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長編24
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数獲る

伊藤 早苗は困っていた。

深夜、冷房を効かせた部屋で布団に包まり、幾度となく寝返りを打ち、同じ事を繰り返し考える。

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人生も折り返し地点を迎えたが、今が女盛りとばかりに何事も臆する事なく向き合う日々。

あまり深く考える事のない、よく言えば前向き、悪く言えば不真面目なその性格が、昼間職場で聴いた噂話をどう捉えるべきか思考を巡らせている。

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(何であんな話を聞いてしまったのか……)

野次馬根性が原動力、噂話は大の好物である自らを今更ながら呪っていたが、聞いてしまったものは仕方がない。

昼間に聞いた話を思い返し、明日の仕事に備える。

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清掃員の仕事は体力勝負だ。

様々な現場へ派遣され、時間通りに業務をこなし、正確性が求められるのは当然であり、加えて作業員としての愛嬌も必要不可欠だ。

得意先からの信頼の獲得を目指し、従業員自身が商品足り得るとの社訓のもと、切磋琢磨し活気のある仲間達。

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大袈裟で熱苦しい社長の考えも性に合っていたのか、派遣先での伊藤の評判は良く、同僚からの信頼も厚かった。

忙しい仕事の合間に交わす雑談が彼女にとっての憩いの場で、その日もお目当の噂話にありつく事となる。

連日の茹だる様な暑さにフラつき、タオルで汗を拭いながら派遣先の休憩室に入ると、同僚の中年女性二人が何やら話し込んでいる。

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「ねぇ聞いた?まただってよー。やっぱりあの話本当なんじゃないの?」

「まさか〜。だってただの噂でしょ?偶然偶然!」

先程までの単調な作業で疲れきった小太りの身体が、同僚のやり取りを察知し、自らの独特な嗅覚を研ぎ澄ましていく。

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「はいストップー!ちょ、嘘でしょ!? アチシ抜きで面白そうな話?聞かせてよ〜」

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いつも通り噂話に割って入ると、話していた二人は待ち構えていたかの様に伊藤に向き直り、同僚の一人の太った女が勿体つけた様に語り始めた。

鈴木という若い女性清掃員がいた。

彼女は社内でも随一の仕事の早さ、正確さで得意先からの評価も高く、様々な現場をこなす稼ぎ頭であったが、あるビルへの数回の派遣を最後に無断欠勤をした。

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その後も出勤をする事なく、未だに連絡すらつかない状況で一ヶ月が経過していた。

彼女のスケジュールの穴埋めを伊藤達スタッフでフォローする事となり、会社はこれまでにない混乱を強いられていた。

同僚の間では、親族に不幸があり故郷に帰ったとか、元々痩せて不健康な容姿から病気を罹っていて入院しているとか、男に惚けてどこか別の土地に行っただのと、好き放題な噂が飛び交っていた。

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「でもね、本当の理由聞いちゃったの……」

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同僚は何個目かわからない菓子パンの袋を開けさらに続けた。

ある日社長が得意先と電話で話している内容が耳に入って来る。

数々の取引先から信頼を得ていた鈴木の不在を惜しむ声も多く、社長は取引先への説明をしていた。急に来なくなって連絡がつかない事、代わりの人間を派遣するのでスケジュールに支障はきたさない事を平謝りに話していた。

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『関係無いとは思うのですが、音が数えて来るとか訳のわからない事を言っていまして……ええ、皆目検討もつかない状態でして……』

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「それでね、一昨日鈴木さんが最後に派遣されたビルに、山ちゃんが就いたらしいのよ。あのおっさん鈍臭いからちゃんと務まるかなーって思って連絡したのよ。そしたらほら。」

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太った女は山本という同僚とのやり取りである、携帯電話のメッセージ履歴が映った画面を見せて来た。

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『今日の現場、何か変な感じがしたよ。ビルで働く新人ぽい男の子が納品された物を1、2、3って数えているんだけど、50メートルくらい離れたところでブツブツ喋っている筈なのに、凄くはっきり聴こえて来るんだ。

その後も作業道具を4回落としたり、帰り道に犬に5回吠えられたりして、その度に頭の中で数を数えてしまうんだ。というか数えさせられている感じかな?』

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「実は山ちゃん、昨日から欠勤していていくら連絡しても繋がらないの。鈴木さんの言葉と山ちゃんの言葉、似てるでしょ? 昨日からそのビルに派遣されると、呪われるんじゃないかって噂で持ちきりよ……そして伊藤ちゃん、今話したビルがあんたの明日の派遣先になっていたわよ。」

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「え嘘でしょ!? ウソウソー! 何それブーちゃんが考えたん? アチシは霊感とか無いし、理系じゃなく意識高い系女子だから平気よ〜」

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伊藤がブーちゃんと呼ぶ太った女は、スナック菓子を食べながら人ごとの様にニヤついついるが、当の伊藤は意に介せず冗談で返答していた。

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ピピピピピピピピピピ……カチ!

