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長編20
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忌み雨

その日は朝から雨が降っていた。

男は窓の外を眺めては、庭先の小さなプレハブ小屋に敷き詰めた万年床に座り、又立ち上がっては窓の外を眺める。

落ち着きのない動作を、誰も見咎める者もいず、かれこれもう一時間も窓を眺めては布団に座るの動作を繰り返していた。

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そして、意を決した様に床に放り投げた、フード周りにラクーンファーで縁取りされたダウンジャケットに袖を通し、ポケットに小さな何かを押込め部屋から出ると、プレハブ小屋のドアの外に立て掛けてあるビニール傘を広げ駈け出す。

自宅の庭を走り抜け、習慣の様に門を出る前で左右を見回し、人がいない事を確認すると男はフードを深く被り、俯き加減でゆっくりした足取りで歩き出した。

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そして、歩き出して30分が経つ頃。

ポケットに押し込めて有った小さな物を取り出し、住宅街の四叉路でコロン…と捨てた。

そして、踵を返すと元来た道を全速力で走り去って行った。

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*********************

〜♫〜

あ〜めあめふ〜れふれ

もぉっとふれ〜

わたしぃ〜のい〜い人

連れてコォ〜いぃぃ〜

〜♫〜

保育園のお迎えの帰り道、娘の杏理(あんり)がいきなり演歌を歌い出し、美郷(みさと)は吹き出した。

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いつもは自転車で送り迎えをしているのだが、生憎の雨。

少し風邪気味で咳が出ている杏理の体調を慮り、今日は歩きで送迎をしていた。

『スゴイお歌知ってるね〜(笑)』

杏理は、片手で傘を持ちながら、もう片方の手を伸ばし、振り付けをしながら大きな声で唄う杏理に笑いながら言う。

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『スゴイでしょ!

今日ね〜、園長先生がお庭を見ながら唄ってたから、杏理とね〜ユウコちゃんとね〜タイシくんでお願いして、教えてもらったんだよぉ』

杏理は嬉しそうな、少し自慢気な顔をして美郷を見上げて答える。

小さな身体に小さな傘を差し、ちょっと大き目の赤い長靴を履いて、憂鬱な雨だと言うのに何故か楽しそうな杏理の姿に、美郷は愛しさで胸がいっぱいになる。

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〜♫〜

あ〜めあ〜めふ〜れふ〜れ

もぉっと〜ふれ〜

〜♫〜

段々とフレーズが変わって来ている事は突っ込まず、楽しそうに雨に濡れた道路で水飛沫をあげながら唄う杏理を、美郷は微笑んで見つめていた。

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『あっ!!

ママ?あれ、何?』

杏理は急に立ち止まると、道路に転がる小さな物を指差す。

大きさは5cm程の、積木?型はめ?の様に見える。

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『なんだろうねぇ〜』

美郷は大して気にも留めずに杏理の手を引いて歩き出そうとした。

しかし、杏理はそんな美郷の手を振りほどき、道路に転がるモノに向かって歩き出す。

『杏理!ダメ!道路は車が来るんだよ?

絶対に道路に出ちゃダメって、いつも言ってるでしょ?』

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美郷は杏理をたしなめる様に言うと

『ここで待っててね!』

そう言うと、四叉路の左右、前後に車が来ていない事を確認し、道路に転がるモノを拾って来た。

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……

それは、小さな寄木細工の箱の様なモノだった。

木製の地味な色だか、花や星の緻密な模様の入った可愛らしい、腕の良い職人が作ったと思われるモノだった。

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美郷はそれを杏理に手渡すと

『ママ!ありがとう!』

はち切れんばかりの笑顔で美郷を見上げてお礼を言う。

美郷もつられて笑顔で

『どーいたしまして♫』

と返し、並んで歩道を歩き、住まいのアパートに帰った。

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*********************

杏理は、余程その寄木細工が気に入った様で、お夕飯を食べ終わった後も、美郷と共にお風呂に入った後も、そして、パジャマに着替えてお布団の中に入った今も、ずっと触っている。

何をそんなに杏理を惹き付けるのか美郷には理解出来ないが、すっかり杏理のお気に入りになった様だ。

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『ま…いっか』

寄木細工を手に寝息を立てている杏理のおでこに♫chu♫と優しくキスをして、美郷も眠りについた。

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美郷は濃い靄の中を小走りで走っている。

どうやら何かを探している様だ…。

肌に纏わり付く様な蒸した空気と肌を湿らす小雨の中…

『どこだ?どこにいるんだ?』

美郷は、愛しい何者かを探している…。

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新緑の淡い香りと埃立つ様な独特の雨の匂いが鼻に付く。

肩を濡らす雨も冷たくはない。

『隠れても無駄だ!!

