ついてくる。何か分からないけど、さっきからずっと何かがついてくる。
人ではないみたいだ。いや、人のようでもある。でも、足音はしない。それとも、あれが足音なのだろうか。
濡れた雑巾を叩きつけたみたいな音がする――ビチャビチャって、僕が歩くのに合わせて、音は聞こえる。だからきっと、僕についてきているのだ。
心臓が凍てついたように冷たくなる。背筋に悪寒が走り抜ける。
早く家に帰りたい。
僕は涙を堪えながら足早に歩いていく。
やっぱり、ついてきてるよね。
闇が空を覆っている。星が疎らに散らばっている。等間隔に設置された街灯だけが唯一の光だ。お月様は雲に隠れてしまっている。
夜空に目を向けると、少し音が途切れた。だけども、それは僕が夜空に意識を向けていたからであって、音が消えたわけではない。
何かが僕を諦めたわけではない。
諦めたって――そもそも、後ろに居る何かがどんな目的を持って、僕についてくるのか分からない。だって人じゃないかもしれないんだし。でも、人のようにも見えるし。
よく見たわけじゃないから分からない。靄のようにぼやけている。
でも、どんな形をしているのか見てしまえば、僕はこの世に居られないだろう。だって、きっと、僕についてきている何かは見てはいけないものだ。
見たら死ぬとかそういう安っぽいことじゃなくて、きっと、世界に淘汰される。後ろの何かを見れば、僕は世界にとって不純物でしかない。
社会のゴミとかそういう概念ですらない。
早く家に帰りたい。
少しくらっとした。気持ちが悪い。
そりゃあ、人じゃないかもしれない何かについてこられたら、気持ち悪くなるよな。誰だって。
走りはしない。走ってしまば、後ろに居る何かが興奮して、僕よりずっと速く走るだろう。そうしたら、僕は掴まってしまう。そんなの、恐ろしい。
掴まったら何されるのかな。
暴力は厭だけど、それ以上のことをされそうだ。
殺されるとかそういう恐ろしさじゃない。なんだかこう、言葉に言い表せない。兎に角、恐ろしいことだ。多分、人間が想像できない範囲のことだ。
これなら幽霊の方がいい。
何故か幽霊や妖怪の類でないことは断言できる。
でも、人じゃない。いや、人なのかもしれない。
はたまた、人の形をしているだけかもしれない。
厭だ。
もうすぐ家だ。
何かが僕を通り越した。
僕はわあっと声を上げて、目を塞いだ。
寒い風がびゅうと吹いて、僕の表皮にぶつかる。
だけど、次の瞬間、僕の耳に響いたのは夜の静寂だった。
僕はゆっくりと目を開いた。
何もいない。ただ水を零したような染みが地面に点々と続いていた。
僕は力を抜いて、大きな息を吐いた。
何だか随分長く感じた。僕はやっと家の玄関の前に立った。
あっ。
ドアの上の欄間窓。
そこに何かは居た。
面と向かって見ても、矢張り何かは何かでしかなかった。
でも、人じゃない。人のように見えるけど、人じゃない。
何かはじっと僕を見ている。
もう家に入ってしまったんだ。
何かの口らしきものがくちゃくちゃと動いた。食っている。
家の中に居るお母さんは無事なのだろうか。もしかして――。
「マサキ」
欄間窓に貼りついている何かがまるでげっぷするかのように僕の名前を発した。
でも、それは間違いなく僕のお母さんの声だった。
作者なりそこない