眠い目を擦りながら目覚まし時計を止める。

伊藤の困惑は夜通し続き、カーテンの隙間から朝の光が漏れ出すまで考えを巡らせていた。

支度を済ませ自宅を後にする。

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電車で30分程のその日の現場は、伊藤が昨日同僚とのやり取りで話に出た“例のビル”だ。ビルに着くと、長身で眼鏡を掛けた青年が職員用通用口に立っていた。

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(そういえば今日の現場、この子と一緒だったわね)

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伊藤は最近この阿部真という新人の彼と現場が一緒になる事が多いが、彼は新人ながら仕事をそつなくこなし、礼儀正しく何より伊藤と打ち解けるのが早かった。

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「お疲れ様です。今日も暑くなりそうですねー。あーメンドクサー」

空を見上げ気怠く言葉を吐く彼は、25歳の若者らしいと言えばらしいなと伊藤は母親の様な眼差しを向け返答する。

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「しんちゃんおはよう! 確かに昨日も凄く暑かったからねー。倒れない程度に頑張ろう! 」

伊藤がバチッと阿部の背中を叩き追い抜いて行き、阿部が痛っ! と迷惑そうな顔を向けるがすぐに笑顔で後を追うという何時ものやり取りがその日も行われた。

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「おはようございます!宜しくお願いします!」

いつもの元気な挨拶で現場に就き、オフィスの廊下で作業の準備に取り掛かると、不意に背後から力無い声で呼び掛けられる。

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「あのぅ……清掃会社の人……ですよね?」

伊藤が振り返ると眼鏡を掛け細身なその身体を震わせた、そのビルの女性社員が立っていた。資料を胸の前で抱えた左手首には石のブレスレットがされていた。

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「うわっ! ビックリしたー! 何? あごめんなさい。急に現れるから驚いちゃって……お嬢ちゃん、アチシに何か用? あ、しんちゃん先行ってて」

伊藤は彼女の様子に只ならぬ何かを感じ、殆ど無意識に近く阿部をその場から離れさせた。彼女は遠慮のない伊藤の態度を気にする事もなく続ける。

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「実は先日、貴女と同じ清掃会社の作業員の方とお話をしていまして……一度目は鈴木さん、二度目は山本さんという方でした。

お二人とも共通してお話しされていた事があり、私の先輩社員も同じ事を話していたので、思わず貴女に声を掛けてしまいました」

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その女性社員は田中と言い、周りを気にしながら小声で話している。伊藤は彼女の話を聞き確信めいたものを感じていたが、それはこの先の途方も無い絶望の始まりに過ぎなかった。

「嘘でしょ…… 田中ちゃん! その話アチシに詳しく聞かせて? 」

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伊藤と田中は、夕方に駅前の喫茶店で待ち合わせの約束をし別れた。

テキパキと作業をこなしながら伊藤は田中の話した事を考えていた。昨日職場の同僚に聞いた鈴木と山本の事もあり、緊張し臨んだ現場であったが、予想より早く噂の手掛かりを掴めそうな状況に酷く不快感を覚える。何かに誘われているのか、予定調和のレールの上に乗せられている気持ち悪さがあった。

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阿部との現場は退屈しない。適当に休んで適当に頑張り、抑えるところはきっちり行うという伊藤と阿部の仕事スタイルは共通していた。今回の作業も早めに終わり、彼らは適当に時間を潰してから退勤となった。

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伊藤は阿部を先に帰らせ、駅前の喫茶店へ向かう。先に店に到着したのは伊藤であったが、逸る気持ちを抑え待つ事もなく田中は直ぐに現れた。彼女は席に座り珈琲を注文すると、真っ直ぐに伊藤を見据え語り始めた。

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「最初は今の会社に社員として入社したての4月頃でした。先輩社員達が多くいる中、良く話すグループの中に誘われて5人で楽しく話していました。しかし間も無くして仲間内のある女の子の様子が徐々におかしくなって行き、妙な事を言い始めたんです。

『数が頭の中に訴えかけて来るの。何かが落ちる音や叩く音、鳴らす音で聴く度音の回数が増えていくの。』

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6月になり変な事を言っていた同僚の女の子が仕事に来なくなって、連絡も取れなくなったんです。その娘、少し変わった子なのかなって、皆んなの気を引きたかったんだと思っていたんです」

