私は50代の会社員です。もう30年前の話しになります。昭和ののんびりとした時代の話しです。私には子供の無い叔母夫婦がいました。叔母夫婦に子供の無い事もあり私は随分と産まれた時から可愛いがってもらいました。結局、叔母夫婦最期を私の母親と二人で看取ることになりました。今回はトラ叔母の話しを聞いてください。
叔母夫婦は戦時中現在の中国,当時の満州にいました。叔父は軍属として叔母は産婆として働いていましたが、終戦になり叔父はシベリアに抑留,叔母は命からがら単身日本に戻って来ました。叔母はどの様に日本に戻って来たかは一度も話してくれませんでした。相当酷い経験をした様です。叔父がシベリアから戻り東京の杉並区で二人水入らずの生活が始まりました。毎週のように私達一家は叔母夫婦の家に招かれていました。
トラ叔母さんは身体が丈夫ではありませんでした。いろいろな病気をして何度も手術をしました。入院のたびに叔父と私の母親と私の3人で病気に泊まりがけて世話をしました。その当時は私は入社したての会社員でしたが、何とか時間をつくり病院の行きました。
トラ叔母さんは内臓が徐々に蝕まれ、大きな病院の主治医に多臓器不全でもう余命がないと宣告されました。最期は自宅で迎えたいとトラ叔母さんの意思により病院から自宅に戻りました。自宅近くの小さな医院の先生と看護婦さんが毎日点滴のため往診に来て頂きました。
トラ叔母さんは薬のせいか、昨晩は枕元にお地蔵さんがいっぱいいたとか、今日は小さな鬼が布団の周りをグルグル回っていると言っていました。そんなある日会社にトラ叔母さんが危篤だと電話がありました。私は直ぐに杉並の家に向かいました。トラ叔母さんの枕元には叔父さんと私の母親と看護婦さんがいました。看護婦さんはもう時間が無いから話しかけてと私の顔を見るなり言いました。
私は枕元に座り、トラ叔母さんに最期の挨拶をしましたが、私が座って1分ぐらいで大きな深呼吸をして安からに旅立ちました。看護婦さんはトラ叔母さんの枕元を指差してトラ叔母さんが立って皆んなを見てますが、見えますかと言いました。私達には何も見えませんでした。看護婦さんが言うには、私が駅から急いで向かっている時から、トラ叔母さんは身体から抜け出して立っていたそうです。私が来るまで、待っていてくれたと言ってました。しばらくすると看護婦さんはトラ叔母さんはいなくなったと言いました。
トラ叔母さんが亡くなり無事に納骨も終わりました。そんなある日,トラ叔母さんが亡くなり半年程経った時です。私は家で子供と昼寝をしてました。時間はお昼の3時頃です。急に目が覚めました。子供は横で寝てます。妻は隣でテレビ見てます。生まれて初めて金縛になりました。動くのは目だけです。その時玄関からトラ叔母さんが入って来ました。
トラ叔母さんはニコニコ笑いながら歩いて来ました。私の子供の寝顔と私を見つめて笑っていました。私は全然怖く無く、トラ叔母さんと話しかけましたがトラ叔母さんは何も言わずただ笑っていました。しばらくするとトラ叔母さんは居なくなり、私の金縛も解けました。
妻に今、トラ叔母さんが入って来たと言ったら夢見たんでしょうと笑われましたが、意識がはっきりしていて夢ではありません。この話しを後日母親と叔父さんにしましたが、やはり夢を見たと笑われました。ただ、トラ叔母さんは今、幸せそうで安心しました。人が亡くなった瞬間を初めて見たり、金縛や亡くなったトラ叔母さんを見たり不思議な経験をしました。
それから数年後、叔父さんが亡くなりますが、その時も叔父さんの亡くなる瞬間に立ち会い,叔父さんの幽霊を何度も見ました。次回叔父さんの話しをします。
作者葉隠
叔父さん,叔母さんを看取った時の実話です。怖い話しではありません。