街の明かりを反射して、フロントガラスについた雫が七色ビーズのようにキラキラとひかっていた。
時計に視線を落とすと、既に深夜一時をまわっている。平日の深夜ということもあって、この時間に高速道路を走っている車は私だけであった。佐賀での営業を終え、さらに工事を終えた分譲マンションの手直し改修まで走らされた私はこの上なく疲弊していた。シートに体を沈みこませ、唸るようにため息をついた。
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その時、視線の端を駆け抜けていく見慣れた景色の中にかすかな違和感を感じた。商業ビルやアウトレットモールが立ち並ぶ繁華街に似つかわしくない、古風な民家が見えたような気がしたのだ。
その瞬間、えも知れぬ既視感となにかとても悲しい記憶が脳裏をかすめたような気がした。
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胸にモヤモヤとした不安を感じながら、福岡の筑紫出口から高速道路をおりた私は、すでに寝ているであろう妻子を起こさないように細心の注意をはらいながら自宅のドアを開けた。リビングに入ると、妻が寝室の障子をあけて顔だけをだして眠たそうにお疲れ様、おかえりなさいといった。
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「すまない、起こしてしまったかな。」
「違うの。一時間くらいまえ、とても怖い夢をみて目が覚めてしまったの。それでね、内容ははっきりと覚えてるわけではないのだけどねあなたが遠くにいってしまうような・・・私と健太をおいてどこかへ消えてしまうような夢だったきがするわ。
それでとても悲しい気持ちになって目が覚めたの。
そしたら健太も目が覚めててね、お母さん、お父さんがどこかに行っちゃう、消えちゃうかもしれないってしくしく泣くの。それで今さっきようやく寝かしつけたの。でも、眠いのに何だか眠れなくて・・・・あなたの帰りを確認しないと気が済まなくなって、待ってたのよ。でも、よかったわ、帰ってきた。」
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私のなかで微かに燻っていた不安がいっきに鮮明な物になった。私は高速道路で何を見たのだろうか。
背中に毒を塗られたような不安を洗い流すように熱いシャワーを浴びた私は、すでに寝息をたてている妻と息子の隣に横たわった。
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その夜、夢を見た。あの『家』の夢であった。
私は、高速道路の端に車を停止させると、柵に手をかけて家を凝視した。二階の窓で中年の女性と小学生くらいの子供がこちらに向かって手招きをしている。その子供の顔に、私は見覚えがあるような気がした。
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たった4時間の睡眠をとった私は、まだ薄暗いうちに会社にむかった。朝の完全に覚醒しきっていない頭で、昨夜のことを思い出した。高速道路で違和感を感じた時刻、ちょうどその時妻と息子もなにかを感じ取って目を覚ましていた。やはり、佐賀から福岡の筑紫出口の間になにかが起こっていたというのか。「いや、偶然だ・・・疲れていて普段は気にならないものが・・・」
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目について離れなくなることだってあるさ、その時に偶然妻と息子が悪夢をみた・・・それだけの事だ・・・
独り言の続きを脳内で完結させた私は車を自社ビルのパーキングにとめ、自分のフロアへ向かった。
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自分のデスクに着くなり、隣のデスクの六神透が話しかけてきた。透と言う名前ではあるが、中身も見た目もれっきとした女性である。だが、その反面ベリーショートに気が強そうな顔立ちは、無邪気な青年を思わせた。六神が入社して来た時の教育係は自分だったので、それ以来慕ってくれている。可愛い後輩である。
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「先輩、昨日は大変でしたね、遠出の上に手直しまでまわるなんて。」
「ああ、さすがに疲れたなあ。まあ、今日は書類の整理だけだから楽なもんだよ。」
「え!じゃあ今日はこれ、いきます?」
そういって六壁は酒を煽る仕草をしてみせた。
「いや、すまないが今日のところは遠慮しておこうかな。妻が今日は早く帰ってきて欲しいといっているんだ。明日も仕事は早く終わるから、明日にしないか。」すると六神は不意におどけたような態度をやめ、真剣な顔になった。
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「そうですか・・・実は話したいことがあって誘ったんですけど。先輩が・・・」
「なんだ、やけに俺と飲みに行きたがるじゃないか。俺に気でもあるのか?言っておくが俺には妻も子供もいるんだよ、残念だったな!」
急に真剣な表情になった六神に内心怖気づきながら、六神の言葉を遮り、あえておどけたことをいった。昨日の悪い夢のような夜がまだ続いている気がしていた私は、彼女までもが昨日の夜に関連するようなことをいうのではないかと思ったのだ。