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それでですねと田中はテーブルに上半身を乗り出し前のめりに話す。

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「その後また別の同僚が音信不通の彼女と同じ事を言い出したんです。それから一人、また一人と同僚が仕事に来なくなりました。とうとう私一人を残して皆んな居なくなってしまった……

欠勤している同僚の家族に問い合わせると本人は失踪をしていて、警察にも届け出をしていました。多分他の皆んなもその娘と同じ状況だと思いますし、鈴木さんと山本さんも……ごめんなさい」

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田中は店員が珈琲を運んできたのを見て、口をつぐみ目の前にある水を一気に飲み干した。

「田中ちゃんちょっといい?友達が居なくなったのは分かった。確かに鈴木さんと山ちゃんは仕事に来て居ないし、山ちゃんに至っては数字が何ちゃらっていう事も言っていたらしいの。

でも失踪した人達の共通点ってそう簡単に見つけられない筈よね? 」

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伊藤が我慢しきれないと言った様子で田中へ質問を投げかけるが、田中は目を閉じ右の掌を前に出し伊藤を制す様な仕草をした。

ここからが本題なんですと田中は声のトーンを落とし再び話し始める。

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「同僚が次々と消えていく中、遂に私一人になりどうしようもない絶望感に苛まれていました。そんな時鈴木さんが声を掛けてくれて、一連の事象には法則があるという事を教えて下さいました。

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第一にそのビルに足を踏み入れた人は数字の呪いに魅入られる対象となり、第二に呪いに魅入られるのは一度に一人という事、第三に数字の呪いでは頭の中で数字がカウントアップしていき、失踪した人が共通して証言している様に十まで行くと呪いが成就するという事、第四にビルに入っても頭の中でカウントが始まらなければ、以降足を踏み入れなければ大丈夫との事でした。

鈴木さんはこのビルで起こっている現象に興味を持

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ち、ビルに派遣される以外の日にも様子を見に来ていて、この法則を見つけたと言っていました。

『7人。今まで消えた人の数。もうアタシも手を引くわ。貴女も悪い事言わないからこのビルには足を踏み入れない方がいいわよ』

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鈴木さんがそう語ったのは、彼女が最後にこのビルに派遣された日で、私が鈴木さんを見た最後の日でした。私がこのビルから離れない理由は、もう“数字が聴こえいてる”からなんです……その後山本さんという方がこのビルに派遣されて来ました。人当たりが良かった事と、これ以上被害者を出したくないという想いから、今の話を私から声を掛け伝えましたが、彼は一度会ったきり見なくなりました。

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これからどうしていいのかも分かりません。でも、鈴木さんは何か手掛かりを掴んでいると思うんです。伊藤さんや、朝お会いした男性作業員の方にはこの様な禍が降りかかってはいけませんので、残された時間私はできる限り真相まで近づけるように頑張ります」

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田中が話し終えるのとほぼ同時に、“明日から8月だな〜”と言う話し声が店内の何処かから微かに聞こえ、その瞬間田中はビクっと身体を強張らせブルブルと震え出した。伊藤はその様子を見て、自分には朧気に聴こえていた数字が田中には明確な訴えとして伝わっていると悟った。

“8”

目の前の女性に残された時間が少ない事を認識しながら、伊藤は笑顔で田中に向き直った。

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「大丈夫! 今日のビル、次派遣されるまで時間があるからアチシ色々調べてみる。正直最初は怪しい勧誘かとも思ったけど、田中ちゃんが鈴木さんや山ちゃんとも面識があったんならアチシも一肌脱ぐしかないもんね! 任しといて」

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伊藤と田中は連絡先を交換し、喫茶店を後にし駅で別れた。

帰りの電車の中で伊藤は考える。息巻いては見たものの何をどうすれば良いのかもわからず、夕食の献立と今日の事が同時に頭を巡っていた。

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(何やってんだろ……)

伊藤は何処かで冷静にそう考えてはいたが、今日の話を聞いた後、行方不明の鈴木と山本を捨て置くわけにも行かず、一旦明日鈴木の家に直接行って確かめる事にし考えを無理やりまとめていた。

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次の日、伊藤は午後に終わった人間ドックの帰り道に、炎天下の中重い足取りで帰路を目指していた。医者である夫に日々の生活習慣を咎められ強いられた人間ドックは、伊藤にとっては苦痛でしかなかった。

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暑い日差しに火照った身体、空腹の境地に達した伊藤の胃袋はスーパーの酒類と惣菜コーナーを蜃気楼のように想像させる。フラフラと歩いていると、近くに鈴木の自宅がある事を思い出し辺りを見回す。