早く出て来ないと……』

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目覚まし時計の音で飛び起きた美郷は、隣にいる杏理が息を荒くしているのを見て、おでこに手を当てた。

『やだ!すごい熱!』

未だ病院が開いている時間ではない。

近所の救急病院へ電話をし、コートを羽織ると杏理にもパジャマの上からキルティングとボアのリバーシブルになったコートを着させ、タクシーを呼んだ。

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その日も雨降りだった。

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風邪との診断で薬を処方され、その日は家に帰って来た。

保育園と美郷の勤め先にも電話をして、今日は杏理の傍に付いている事にした。

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夫と別れ、美郷と杏理の二人暮らしになって、未だ一年も経っていない。

結婚をしている間は専業主婦だった美郷は、離婚と共に働き出した。

別れた夫は既に、離婚の原因になった女性と再婚をしていて、当初はちゃんと払うと言っていた養育費も慰謝料も滞りがちだった。

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電話をしても、別れた夫は美郷の番号を着信拒否をしている様で電話は繋がらず、仕方ないので美郷が以前住んでいた自宅へ電話をすると、あからさまに嫌な声を出す夫の今の妻と話をするのも辟易していた美郷は、どうにか自分の力だけで杏理を育てていた。

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離婚前はいつも一緒にいた美郷と杏理。

なのに、今は《大人の都合》で1人になる時間もある事に、美郷は杏理に対して申し訳ない想いと、一緒にいる時間は杏理と色んな話をし、何を於いても杏理を第一に考え、笑顔の絶えない暮らしをしようと心に決めている。

未だ正社員ではなく、契約社員の今は、なるべく仕事を休みたくないのだが、滅多に寝込む事のない杏理が辛い時に、一人にしておける筈がない。

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仕事を真面目にこなしていれば正社員登用してくれる会社だから、いずれは正社員になり、安定した暮らしを送る事が出来る。

杏理の将来を思えば、今を頑張るしかない。

杏理に淋しい思いをさせてしまう事には、後ろ髪を引かれる思いだが…

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杏理が解熱剤を飲んでぐっすり眠っている間に、美郷はコンビニに行き、水分補給の為のポカリスエットを買って家に帰った。

すると、杏理はパジャマのまま、カーペットに座りこみ、何かをしている。

『杏理?起きちゃった?』

美郷はブーツを脱ぎながら声をかけ部屋に入るが、杏理は返事もせずに一心に昨日拾った寄木細工をいじっている。

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『杏理?

未だお熱が有るんだから、お布団に行こう?

今、ポカリ買って来たから、あっちで飲もう?』

美郷は優しく杏理に話し掛けるが、杏理は相変わらず、返事もしない。

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『杏理?』

美郷が杏理の横に座り、杏理の肩に回す様に手を置き、顔を覗き込みながら声を掛けた次の瞬間、杏理はゆっくりと後ろ向きに倒れて来た。

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『杏理!?

どうしたの!?

杏理!!!』

美郷は慌てて倒れ掛かる杏理の身体を両手で受け止め、叫んだ。

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杏理が目覚めたら、母の美郷が心配そうに杏理の顔を覗き込んでいた。

『ママ?どうしたの?』

杏理の声でポロポロと涙を零し

『杏理?大丈夫?痛いところはない?』

そう言いながら杏理のおでこから髪を優しく撫で上げる。

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『うん!どこも痛くないよぅ♫

ママ?お仕事遅れちゃうよ?』

杏理は眉をハの字に下げて美郷に聞く。

『大丈夫よ。今日は杏理とずっと一緒にいるからね!』

こんな時にまで母を気遣う杏理の言葉で、美郷は泣きながら笑う。

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何故母が泣いているのか分からず、杏理は困ってしまった。

そして…美郷に話し始めた。

『ママ…?杏理ねぇ、おネンネしてたでしょ?

