私の通っていた中学校には、奇妙な校則がありました。
【9月4日の4限の授業では、教室中の窓とカーテンを閉めて行うこと】
毎年9月4日の4限では、教室中の窓とカーテンを閉めて、電灯をつけて授業を受けるのです。奇妙な校則だと思いませんか?真昼間からビデオを見るわけでもないのに、とずっと思っていました。
私の通っていた中学校は、墓地を埋め立てて作ったという噂が昔からあり、そのため、学校内の至る所で幽霊を見ただの、声を聞いただのと色々な噂を聞きました。昔からオカルト好きだった私はそんな噂を聞いては、あれは本当だとか、これは嘘だとか、そんな話ばかりしていました。この校則についても、何かそんなモノが関係してるに違いない、そう思って、私はS先生に声をかけたのです。
separator
S先生は、生物を受け持つ先生で、話すのが好きで授業の時も楽しい話をしてくれるのでみんなから慕われていたと記憶しています。彼は何だか、とてもフレンドリーで、先生と生徒、という境界を守りつつ、ギリギリまで近づくような大人でした。
実は彼も、大のオカルト好きで、元々この学校の卒業生だったこともあり、この学校についての噂は何でも知っていました。
だから私は彼に聞いたのです。
「S先生。何で9月4日の4限では、窓とカーテンを閉めきらないといけないの?」
S先生は、そうだなぁ、と何か考えるそぶりをしてから、言いました。
「…知りたい?」
悪戯っぽく笑う、若く日焼けした顔を、私は今でも覚えています。
その日は夏休み明けの9月1日で、3日後の9月4日の4限は、運の良いことにS先生の生物の授業でした。
4限、チャイムが鳴る前に教室に入ってきた先生は、言いました。
「お前たち、廊下側の窓を少し開けておいて、カーテンは全部閉めるんだ。」
今日この時間に、奇妙な校則の意味を知ることになるかもしれないと、私が言いふらしていたので、みんなは言われた通りに動きました。私は廊下側の窓際の席に座っていて、自分の隣の窓を少し開けて、カーテンを閉めました。
separator
授業が始まりました。
S先生は何事も無いかのように授業を進めます。私たちも、各自ノートを取ったり落書きしたり、自由に過ごしていました。
授業も終盤に差し掛かった頃、教科書を読んでいたS先生が、ふと顔を上げました。
黙り込んだS先生に、僕らも顔を見合わせた、その時。
廊下を、教室よりも後ろの通路から、誰かが歩いてくる音がしました。
ぺたり ぺたり
「お前たち、いいか?俺が今から良いと言うまで絶対に外を見るなよ。声も出すんじゃない。」
S先生の不穏な言葉に、私たちは内心びくびくしながら頷きました。
ぺたり ぺたり
足音は近づいてきます。よく聞くと、複数の人のようでした。音が近づいてきます。それらは、ついに教室の横を歩き出しました。私は1番前の席に座っていました。心臓が早鐘のようになって、冷や汗がダラダラ出ました。静まり返った教室に足音が響きます。私は思わず喉から声が出そうになっていました。ただ、S先生に言われた通りにじっと机を見つめて、外を見ないようにしていました。
と、
ぺたっ
足音が止みました。
…私の隣で。
居なくなったのではありません。立ち止まったのです。見えなくても、“なにか”がそこに居るのを感じて肌が泡立ちました。
“それ”は、沈黙していました。
(何だよ、頼むからどっか行ってくれよ…!)
私は必死にそんなことを考えていました。
何分もそんな状態が続いたと感じたのですが、実際は数秒程だったと思います。
カーテンがかすかに揺れて、少し開けておいた窓の外から、掠れた声が、聞こえました。
『…遊ぼうぜ』
まるで、授業中にこっそり話すような、楽しそうに、しかししっかりとした孤独を感じさせる声でした。
私が息をするのも忘れて、身を固くしていると、S先生の声が聞こえました。
「…T谷…?」
小さなその呟きには、動揺の色が浮かんでいて、私がそちらに気を取られた時。
だだだだだだだっっ!!!!!!
『あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!!!!!!」
大きな笑い声と共に、足音が走り出しました。それは床を揺らすほどの人数の足音でした。どどど、と地鳴りのような音を伴って、足音は廊下の先に吸い込まれていきました。
と、同時にチャイムが鳴りました。
私たちは緊張の糸が切れて、中には泣き出す子もいました。
私は先生に尋ねました。
「…先生。今のは?」
先生は、どこか遠くを見るような顔で言いました。
「…わからん。」
「…T谷って、誰ですか?」
先生は、はっとこちらを見ました。他の生徒も聞こえていたのでしょう、先生を見つめています。
全員の視線に、観念した、とでも言うように、S先生は話し始めました。
separator
それはとても短い話でした。
当時学生だった先生には、T谷という友人が居ました。とても仲が良く、よく遊んだそうです。
ある時、先生たちは、9月4日の校則の謎を知りたくなって、2人で授業をサボって、空き教室で一つだけ窓とカーテンを開けていたそうです。
終わりのチャイムが鳴る数分前、やはり、廊下から足音が聞こえてきました。先生は怖くなって、目をつぶっていたのですが、T谷の
「“なにか”居る……あっ」
と言う声が聞こえ、目を開けた時には、T谷は居なくなってしまっていたそうです。
そのままT谷は行方不明という扱いになり、結局見つかりませんでした。
separator
「…さっき聞こえたあの声、T谷の声だった。」
S先生は、どこか上の空で言いました。
「昔より足音が増えてた。多分、他にも“それ”に連れて行かれたやつが居るんだ。」
私たちはますます怖くなって、S先生が教室を出て行った後も、しばらく動けなくなっていました。
separator
それが中3の時で、それから何年も経ちました。最近、風の噂で聞いたのですが、あの後も教鞭をとっていたS先生が行方不明になったそうです。居なくなったのは9月4日の4限の時。その日はたまたま授業がなくて、3限の授業の後から誰も見ていなかったそうです。
「4限目は授業がないから、“遊んで”くる。」と、言っていたそうです。
separator
…私は先生に黙っていたことがあります。
あの日、“あれ”が廊下を駆け抜けていったとき、揺れるカーテンの隙間から、見たものがありました。
ちらりとしか見えなかったけれど、爪が割れて、皮が剥けて血塗れの両足が走っていった後、追いかけるように沢山の〈右足〉たちが、走って行ったのです。まるで鬼ごっこをしているかのように…
………S先生は、今もあの学校で、“遊んで”いるのでしょうか…………?
separator
作者としろう
彼は右足しかない“何”に追いかけられていたのでしょうか。