伊藤の自宅近所のアパートに鈴木は住んでいた。一度、伊藤の入社歓迎会で鈴木と一緒になり、帰り道お互い近所だという事が分かり意気投合した覚えがあった。

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記憶を頼りに周辺を捜すと、新しく綺麗な外観のアパートに辿り着き、鈴木の住んでいる場所の記憶と目の前の建物が一致した。郵便受けを確認すると201号室に鈴木の表札がある。既にチラシなどが大量に入った郵便受けから、彼女が不在にしていることが見て取れたが、オートロックでは無い事から念のため本人の部屋の前まで行く事にした。

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インターフォンを押すが反応は無く、ドアノブを握るが当然の如く鍵が閉まっている。ふとドアの隙間に白い紙が挟んであるのを発見し、その紙を取り出す。紙はメモ用紙の切れ端で二つ折りにしてあり、開くと二行程の文字が書いてある。

『二人目で零になる。一人目は存在を消し身を潜め、見つかってはならない。』

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凡そ殴り書きに近い状態で書かれたその文字は、読めはするものの意味はまったく理解が出来ないものであった。何かのヒントだとは漠然と感じることができるが、恐らくあのビルでの一件の真相に限りなく近い内容であると伊藤は予感していた。平日の住宅街、人気は無く蝉の音だけがけたたましく鳴り響いていた。

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近所のスーパーで買い物を済ませ自宅に帰り着くと、エアコンとテレビをつけベランダの洗濯物を取り込む。伊藤にとっていつも通りの行動であったが、テレビから流れて来るニュースの内容はいつもとは違った。

『今日未明、○○県○○町の山中で男女複数の変死体が発見されました。自殺と殺人の両面で捜査されているようです……』

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耳に入って来た物騒な内容に思わず手を止めテレビに目をやると森の中が映し出されテレビ画面の左上には“遺体が発見された山中”とあり、下の方には“「人が数人折り重なって倒れている」と警察に通報”というテロップが出ている。

男女複数の変死体……

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伊藤は妙な胸騒ぎを感じつつ、冷蔵庫に冷やしてあったビールを取り出し、それを渇いた身体に流し込みながらそのニュースを注視した。

ニュースの内容は山中で変死体が8体発見され、其々折り重なる様にして積み上げられ横たわっていたこと、そして何れも身元が判明しているとの報道であった。やがて画面が切り替わると同時に会社員の○○ ○○さん(24)○○ ○○さん(23)……ら8名とテロップが出ていた。

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「え!? 嘘でしょ? ……」

伊藤は目を見開き口元を右手で覆い愕然とした。

テレビ画面に映し出された名前の中に山本の名があった。

(どうしようどうしよう……どうすればいい? )

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激しい鼓動とともに不安と恐怖が伊藤を襲う。

この感情を抑えきれず、自然と身体は携帯電話を手にし職場へと電話を掛け社長に繋いでもらう。

「もしもし!? 社長、ニュ、ニュース見ましたか? 山ちゃん、山本さんが……や……」

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言葉の出ない伊藤を落ち着かせる様に社長はゆっくりと返答する。

「分かっているよ。今朝ニュースを見てご家族へ連絡をしたよ。憔悴しきっていていたたまれなかったがね、間違いないよ。この事は私が対処しているから。仲間がこんな事になって辛いと思うが、悪戯に混乱を招いてはいけないよ」

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「すみません……取り乱してしまって。あっ! あの……鈴木さんは?鈴木さんは無事なのでしょうか? 」

ニュースでは名前がすべて出ていなかったため安否を気遣う気持ちと、伊藤の中でニュースの内容と“何か”が符合している様な気がして質問が自然と口をついて出た。

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「無事かどうかは分からないが……まぁ発見された8人の中には含まれていないよ。鈴木さんの御家族へ連絡したけど、今日のニュースを見て直ぐに捜索願を出している警察署に電話して、彼女は該当してないと確認が取れたそうだ」

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そういう事だからくれぐれも気を付けなさいと言う、どうとでも取れる言い回しで社長は電話を切り、伊藤は大きな溜息と共にリビングのソファーに身を埋めた。

同僚の噂、田中の話、そして山本の死により避けようのない“音の呪い”についての繋がりが現実味を帯びていく。

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ただ一つの矛盾点を除いては。

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鈴木が失踪者7名と語った後山本が姿を消していて、遺体として8名が発見されたのは頷ける。しかし山本の失踪以前に鈴木が消息を断っていた事実から、様々な疑惑が湧き上がる。

鈴木は生きている?

