wallpaper:182
music:4
善し悪しに関わらず、誰しも忘れられない記憶はあるだろう。記憶というのは不思議なもので、消えることはないという。
生まれてから今までの記憶は確実に頭の中に存在する。ただ思い出せないだけなのだ
。その眠ってしまった記憶たちは、匂いや音、人の顔や風景などをきっかけに、ふとした瞬間に目を覚ます。
これは中学の頃の話。
nextpage
wallpaper:182
music:5
あの日は両親に連れられ父方の祖父の田舎へ遊びに行ったんだ。
普段は感じることの出来ない自然の香り、心地よい暑さ。照りつける日差しさえ特別なものに感じた。
nextpage
wallpaper:182
祖父母はとても優しく、何をやっても笑って許してくれる。
友達と会えないのは寂しかったが、長い夏休みのうちの一週間くらいは田舎で過ごすのも悪くないと感じていた。
料理はうまい、空気もよい。
辺り一面何もないが、そこら中に"何もない"があった
頭と体を使った一人遊びは、俺の中の感性を見違えるほどに成長させていった。
nextpage
wallpaper:182
祖父の家に来てから5日くらいたった頃だっただろうか。
牛やニワトリと戯れるのにも飽きてきた俺は、祖父から借りた釣竿を持って近くの川へと向かったのだ。
何もかもがコンクリートで固められた都会で育った俺にとって、魚釣りなんて初めての経験だった。ただ糸を垂らすだけの行為がとても新鮮だった
nextpage
wallpaper:164
祖父宅の裏山に流れる小川の水は、夏だというのに刺さるように冷たく、とても気持ちが良いものだった。
森林浴なんていう言葉が生まれるずっと前だったが、本能的にそれを満喫していたのだろう。
山の中は鬱蒼と木々が繁っていて、半袖半ズボンでは少し寒さを感じるほどだ。
nextpage
wallpaper:164
座りやすそうな岩に腰掛け、見よう見まねで糸を垂らす。
ミンミンと割れるように鳴くセミの声、葉の隙間から差し込む日光、さらさらと流れる穏やかな小川、子供ながらに『これが幸せかぁ』なんて感じたのを覚えている。
nextpage
wallpaper:164
小川は山の上から流れていて、緩やかなカーブを描きながら下へ下へと流れていく。
おそらく、その水が田んぼへ引かれているのだろう。初めての釣りではあったが、場所が良かったのかもしれない。
その日の釣果は鮎が4匹と、座っていた岩の下に隠れていた沢蟹一匹という結果だった。
nextpage
wallpaper:164
気がつくと、差し込む日差しは柔らかなオレンジに色づき始めていた。
"あまり遅くなるな"と釘を刺されていたことを思い出し、立ち上がろうとする。
が、カゴの中を見ている内にある事を思い始めた。
・・・あと1匹釣れば家族に振る舞える。
祖父母に両親、そして俺の分だ。俺が全員分の魚を釣って帰ってきたらどんな顔をするだろう。
きっと皆よろんでくれるに違いない。
そう思った俺は・・・
nextpage
wallpaper:164
もう少し粘ってみることにした。釣りの感覚も掴み始め、あと1匹程度ならそれほど難しくないと思ったからだ。
残る事を決めて数十分。日が長い夏と言えど、だんだんと薄暗くなり始めた。
………。
……。
…。
nextpage
wallpaper:164
music:2
思ったように鮎は釣れず、集中力も切れ始める。ガヤガヤとうるさかったセミの声もいつしか元気がなくなり始め、夜の虫の声が響き始めた。
風が吹く度に辺りを囲う木々がざわざわと騒ぎ、昼間の爽やかな森から別のものへ姿を変えようとしていた。夜のとばりが早く帰れと急かし始める。
そろそろ帰らないと、みんなが心配するだろう。
行方不明だなんて騒がれて近所に迷惑をかけるわけにもいかない。
nextpage
wallpaper:164
よし、アユはまた明日釣りに来よう。
焦ることはない。帰るまでにはまだ日にちがあるのだから。
そう思って立ち上がろうとした時、ずっと座っていたため足が痺れて、バランスを崩してしまった。
幸い岩場からは落ちなかったものの、誤って釣竿を小川に蹴り落としてしまった。
nextpage
wallpaper:164
『しまったぁ〜・・・』
黒く流れる川は、まるで黒い大蛇のようだ。
正直、竿なんて捨ててしまいたかったのだが・・・
あの釣竿は、祖父が俺の父親のために作ったものと聞いていた。
さすがに無くしてしまうのは申し訳ない。帰りたい衝動を抑え、流れていく竿を追いかけることにした。
nextpage
wallpaper:164
川の流れは緩やかだが、運の悪い事に引っかかるような場所もない。
竿はスイスイと流れて行き、歩を止めるとどんどん距離が離れていってしまう。
アユの入ったカゴをその場に残し、流される釣竿を追いかけて川沿いを歩いた。
nextpage
wallpaper:652
music:7
ようやく釣竿が止まったのは、25メートルプールの程度の池だった。
落ち葉などが溜まり、水を塞ぎ止めてできているようで、糸を垂らせばすぐにでも釣れそうな穴場だと直感的に感じた。
明日はここに釣りに来よう。そう思って釣竿を拾おうとした時、
sound:3
ポチャンッ
魚だろうか?池の真ん中から波紋が広がって来る。
その輪は岸まで届く事なく消えていく。
少し背筋が寒くなる。もう帰ろう。
池から釣竿を拾い上げ、今来た道を引き返す。もうすっかり辺りは暗くなっていた。
………。
……。
…。
nextpage
wallpaper:164
