すでに廃寺だった。
秋風が冷たく感じて、
井戸の周りにもすすきが、
伸びて茂って、
旅の僧はかつての、
人びとを弔っていた。
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女が一人、
井戸を見つめている。
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女は僧に語りだす…
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「夫とは仲むつまじく幸せだった
けれども夫は女のもとへ行き
帰らない」
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「幼い頃、
この井戸の周りで遊んだり話をしたりしました。
でも年頃になると恥ずかしくなりました。
二人でいることが…
だんだんあなたとは疎遠となりましたが、
また歌を送り送られする仲となり結ばれたのです」
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そう語り終えると、
女は消えた。
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夜、僧は眠りについた。
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夢の中
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幽玄に舞っている。
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あの女が、
夫の形見の衣装を身に羽織って。
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「昔を思い返しているのですが、
井戸に映った月がこんなにも小さく、
ささやかだったなんて思っても見ませんでした」
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「同じでしょうか
月は
同じでしょうか
春は
あなたがいらした頃の、
そう歌を詠みあなたを待ち続けたのは、
いつの頃だったのでしょうか」
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女は年老いた自分に気づいた。
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井戸にたどり着いた女は、
昔のように、
幼い日の夫がそうしたように、
水面に姿を映した。
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「懐かしい…」
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映し身は夫だった。
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女は一体となれた
夫と。
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〈筒井筒 井筒にかけし まろがたけ
生いしけりしな 妹見ざるまに〉
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夫が昔送ってくれた、
歌を女は思い出した。
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女は次第に消えてゆく…
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井戸を蔽う萎れた、
すすきにうもれながら、
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鐘が鳴っている。
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この世の鐘が。
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朝
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僧は目覚めた。
作者退会会員
ショートでシュールな^^;、
怪談を書いたりしています。
深夜のオヤツにどうぞ…