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行方が知れないという事には変わりがないが、何かしら真相に近付き単独で行動をしている可能性はある。鈴木の消息が掴めればというもどかしい気持ちを感じながら、もう一つの事実を確認しなければならないと伊藤は考え、再び携帯電話を手にした。

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「もしもし……」

数コールで田中は電話に出た。伊藤はニュースを見た事、遺体として発見された中に山本が含まれていた事、そして残りの7名は田中の同僚なのかという質問を投げかけた。

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「私も昼休みにニュースを見ました。同僚の3人と残りの4人は同じビルで働く社員の人達で、会社中大変な騒ぎになっています」

やっぱり……予想が当たっていたからといって何が判明する事もなく、伊藤は途方に暮れるばかりだった。電話を切った後、この事象に関して改めて整理と推理が必要と考え、伊藤は静かに考え始めた。

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今わかっている事は、ビルに足を踏み入れた人間にある日突然訪れる“音が数える”という現象。その音が訴えかけてくる数はカウントアップして行き10を数えた時点で対象者は消え、山中で変死体として見つかる。この所謂“呪い”の現象について推理を展開していく上で、対象者、呪いの元凶、助かる方法、の三つを考えていく。

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対象者はビルに足を踏み入れた人という事のみであれば、今頃はビルに関わった人間すべてが変死体で見つかるはず……そう考えると“音の話”を聞いた人、これが対象者となり、呪いの元凶は一番最初に“音が数える噂”を話した人間。

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この人間は明らかな悪しき意図を持って噂を流したに違いないが、その理由までは推し量る事は出来ない。助かる方法は鈴木のアパートにあったメモが手掛かりだが、さっぱりわからない。

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伊藤は実際に音の呪いにかかってはいないため、助かる方法については不確定要素が多すぎる。逆に言えば呪いにかかって初めて真相に近づける、そうでもしないと現状で判断材料のない状態ではこれ以上先に考えを巡らせる事は出来なかった。

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ただそこまでする理由がない。もうビルに足を踏み入れ無ければいいのではないか?伊藤は夕食の支度をしながらそう考えていたが、肝心なところは推理が纏まらず明日派遣される別の現場の事を考え始めていた。

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次の日以降、いくつかの現場をこなしているうちに一週間が過ぎていて、伊藤のスケジュールでは数日後に例のビルへの派遣が迫っていた。

この一週間、仕事に追われながら田中との連絡は欠かせず、テレビや新聞のニュースを逐一確認をしていたが、特に目立った動きは見られなかった。

数日後、現場のビルへは前回同様阿部と就く事になり、いつも通りそつなく仕事をこなしていく。

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ガコンッ!

カン!カン!

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隣のビルの改修工事の音がやけに耳障りだったが、特に気にせず仕事を進める。田中から連絡があり、仕事終わりに状況確認も兼ねて落ち合い話す事となった。

退勤後阿部を先に帰らせ、駅前の喫茶店に向かうと既に田中が待っている。

ご無沙汰していますと話す田中を見て、伊藤は今日のため胸に秘めていたある一つの質問を投げかけようとする。

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「……3番テーブルお願いします! 」

伊藤が口を開こうとした瞬間、喫茶店の厨房内で話されたスタッフの声が、店内の彼女達がいる窓際まで聞こえて来る。通常なら気にかける事のない声だが、店内でも厨房から一番遠い窓際の席まで厨房の声が聞こえ、音に対しての違和感により伊藤は心の中で一言呟いた。

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(ああ、始まっていたんだな……)

“音が数える”という現象、或いは症状が伊藤を対象として始まり、既に数える数が3に達していた。彼女はそう考えると同時に、自らの身体を覆う重苦しく張り詰めた空気を感じ、明らかな変調を認識していた。

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伊藤が厨房の方に向けていた視線を田中に戻すと、彼女は伊藤の事をじいっと見つめていた。田中の微かな反応も具(つぶさ)に拾い上げる様な瞳を見て、伊藤の中でのある仮定が確信に変わる。

「田中ちゃん、ちょっと聞きたいんだけどさ、あんたビルで起きている“音の呪い”についてアチシに話してない事、隠している事があるんじゃない? 」

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伊藤の中での確信、それは田中こそが“音が数える呪い”の元凶であるという事であった。

伊藤が初めて田中と出会った日、“音”の話を田中から聞いた時には田中の“カウント”は8だった。そこから約二週間近く、ほぼ毎日の様に田中との連絡を行なっていたが彼女に変化はなく、カウントがすすまないことで伊藤は安心感と同時に違和感を感じていた。