それで、夢見てたんだぁ…

杏理、怖いお兄さんから逃げてるの。

雨が降っててね、木がいっぱいの所でね、杏理、隠れてるの。

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杏理が歩いてたらね、知らないお兄さんが杏理に言ったの。

《ママが事故に遭って怪我しちゃったから、これから一緒に病院に行かなくちゃいけないから》って。

それで、杏理に《ちょっとだけ遠いところだから、お兄さんの車で病院に行かなくちゃいけない》って。

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それでね、お兄さんの白い車に乗って、何処かに行ったの。

それでね…

お兄さんが《ここだよ》って言って、車から一緒に降りてね、お兄さんと杏理、手を繋いで歩いてたら…

お兄さんが又《ここだよ》って言ったの。

でもねぇ、病院じゃなくてね、ママもいないから…

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杏理、お兄さんに聞いたの。

《ママはどこ?》って…

そしたらお兄さん、笑ったの。

《いないよ》って…

そして、ママと杏理がいつもするchuみたいのじゃなくて…

杏理のお口の中にお兄さんがベロ入れて来たの…

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杏理、気持ち悪くて泣いちゃったんだ…

そしたらお兄さんがね、いっぱい笑って、杏理のお洋服をビリビリって破ったの…

だから、杏理…

逃げたの…

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お兄さん、ずっと笑ってて…

本当に怖かったの…

杏理、怖くて…木がいっぱいのところで、お兄さんに見えないように隠れてたの…

小さい雨が降っててね、木がいっぱいのところに、白いモヤモヤしてるのもいっぱいでね

杏理、隠れてたら…

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お兄さん…

《どこだ?どこにいるんだ?》

って、杏理を探してるの…

白いモヤモヤでお兄さんは見えないんだけど、お兄さん、杏理のすぐ近くにいるの…

そしたらね…

《隠れても無駄だ!!早く出て来ないと……》って…』

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杏理は、余程怖い夢を見たらしく、そこまで一気に話すと声を殺して泣き出した。

美郷は、杏理を抱き締めて、何度も何度も繰り返し言い聞かせた。

『大丈夫だからね。怖い夢を見ただけだから。

杏理にはママが付いているから、ちっとも怖い事なんてないよ?』と……

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美郷は、杏理の夢の話を聞き、何が何だか分からなくなっていた。

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昨夜の美郷の夢と、杏理の見た夢は…

不気味に繋がっていると言う事に気付いた。

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白い靄の中、隠れる杏理。

その杏理を追いかけ、探す美郷…。

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だが…

杏理を探しているのは、美郷ではなく、知らないお兄さん…

気持ちの悪い夢……

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何を暗示しているのだろう?

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心配した杏理の熱も1日で下り、朝の陽射しを浴び、杏理は元気よく美郷に手を振ると保育園の友達と、早速お絵描きを始めた。

ふと見ると、優しげな微笑みで園児達を見詰める園長先生と目が合い、どちらともなく微笑み、会釈をし合う。

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杏理の大好きな園長先生。

先日も、杏理のお気に入りの一曲を教えてくれた人だ。

確か、杏理がこの保育園に通い始めるのと時を同じく、区内の他の保育園から異動になったと記憶している。

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いつも子供の目線で話かけてくれたり、お父さんやお母さんが仕事の都合でお迎え時間を過ぎても文句を言う事なく、お迎えに来るまで明るい園長室で一対一で子供と遊んで待っていてくれる。

子供好きな園長先生は、僅かな間でお母さん達からも絶大な信頼を寄せられていた。

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《この園長先生や保母さん達がいるから、安心して杏理を預ける事が出来て、仕事をこなす事が出来るのよね》

身内は遠方にいる為杏理を預ける場所もなく、一人で子育てをしている美郷にとって、唯一の安心出来る場でも有った。

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昨日の休みを取り戻すべくパソコンに張り付いていた美郷は、肩をポンと叩かれて驚き振り向いた。

