中編4
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洛水の神

 昔、中華の国の洛水(川の名前)のほとりに帝に仕える一人の高官が住んでいました。名を劉温といいます。

彼は若い頃から民政の手腕のほかに美男子としても有名で様々な浮名を流していました。

その彼が三十路を過ぎた時に、帝が

「お前もいつまでも一人では国家の大事に思うように力を振るえまい。妻を持ち、子を生して身を固め、朕を支えよ。」

と言葉をかけ、しかも自身の寵姫の一人を妻として与えました。

この帝の寵姫は「徐氏」といい、大変な美女でありましたので劉温は帝の温情に深く感謝したのでした。

しかし・・・   ここに一つの帝の思惑があったのです・・・・

帝の寵臣である劉温は、後宮(帝のプライベートな空間)でも有名で、女官達の間では宦官(去勢者)の持って来る彼の噂話でもちきりです。

その話が帝の寵姫達にも飛び火してしまい、流石の帝も閉口してしまったのでした。

故に一計を案じ、自身の寵姫の中でも一番嫉妬深い美女を選び、劉温に娶わせたのです。

これにより帝も徐氏の嫉妬に振り回される事も無くなり、反面、劉温はその嫉妬深さによって大人しくなるだろうと一石二鳥を狙ったのでした。

帝の謀は成功し、最初は泣いてばかりであった徐氏も次第に劉温の優しさに触れ、仲睦まじい夫婦となったのでした。

 

が・・・事件は一服の掛け軸により始まります。

古い友人曰く

「劉大人、貴殿の奥方の美しさもさる事ながら、私もここに美人を一人囲っております。貴殿とは昔からの友人でもあり、これを差し上げよう。

これならば妾を許さぬ奥方でも大丈夫でしょう。」と笑いながら言うのです。

手渡されたソレは「洛神図」というもので、魏の曹植の詩「洛神賦」を基に描かれた洛水に住む女神の画でした。

劉温は一目で気に入り、断る友人に千金を与えて、ひなが一日その「洛神図」を眺めていましたが妻もその画が自分の若い頃に

似ている為、怒る事なくそれを許していました。

ある時、妻と茶を楽しんでいた劉温が

「この女神は、魏文帝の妻の甄氏がもとと聞く。なんという美しさか!神となる美とは、かくあるものなのか。」

と画の見事さを褒めたのでした。劉温にしてみれば美術品としての見事さを評価したのですが、妻の考えは違います。

「あなたは私という者がありながら、掛け軸の女などにお気持ちを懸けられるのですか?神とはいえたかが画ではないですか!!

分かりました。あなたがそれ程まで、洛神がお好きならば私も神となりましょう!!」

と言うや否や外へ飛び出し、時が経っても戻りません。

劉温はまたいつもの嫉妬であろうと笑っていたのですが、余りにも遅い為、家人に命じて妻を捜させたのです。

暫くすると顔色を失くした家宰(家人をまとめる長)が部屋へ飛び込んで来ました。

「大変です。洛水より奥様の靴が浮いているのを見つけました。もしかすると入水されたのやも知れません。」

驚いた劉温は家人や隣家の助けを借り、洛水を捜させると果たして川底に横たわる妻を見つけたのでした。

劉温は自分の一言を悔い、大いに悲しみましたが亡くなった妻を見ると薄く微笑んでいる様に見えます。

そればかりか濡れた黒髪が青白い肌にまとわりつき、えもいわれぬ色気を感じさせます。

なぜかソコだけ赤い唇がそれを際立たせている様です。周りの気配に気づき、劉温は急いで亡き妻を家へと運びました。

この当時、貴人の葬儀では死体をすぐに埋葬することはなく、暫くの間家内に留めて『殯(もがり)』を行います。

初夏を向かえ暑くなってきた季節にも関わらず、妻の遺体は一向に腐敗する様子が見えず体からは今も滴がこぼれています。

そう・・・洛水より引き上げた時のままなのです。

家人の中にも恐れる者が現れ始め、例の掛け軸の洛神が風景はそのままにして姿だけ消えてしまった時には暇を請う者まで現れました。

劉温はというとあれ程熱心に見ていた洛神図には目もくれなくなり、毎日妻の死顔を眺めている毎日です。

朝廷にも出仕せず、自分の命にも応じられない次第となった劉温に後ろめたさを感じた帝は、

一人の道士に彼の様子を見てくる様に命じました。暫くの後復命して言うには

「劉温殿におかれましては、もはや延命は叶いません。近日中のお命かと存じます。」

とだけ答えました。

そして数日後、帝のもとへ劉温病死の報が届きました。その報告には・・・

 

水溜りだけが残る徐氏の棺おけと、それにとりついて亡くなった劉温の遺体。徐氏の遺体は捜せども見つからず、水跡が洛水まで続いていて

この日が殯の最終日(日本でいう49日目)だったとの事でした。

帝は「洛神図」と徐氏の棺おけを焼くように命じ、深い溜め息をついたのでした。

民の間では、徐氏は洛神となって劉氏を虜にし最後には殺してしまったのだと噂し合いました。

さてこの話には後日談があって、旧劉温邸の近くには津(みなと)があったのですが、そこから美人と噂される女が船に乗ると必ず波風がたち

船を出すことが出来なくなったそうです。ですから美人が船に乗るときは、化粧を崩し、裾を開けて乗ったといいます。

面白いのは容姿がそこまで美しくない者が通ると波風は立たないことから、ここを通る女性の全てが化粧を落として通る様になったという事で

何となく笑いが出てきます。

この津の名は忘れてしまいましたが、中華では有名な昔話と聞き及んでいます。

  

最後までお読み下さり感謝します。      拝   

       

怖い話投稿:ホラーテラー 最後の悪魔さん  

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