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そして確信が決定的になった要因は、伊藤が呪いにかかったという事。田中は鈴木の立証した呪いの法則の中で、“呪いに魅入られるのは一度に一人という事”と語っている。

田中が今現在伊藤の目の前にいて伊藤が“音の数”を聞く事には矛盾が生じ、さらに言えば田中自身呪いにはかかっておらず嘘をつき演技をしていたという事になる。

その動機は人を陥れるためで間違いないがその理由が解らない。

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「え!? え? どういう……なんですか急に。伊藤さん、まさか“音が数える”のを聞いたんですか? 」

田中は目を丸くしながら答える。

「そうよ、もう“3”を数えたわ。これでもう隠す事はないでしょう? 話を聞かせて欲しいの」

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伊藤は田中の眼を真っ直ぐ見て話すが、田中はオドオドとしていて自らの肩を抱き視点が定まらず、俯き肩を震わせながら話し始めた。

「ブッ! ……ブッフフフフフッ!! 確かに、もういいわね。プフフッ、真剣な表情しちゃって。はぁー疲れたー、演技は疲れるのよね〜でも楽しかったわ。これでもう気兼ねなく話せるわ……さて、先ずは私が媒体になった呪いの伝染についてから話そうかしら。」

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田中はこれまでの雰囲気とは一変して、眼差しは鋭く、声色は強く、目の前に誰もいないかの様な自己中心的な話し方となっていた。伊藤は唖然とし言葉を失ったまま、田中の語る真相を聞く事しか出来ない。

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「音が数える呪いの様な現象、これを“数獲る(かぞえる)”というの。私の故郷に伝わる、“数を進め魂を獲る”という意味の禁じられた儀式における呪術。数獲るに関する法則は以前私が説明した通りのもので概ね当たりだけど、捕捉と修正があるわ。

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呪いの発動条件はあのビルに足を踏み入れる事ではなく、私と会って“ある物”を目にして数獲るの噂話を聞く事。そして聞いた話を頭の中で如何にイメージ出来るかで初めて“音が数える”様になるの」

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ある物とはこれ……と田中は左手首の石のブレスレットを伊藤に見せると、伊藤はハッとした様子で眼を見開いた。

なんの変哲も無いその辺に落ちている様な石が大小紐で繋げてあり、田中の手首に巻き付いている。伊藤は確かに田中と初めて出会った時、そのブレスレットを見ていた。

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「これね、“忌石(いみいし)”っていうの。これは『数獲る』という儀式により造られた呪物なの。

死体を10体集め石と共に穴に埋め、一年後に死体の埋まっていた場所の石を掘り起こし取り出す。死者は病気で苦しんだ人、無念の淵で亡くなった人がより一層強い呪いを生み出せるとの言い伝えなの。その石を見た者に数獲るの噂を吹き込めば、聞いた人の想像力によっては一日で、遅い人でも数週間で“音”が聴こえる。でも最初から信じていない人はイメージすらしない訳だから、聴こえる事はないわ。

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この忌石を持つ者が呪術者となり一人の呪術者が呪う事の出来る人数は9人。最後に自分自身が数獲るに取り殺されて10人となり完結する。

貴女の考えている事は分かるわよ。呪いから逃れるために、その対象者と媒体となる人物、そして助かる方法を探っていたのよね。

対象者は忌石を見て話を聞いた者、媒体は私、助かる方法は……ふふふっ安心して、ちゃんと教えてあげる」

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田中は相手に不快感を与えるほど、ネットリとしたペースで話を進める。暫くの沈黙、田中は伊藤の眉をひそめた顔をジロジロと弄ぶ様に、ニヤニヤし眺める。

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「あはっ! 御免なさい、愉しくて。それじゃあ助かる方法だけど、一つの答えは、カウントアップされていく次の数字を自分の口で言う事。笑っちゃうくらい簡単でしょ?

これだけで数獲るの呪いは止まる。一旦はね。でもまた始まっちゃうの。さあどうしよう? 本当の助かる方法は鈴木さんが教えてくれたんじゃないの? メモかなんかで」

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ニヤニヤした表情で尚も話す田中を見て伊藤は、胸のざわめきを感じながらなんとか一言を絞り出した。

「どうして……?」

「そう、どうして私がそんな事を知っているのか。答えはね……」

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田中は眼鏡を取り、化粧ポーチからコットンを取り出し顔を拭っていく。見る見るうちに田中の顔面は変化して行き、ある人物の顔へと変貌を遂げた。

「……!? 鈴木さん? 」

思わず口にした名前の人物が目の前に座っており、最早伊藤は理解が追いつかず呆然と“鈴木”を眺める。

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「はーい! ふふっ、田中と言う女は私が演じていた人物。まぁ鈴木もだけどね。アタシはビルでは清掃員として一人、また一人と“数獲る”の力を試した。そして貴女や山本の前では清掃員の鈴木を演じた後ビルで会った時にはOLの田中を演じていたのよ。

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勿論私の在籍は清掃会社よ?あの大きいビルで沢山の人の中部外者かどうかなんて分からないわ。セキュリティは清掃員として通る事は容易かったしね。

数獲るは今8人、残り1人が私の本当の標的であり、その人を葬る事で10人目の私も気持ち良く逝ける。そのために二人の人間を演じこんなにも回りくどい事をしてきたの。その標的って誰だと思う?