『もうお昼よ。ご飯食べよ♫』

隣の席に座る、社内で一番仲の良い同僚の桃子だった。

『え?もうそんな時間?』

美郷は、腕時計と壁に掛かった電波時計を見比べて、長針と短針共に12時を過ぎている事に初めて気付く。

『お茶で良い?』

桃子は笑いながら美郷に聞くと、給湯室へ消えた。

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ふと窓を見ると、ガラスに細かく水滴が付いている。

『また雨が降って来たのかしら?』

美郷が自分のデスクの下にしまったお弁当の包みを取り出すと机の上の携帯が《ブルルル…ブルルル…》と、揺れた。

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見ると、杏理の通う保育園から。

美郷は携帯の通話ボタンを押し、そのまま非常口の方へ歩きながら話を聞く。

午前中は元気だった杏理だが、お昼近くになり、雨が降って来たので室内遊びに切り替えて間もなく虚ろな表情になり、熱を計ったところ、平熱よりも少し高い状態だと言う。

このまま病院に連れて行ってもらった方が良いから、早くお迎えに来て欲しいと…

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美郷は

『分かりました。

すぐに行きます。』

と、返事をして切ろうとすると、杏理の担任の保母ではない女性と代わった。

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『もしもし?お電話代わりました。園長の桜井です。

杏理ちゃんの事ですが、未だ熱も平熱を少し上回るくらいですので、こちらで様子を見ましょうか?お母さんもお忙しいでしょうし…

もし、急変する事が有りましたら又お電話しますから、お母さんは安心なさってくださいね。』

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『ありがとうございます!宜しいんですか?

昨日もお休みしてしまって、未だ、今日の分の仕事も手付かずでおりましたから、そう言って頂けると助かります。』

美郷は、園長のふんわり優しい声の、臨機応変な対応に心から感謝した。

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そして、午後も保育園から電話が来る事もなく、美郷は午前にも増してペースを上げて、今日までの仕事を全てこなし、定時の時間ギリギリに終わらせると走って駅まで行き電車に乗り、降りると駅近くの駐輪場に止めた自転車に乗り、雨の中、急いで杏理のお迎えに行った。

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保育園に着くと杏理は、園長室にあるソファーの上に横になり、ヒーターの効いた温かい部屋で毛布を被り寝息を立てていた。

園長先生がずっと杏理の傍に着いていてくれたそうだ。

『お帰りなさい。

あらあら!杏理ちゃんのお母さん、ビッショリだわ!お母さんまで風邪引いちゃったら大変!』

そう言って部屋を出て行くと、子供用の黄色い合羽と、大人用の白いビニール製の合羽を手にし、バスタオルを美里に手渡してくれた。

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『こんな物しかないけど、杏理ちゃんが悪化しても、お母さんが風邪を引いても宜しくないから、これを着て帰って下さいね。

杏理ちゃんは、寝不足だったのかしら?

眠かったみたいで、お熱も今の所あれから上がっていないし、ぐっすり眠ってましたよ。』

園長先生は優しく、眠る杏理の顔を眺めながら言う。

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噂に違わず、本当に良い園長だ…

と、言うより、良い人だ…

子供の身体を気遣うだけでなく、その親の都合まで憂慮してくれる保育園なんて、そうなかなかないだろう…

美郷は園長先生にお礼と感謝の言葉を述べると、未だ眠そうな杏理を起こし合羽を着せ、家に帰った。

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《でも……

何で杏理が寝不足?

昨日もぐっすり眠ってた筈なのに?》

美郷は腑に落ちない思いも有ったが、ぐっすりとお昼寝をしたからか、元気いっぱいにお夕飯を食べる杏理を微笑ましく見詰めていた。

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お布団に入ってからは、すぐに寝息を立てる杏理。

明日の支度をして、美郷が杏理の眠る布団の横に滑る様に入り込むと、杏理をギュッと抱き締め、そのまま眠りに就いた。

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『こんな所に隠れてたのか?』

幼女を茂った草むらで見付けると、高らかに声を上げて笑う。

幼女は血の気の失せた表情をし、恐怖でなのか…声も出せずに、膝を抱え、ただ震えて涙を流している。

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幼女の震える身体と怯えた表情が、より一層支配欲を増幅させる。

荒い息遣いをし、幼女を押し倒すと、残っていた下着をむしり取る様に千切り、顔の半分も覆ってしまう手を幼女の口元に当て、痛みで悲鳴を上げる幼い子供に、凌辱の限りを尽くした。