ざあざあと騒ぐ木々の音。チロチロと聞こえる虫たちの声、夜の森はもはや自分の知っている空間ではなくなっていた。
自然と歩みが早くなる。なるべく楽しい事を思い出すようにしながら、釣りをしていた岩場まで戻って来た。
岩場に近づくにつれて、虫の声ではない別の音が聞こえてくることに気がつく
・・・ペチペチと何かを叩くような音と、微かな笑い声。
地元のヤンキーがたむろしているのかと思い、俺は気配を殺して近づいた。
木の後ろに隠れながら釣りをしていた岩場を覗く・・・と
nextpage
wallpaper:163
music:3
そこには・・・
俺が釣ったアユを入れていたカゴを覗く人影が見えた。
誰かが俺の釣果を笑っているのかと思ってムッとなったが、どうやら様子が違う。すでに暗くなった森の中、決してはっきり見えるわけではないが、
music:6
その人影は異様に細く長いのだ。人の形はしているものの、明らかに人ではない。そう気づいた瞬間、身体中の毛穴が開くような恐怖に襲われた。
nextpage
wallpaper:163
体を動かすこともできず、木の影からソイツを見続ける。
異様に細長い体を隠すほどの大量の髪の毛、微かに聞こえていた声は、髪の毛に覆われて表情を見ることの出来ない頭から発せられていた。
wallpaper:77
髪の隙間からは焦点の合っていない大きな目が覗いている。
そして、さらに俺を恐怖させたのがソイツの行動だ。
nextpage
wallpaper:77
sound:19
ソイツはアユを取り出しては握りつぶし、しばらく弄んでから岩に叩きつけている。
理性の感じられない笑い声を発しながら。
『ヒ・・・ヒヒィ・・・ヒヒヒヒヒッヒ・・・ヒッヒッ・・・ヒヒヒィィィ・・・』
長い髪を振り乱し、食べる訳でもなくアユを潰すその姿は人間的でも動物的でもなかった。
あれに見つかったら俺も殺される。本能的にそう感じた。
息を殺しソイツがいなくなるのを待ち続ける。
nextpage
wallpaper:163
music:3
それからどれくらい時間が経っただろう。
相変わらずソイツは、アユだったものを飽きもせず弄んでいる。すでに形は崩れ、ただの肉片に変わり果てていた。
そんな中遠くの方から自分を呼ぶ声が聞こえてくる事に気がついた。それもかなりの大勢だ。きっと近所の人たちを連れて俺を探しに来てくれたのだろう。
助かった。そう思うと自然と涙が溢れて来た
それでも、まだソイツはそこにいる。声には気づいているようだが、消えようとしない。
nextpage
wallpaper:163
俺は大人達が近づいて来てくれるのをじっと待ち続けた。
『おーーいタカシ!タカシ!どこだぁー!』
どんどん声は近づいてくる。ここまで来てくれるのも時間の問題だろう。
『タカシーー!返事してー!タカシィィィーー』
………。
おかしい。明らかに大人達は近づいて来ている。
にもかかわらず、細長いソイツは一向に消えようとしないのだ。
nextpage
wallpaper:163
『ヒヒヒヒヒ・・・ヒッ・・・イィィィ・・・ヒッ・・・ヒッヒッヒッ・・・ヒッヒッヒッヒッヒッヒッ・・・』
枝のように細い手足を振り回しながら不気味な笑い声を上げ続けている。
耐えながらじっとしていると、やがて懐中電灯の光がチラチラと見え始めた。
いよいよ助かった。そう思ったが、ソイツはまだその場にい続け、音の方に顔を向けている。
nextpage
wallpaper:163
大人達がこの得体の知れないものを見たら、どんな反応を示すのだろうか。不安を感じながら木の影でじっと待つ。
やがて大人達が岩場に入って来た。が、得体の知れないソイツは動かない。
『おい、タカシ!タカシか!?みんなぁ!いたぞぉ!』
大人達にはあれが見えていないのだろうか?異様な姿の化け物がいるにも関わらず、それを気にした素振りもない。
『タカシ!しっかりしなさい!タカシ!』
nextpage
wallpaper:163
回りには大勢の心配そうな表情をした大人達がいる
それなのに、誰一人目の前の生き物に反応しないのは、ソイツは自分にしか見えていないからしか思えない。
まだ反応してはいけない。きっとあいつは俺を待っているのだ。釣りをしていた時から俺を見ていて、流された竿を拾って戻るのをあの岩場で待っていたのだ。
そうじゃなきゃただあの場にとどまっていた理由がない。
nextpage
wallpaper:163
反応してはいけない。反応してはいけない。反応したら気づかれる。
大人たちは、俺が迷子になって参ってしまったのだと思ったようで、父親が背負って連れて帰る事にしたらしい。
何年かぶりに父親に背負られ、ゆっくりと山を下る。あの化け物の横を通り過ぎるとき、
nextpage
wallpaper:878
俺はずっと目を閉じていた。俺にしか見えない。あいつは俺に気づいたのだろうか?
sound:19
『ヒヒヒヒヒヒ・・・ヒッ・・・タカシ』
空耳かもしれないが、俺がやつの隣を通過するとき、俺の名前を呼んだ気がした。
それから数日間は祖父母の家から出る事なく、そのまま帰宅の日を迎えることとなった。
あの裏山での出来事は、結局まわりの大人に話すことはできなかった。話したところで相手にもされないだろう。
nextpage
wallpaper:878
大人には見えなかった化け物。今でも時々、あの不気味な笑い声が記憶の彼方から蘇ることがある。
あれから特に変わったこともなかったが、おれの中に大きなトラウマとして傷跡を残したのは間違いない。
END『友釣り』
作者砂吹
以前ネットで見たものを上げました。他にもENDがあるので上げたいです。