あなたよ! 」

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伊藤には鈴木がそこまでする理由も意味も、さらには彼女の一番の標的が自分である事もまったく理解が出来なかった。

「アチシ? アチシが何をしたの? 教えてよ。全然身に覚えがないの」

鈴木はゆっくりと瞬きをし、伊藤の眼をしっかりと見据えたまま話し始めた。

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鈴木は人里離れた田舎町で生まれ育った。彼女は両親と祖母と共に貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。

ある日父が町の診療所で病の診断を受け、手術が必要であるため大きな病院で検査をする事になった。父が直ぐに地方から都心部の大学病院へ行き、精密検査を受けると主治医からは、手術が必要だが難しいものではない、問題なく完治するとの心強い診断結果を貰えた。

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父親は喜び勇んで故郷に待つ妻と娘にその吉報と、数日になるが入院、手術後間も無くして帰郷できる旨を伝えた。

それから数日後に父を待つ家族のもとへ一本の電話が鳴る。父親の元気な声を期待していた妻だったが、電話の向こうからは病院の看護師からの事務的な内容が機械的に伝えられた。

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父親は手術中急変を起こし、亡き人となってしまった。妻は倒れ娘は泣きじゃくり現実を受け入れられないまま、家族には抜け殻の様な日々が訪れた。それを見かねた祖母は大学病院へ足を運び、手術を行った医者へ直接話を聞きに行く事にした。

妻は元々病弱な事もあり、夫の他界により床から離れられなくなる。娘は母を看病しなければならない事を解りながらも、どうしても祖母に着いて行き主治医の説明を受け無ければ気が済まなかった。母親は反対をせず、祖母と娘を送り出した。

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大学病院へ行き主治医と対面した祖母と娘は、説明を受け入れる事は出来なかった。何故ならば父が急変した理由は、明らかな手術ミスであったからだ。主治医はそれを正直に話し、頭を下げ補償だのなんだのと続けてはいたが、祖母と娘は怒りに震えその主治医の顔を脳裏に焼き付け病院を後にした。

自宅に帰り着くと、床に伏していた母親は冷たくなっていた。誰にも気付かれず眠る亡骸を前に、娘は復讐を誓った。この気持ちに寄り添う祖母は意を決した様に孫に対し、その昔今住む町が村だった頃からの伝承を語り伝えた。

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“数獲る”という呪術があると、人知れず神社に祀られている“忌石”という呪物があると……

鈴木の口から淀みなく語られた内容に、伊藤はあっと声を漏らしていた。

「そうよ。そのお医者さんは貴女の御主人なのよ。あ、な、た、の! 」

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現在は町の診療所で細々とやり繰りをしている伊藤の夫は、過去に都心の大学病院で医者として名を馳せていたが、医療過誤により大学病院を追われ、身も心も贖罪を背負い生活をしている。

伊藤は夫の苦悩と葛藤の日々を間近で支えて来た唯一の理解者であった。だからこそ反論をしたい気持ちを抑え、その先の鈴木の話に耳を向ける。

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「それからアタシは一時もその医者の事を忘れず、寧ろ成長と共に憎しみも増大して行った。

そして彼の所在や家族構成まで調べ上げ、アタシの手に入れた“数獲る”と言う諸刃の剣を、いかに有効に復讐に使うかを考え抜いた結果伊藤さん、貴女を呪いの標的にする事に決めた。

彼の家族である貴女が呪われる事で、大切な存在を失う悲しさ、絶望、苦しみを最も強く与える事が出来ると考えたから。貴女にも深い恐怖を与えるため、そしてより確実に仕留めるため、8人で試したというのがこれまでの経緯。因みに清掃会社で呪いを発動しなかったのは、従業員数からしてすぐバレて呪いの遂行に邪魔が入る恐れがあるからよ」

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「あんたは復讐を遂げるために、呪いという手段を使っている。でもその呪いの種明かしを自らしている。これは矛盾していないかしら? 」