幼女の下半身からは夥しい程の鮮血が流れ、口からは泡を吹き出し失神し、身体はヒクヒクと痙攣を繰り返す。

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幼女の母親が、この子を想ってしたのだろう…

ポニーテールの根元には、淡いピンク色のシフォンのリボンが結ばれている。

すると、そのリボンをスルリと外し、幼女の細い首にグルリと巻くと、締め上げた。

幼女はバタバタと暴れる。

その幼女の身体の上にのしかかるように乗り、暴れる身体を押さえつけると、間も無くその小さな身体は…小さな命の灯火を消した…

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そのまま、可愛らしく首にまるでラッピングをする様にリボンを飾ると、幼女の左手の薬指をポケットに入れたカッターで切り落とし、小さなジッパー付きのビニール袋にしまい、それを又タオルハンカチで包み、ポケットにしまった。

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とても満たされた、清々しい想いで…

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美郷は、余りにも生々しい夢で飛び起き、涙が溢れ、胸に込み上げる吐き気を両手で抑えつけていた。

冷え込んだ部屋で寝ていると言うのに、背中は寝汗でビッショリになっている。

そして、隣に眠っている杏理がいない事に気付いた。

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『杏理!?』

美郷は名を叫びながら、部屋からダイニングに続くドアを開け放った。

暗い、明かりのないダイニングのカーペットの上に、杏理はペタリと座り込み、俯いている。

『杏理?

どうしたの?』

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杏理は返事もせず、又、手にはあの寄木細工を持ち、指を何度も滑らせたり、押したりをしている。

『杏理!!

こんな時間に、何やってるの!?

こんな寒い所で…』

美郷は杏理の身体を抱き上げると、思い切り強く抱き締めた。

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その時、杏理の手からポトリと寄木細工が滑り落ちた。

杏理は

『あ……!!』

そう一声漏らすと、グッタリと美郷の腕の中で力をなくし、項垂れた。

美郷は、そのまま杏理を布団に寝かせ、朝になり、明るい陽射しがカーテンの隙間から入るまでずっと、杏理の傍に座り込み、杏理の顔を見詰めていた。

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『ママ…?』

杏理の声を聞き、美郷はホッと胸を撫で下ろした。

杏理を抱き上げカーテンを開けると、外は雪に変わっていた。

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『ママ!雪だ!』

杏理は嬉しそうに目を輝かせて、美郷の返事を待っている。

『遊びたいの?』

美郷が聞くと

『うんっ!』

杏理はとびきりの笑顔で大きく頷く。

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『遊ぶ前に、お着替えもして、ご飯もちゃんと食べなきゃね♫』

『はーい!』

元気よく返事をすると、美郷の腕を滑り抜ける様に降り、いつもの倍の早さで布団の枕元に用意された服を順序良く着替える。

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そしてキッチンに行くと冷蔵庫からリンゴジュースを出してグラスに入れ、ちょこんとダイニングの椅子に座り、テーブルに出される目玉焼きを待っている。

美郷も急いで調理をし、パンに薄くバターを塗って杏理に出した。

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そして杏理がパンと格闘している間に自分も着替えを済ませ、杏理の通園バッグと自分のバッグの中身の確認をすると、バナナと牛乳で朝食を済ませた。

杏理はテーブルに散らばったパン屑を布巾で拭き、ウズウズしながら美郷のGOサインを待っている。

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美郷はウインクをして、

『杏理!行こうか!』

そう言うと、ミトン手袋とニット帽をかぶせ、キルティングとボアのリバーシブルになったコートを、内側がボアになる様に着せると、自分も手袋をはめ、コートを羽織り、外に出た。

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だが…

昨日から降っていた雨の後の雪。

薄っすら積もってはいたが、その下は雨が残り、結局、もう一度下着から全てを着替える羽目になってしまった。

それでも、今年初めての雪に興奮気味の杏理は、保育園に行く途中も楽しそうに雪やこんこの唄を大きな声で唄っていた。

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保育園に着き、担任の保母に前日借りた合羽を返し、お礼を言っていると

『じゃぁーね!