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「阿呆なこと言わないでください・・・」
一瞬私の心を見透かすような目をした彼女はそう言って、体の向きPCの方に移すと作業を再開したので、朝の雑談はこれ位にして私も書類の整理に取り掛かった。
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昼の2時には自分の作業を終えた私は、六神に「じゃあ、俺はもう今日の仕事おわったから。頑張れよ。」といって席を立とうとした。
すると六神はその言葉に対する返事はせず先輩、と強い口調で帰ろうとする私をひきとめた。
「朝、誤魔化しましたよね。私がなにか恐ろしい話を始めるんじゃないかって、必死でおどけて見せた。」
急にまくし立てた六神が朝のことを怒ったのかと思い、私は慌てて謝罪した。
「すまなかったよ、でも・・・」
「昨日の夜、高速道路で」
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彼女の口から飛び出た言葉に私は驚愕し、言葉をうしなった。そこまで直接的に触れてくるとは思わなかった。
「昨日の夜高速道路で、不審な家をみたんです。佐賀の営業からの帰りだったんですけど、先輩も見たんじゃないですか、あの家。だから朝、私の話を遮ったんですよね。」
心臓がバクバクと音をたてはじめる。嫌な汗が背中にながれた。
「帰れるんですか、自宅まで。あの家、また先輩の前に現れますよ。できるだけ早く対処しておいた方がいいと思いますよ、先輩。」
とにかく昨夜のことはもう掘り返されたくなかった。
「おいおい、おまえ何のことを・・・何のことだかさっぱり」
「先輩」
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井口はもう1度強い口調で私の名前をよんだ。
「また朝みたいに朝みたいに誤魔化すんですか。そうやって怖いことから逃げても、何も解決しませんよ。お願いします、先輩。今回ばかりは何も言わずに、私の言う事を聞いてください。私、先輩を助けたいんです。先輩だから助けたいんです。先輩はこのままでは消えてしまいます。文字通り存在ごと無くなってしまう。」
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「お前・・・六神、何を知っているんだ。」
「今まで」
六神は一層声に感情をこめて続けた。
「今までに何人もあの家に吸い込まれて消えて行きました。でも、周りの人は消えたことに気づかないんです。人が消えたっていうのに、誰もそのことには触れようとさえしないんです。消えた全ての人は、消える直前に『家』を見たと言っていました。
そして私もあの家に出会ったことがある」
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「まて!六神!全く話が見えない!ついていけない!
とにかく俺はどうすればいいんだ!それに、あの家を見たというのならお前が今ここにいるのはおかしい!」
私は混乱する頭で反論した。六神はさらに続ける。
「だから、私は対処法を知っていると言ってるんです。あなたはあの『家』に行かなければ行けない。そこで自分と向き合い、しっかりと過去の自分と向き合うんです。」
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「決して嫌な過去から逃げては行けませんよ、どれだけ甘い誘惑があったとしても、過去は過去なんです。過去は変わらないんです。それはもう、固定された事実でしかない。いいですか先輩。あの家で何があったとしても、自分をしっかり保つんです。」
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彼女は、呆然と立ち尽くす私はの横を通り過ぎると、フロアの出口に向かった。
「なにぼーっとしてるんですか、先輩。行きますよ!」
全く状況を理解できない私を他所に、彼女は早歩きでエレベーターに向かう。
「おい!行くってどこに!」
「さっきあれだけ説明したのにまだわかってないんですか!あの家に決まってるでしょう!」
六神は少しイラついたような口調で言った。
「行くったっておまえ、自分の仕事はどうするんだ!まだ 終わっていないんじゃないのか!」
「先輩のために急ピッチで終わらせたんじゃないですか!」そういえば、作業中いつも私に話しかけてくる六神が今日はやけに真剣にPCに食らいついて作業を行っていた。
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六神の剣幕に押されて車に乗り込み、言われるがままに昨日の高速道路まで車を走らせた。
そして筑紫入口から高速にはいり、佐賀方面にはいったあたりから、急に全身に悪寒が走った。まだ午後3時をまわったばかりだと言うのに、あたりが薄暗くなっていく。
「分かりますか先輩。ちかづいてます。」
六神が緊張した声をだした。
まだ昼だと言うのに、高速を走っているのは私達がのる1台だけであった。
雨がポツポツと降り出した。
フロントガラスについた雫が街の光を反射して、七色ビーズのようにひかる。
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いや、高速道路の下に広がっているのは、見慣れた都会の街ではなかった。
そこは、かつて私が育った街であった。
作者しゅう
続きます。