伊藤は疑問に感じていた事を素直に口にした。

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「フッ、気が変わったのよ。呪いから逃れるヒントは与えたけれど、逃れたとしても別の誰かが呪われる。例えばあの阿部とかいう新人君、“忌石”を見てるから“数獲る”の話を彼にすれば呪いの対象になるわ。

即ち貴女が助かっても助からなくても辛く苦しい未来が待っている。どう? 素敵でしょ? アタシは9人目を期待して待つだけよ。これで真相は大方喋ったわね。後は貴女の推理次第よ。せいぜい頑張ることね、そして苦しみ抜いてね」

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それじゃあ、と席を立ち背を向けた鈴木は立ち止まり、思い出した様に振り返る。

「そうそう、一度でも呪われた人が“助かる方法”を教えたら、即刻死が待っているって文献に書いてあったわ。足掻くにしても良く考えてね」

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鈴木は静かに嗤いながら店内から去って行った。

彼女の狂気に触れ、如何ともし難い複雑な気持ちに触れ、伊藤は眩暈がし倒れ込みそうになるが、現状の把握とこれからすべき事を考え踏み止まる。

今現在伊藤は呪われていて、この呪いを解き阿部にその禍が降りかかるのも防がなければならない。

(そんな事できるのだろうか……いや、やらなければ! )

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伊藤はそう決意し喫茶店を後にした。

帰宅路では数獲るの呪いに怯えながら移動し、無事に自宅に帰り着く。遅れて帰宅した夫は彼女の顔色を心配して声を掛けて来たが、平気だと言い早々と寝室に入り独りとなる。伊藤は明日もあのビルへ阿部と共に派遣されるため、取り留めのない思考は渦を巻き止まる事がない。しかし今日の出来事に伊藤の心は当の本人も気づかないほどに疲弊しきっていて、彼女はベットに倒れ込んだ途端に睡魔に身を委ねた。

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ふと目を覚ますと、伊藤は身体の状態から自分が深い眠りに就いていた事に気付き、ベッド脇にあるデジタル時計に視界を移す。

04:56

視界に訴えかける様に数字が飛び込んで来だ事により、伊藤ははっとしてある数字を口にする。

「7」

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喫茶店で聴いた“3”という数字、そこから数が進んでデジタル時計が4時56分として“6”までを提示して来た。鈴木から聞いた“数字を止める”方法、次の数字を口に出して言う事を彼女は実践した。

伊藤は今まで感じていた重く張り詰めた空気が、スッと身体から抜けていくのを感じた。

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鈴木は助かる方法について本当の事を言ってはいたが、数時間後に阿部と就く派遣先は“例のビル”のため、鈴木が様々なかたちで数獲るの話を阿部に仕掛けて来る恐れがある。例え後一人であったとしても、これ以上被害を出させるわけにはいかない。何より阿部を守らなければという強い想いから、伊藤はある策を思い付く。

鈴木のアパートに残された“メモ”を手に取る。

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『二人目で零になる。一人目は存在を消し身を潜め、見つかってはならない。』

伊藤が実践した“助かる方法”は、呪いの対象者を阿部に変える結果にはなったが、メモの内容から推察すると、阿部が伊藤と同じ方法を取れば二人目となり、“9人目”が空席のままカウントされる。呪術者である鈴木が10人目となり呪いが成就するまでは、伊藤は姿を暗ませる必要がある。

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さらに問題は阿部との接触の仕方であり、彼に助かる方法をどう伝えるかが最重要課題だ。阿部に対し、単純な噂話として語るにしても矛盾は生じる。

二人目で零になる……

伊藤はこの言葉の真意にある仮説を立てていた。一人目の数獲るは“カウントアップ”だが、二人目の数獲るは“カウントダウン”なのではないかと。この真相も、“助かる方法を話す”事に該当してしまう可能性は限りなく高く、後は阿部が如何にして“気付く”かを伊藤は信じるしかなかった。

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幾多の推論や検証、或いは葛藤を経て、伊藤の考えは纏まりつつある。

いつの間にかカーテンの隙間から射す光が、伊藤の中での狼煙となり、支度を済ませ颯爽と自宅の玄関を開ける。

(今日も暑くなりそう……さて、一丁頑張りますか! )

日差しに眼を細め、彼女はすべての決着に向けて歩き始めた。

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「ああ、そうかい……そうか、よく頑張ったね。安心して仏様に身を委ねなさい。ばっちゃがいつまでも一緒だからね。後はばっちゃに任せなさい。うん、必ずね」

電話を切った老婆は、紙に書かれた住所を睨みつけ、震える手の中で“石”を強く握り締めていた。

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