝いに、レジンのピルケースを渡した。
彼にぴったりなよう自分で細工して、昨日半日かけて仕上げたものだ。
彼は大層喜んでくれた。律子ちゃんからは何ももらえなかったようだ。逆に2ヶ月先の誕生日プレゼントをねだられたとか。
私には誕生日というものがないので羨ましいと言ったら、作ればいい、今日でいいと言われた。
俺が今日お前に誕生日をプレゼントしてやると言って、深山さんはいつものようににやっと笑った。カッコツケシーだ。
でも、深山さんと同じ誕生日。悪くないな。
帰って先生に報告した。すると先生は、おめでとうございますと言って小さなノートをくれた。シンプルだが、安っぽさが全くない。
こんなこともあろうかと、用意していてくれたらしい。
色々言う事もあるけれど、あまり気にしないでくださいねと先生は微笑んだ。
気にするものか。夏目漱石だって、芥川龍之介だって少しは浮き世離れしていたようだし。
11月28日
今日は先生と美子さん、晴明君、深山さん、律子ちゃんと一緒に銭湯へ行った。
先生が散歩の途中で古い銭湯を見つけたので、皆で行ってみようということになったのだ。
よくテレビで見るような昔ながらの銭湯で、優しそうなお婆さんが一人で番頭をしているようなところだった。
一人500円ずつ払って、男女分かれてお風呂に入った。
皆でお風呂に入るということだったが、私は体の作りが皆と少し違い、男らしくない。人前で裸になるのは少々勇気が要った。
先生の体はきれいだったが、晴明君と深山さんは傷だらけで驚いた。両方とも喧嘩傷だという。野蛮だ。
お風呂から上がって、女性陣を待つ間に先生にコーヒー牛乳を買ってもらって飲んだ。
ちなみに晴明君はフルーツ牛乳、深山さんはイチゴ牛乳が好きだそうだ。かわいい。
暫くすると美子さんと律子ちゃんが出てきた。二人とも頬が紅を差したように赤くなっていてきれいだった。
帰り際、番頭さんに挨拶していこうと思って受付に行ったら誰もいなかった。
受付どころかお風呂にも沢山お客さんがいたはずなのに、いつのまにか誰もいなくなっていた。
先生に呼ばれて外に出ると、そこが廃屋だったことが分かった。
狢か何かに化かされたのだろうと言って、先生が笑った。今の時代、狐狸も商売をしないとやっていけないのだろうとしみじみ思った。
しかし化かされていたとはいえ、楽しかった。またこんなふうに皆で銭湯に来てみたい。
…
この日記をつけ始めて一年近く経つけれど、果たして私は人に少しでも近付く事ができたのだろうか。
まあ、考える時間は山ほどあるか。
作者コノハズク
久々の投稿になります。
木菟シリーズ番外2弾です。木菟さんのお話を綴り始めて約一年が経つということで、今回は経凛々の一年間の日記という形式をとらせていただきました。
本当は経凛々メインの回の出来事も日記に下ろしていたのですが、それではシリーズ初見の方には分からない内容になってしまうので控えました。
日常のちょっとした怪事件の短編集のようになっておりますので、お暇があれば読んでやってください。