ママ!お仕事、頑張ってねぇ!』

背中から杏里の声が…

嬉しそうに手を振る杏理に手を振り返していると出入口の門の手前で園長先生に会った。

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『昨日は本当にありがとうございました。

今日は熱もなく、朝から元気に雪遊びをして来ました。』

美郷がお礼を述べつつそう言うと、園長先生は目を細め

『杏里ちゃんは、素直で明るくて、本当に可愛らしいお子さんね。

何か困った事が有ったら、いつでもご相談くださいね。』

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優しく言い、いきなり美郷の手を取り

『お母さん一人で大変でしょうけど、私に出来る事なら、何でも力になりますから。』

真剣な表情で、美郷を励ましてくれる。

『あ…ありがとうございます…』

まるで、自分の母に力をもらった様に、美郷は嬉しさで声が詰まる。

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『あらあら。

私ったら…

お母さん、これからお仕事なのに、引き止めちゃってゴメンなさい。』

そう言うと、優しく美郷の背中を撫で、送り出してくれた。

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午後になり、会社で仕事をしていると、携帯が《ブルルル…ブルルル…》と、鳴り出す。

見ると、又保育園から。

美郷は席を立ち、人の来ない非常口辺りに来て話をした。

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『杏里ちゃんのお母さん?昨日と言い今日と言い、お仕事中に申し訳ありません。

昨日と同じく、熱は平熱より少し高いだけなんですけど、様子が変なんです。

今日は園長先生は区役所の方へ行ってまして、在園していないんで、申し訳ありませんが、お迎えお願い致します。』

『分かりました。すぐに行きます。』

美郷は上司に早退を告げると、早退届を一緒に出し、そのまま保育園へ向かった。

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保育園に着くと…

『あれは…?』

杏理は、積み木のような四角い木のおもちゃを握り締め、身体を激しく前後に揺らしている。

明らかに様子がおかしい。

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『杏理ちゃんが持ってる木のおもちゃは、お家から持って来たものみたいです。

……

お友達と遊んでたんです。

それが、急に俯いて座り込んだと思ったら、手にはいつの間にかあの四角い木を持っていて、いくら声をかけても返事もしないし、身体を揺らしてるんです…

さっきからずっと…』

若い保母は泣きそうな顔をして、美郷を見つめるが、美郷だって訳がわからない。

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『杏理?ママよ?どうしたの?

杏理?』

声をかけても返事もしない。

抱き上げ様としても、上半身を激しく前後に揺らしているから抱き上げる事も出来ない。

杏理の両肩を掴んでも、動きを止める事が出来ない。

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杏理のどこにこんな力が有るのだろう?

それほど、激しく身体を揺らしてるいるのだ。

美郷は、杏理の頬を力強く、平手で打った。

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すると、杏理の動きは止まり、そのまま崩れ落ちる様に倒れた。

それを見ていた保母と他の園児達は、一瞬固まる様に動きを止める。

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美郷は床に倒れた杏理を抱きかかえると

『すいません!

早く……

早く救急車を呼んで!!』

と、叫んでいた。

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病院に運び込まれた杏理だが、一向に意識を取り戻さないまま、もう丸1日が経っていた。

色々な検査をしたが未だに原因が分からず、ただ、スヤスヤと眠っている様だが起きてくれない。

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美郷は憔悴していた。

このまま杏理が目覚める事はないのではないか?

と、不安で胸が押し潰されそうだった。

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眠る杏理のベッドサイドの棚には、あの寄木細工が置きっぱなし。

考えてみたら、これを拾って来てから、美郷は悪夢を繰り返し、杏理はおかしくなってしまった。

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美郷は、寄木細工を手に取り、色の違う木で出来た細かい模様を眺め、指で触った…

次の瞬間、その面が横にスライドした。

『え?何これ?』

他の5面を左右にスライドさせて行くと、やがて、それが小さな箱だった事に気付いた。

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箱の中には、小さなお札と共に、白い和紙で包まれた物が入っていた。

美郷はそれをソッと箱から取り出し、包みを開ける。

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そこには…

沢山のビーズの様な乾燥剤に包まれた、干からびた小さな指が……

『ヒッ!!!』

美郷は、声にならない声を上げると、包みごと、指を床に落とした。

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慌てて看護師を呼び、転がった指を探したが、どう言う訳か、指は何処からも出て来る事はなかった。

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そして、そんな騒ぎを耳にした杏理が、まるでたった今お昼寝から起きたかの様に、大きな欠伸をしながら

『ママ…?どうしたの?何してるの?』と………

美郷は杏理の身体を抱き締め、オイオイと泣きじゃくり、杏理は最初、何事かとビックリした顔をしたが、母親の泣いている姿を目の当たりにし、つられて泣いた。

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その日の夜、ある家に救急車が到着し、若い男が救急隊員の手により、心臓マッサージを受けていた。

だが、既に男の身体は死後硬直が始まり、どう見ても死後数時間は経っていた。

狭いプレハブ小屋に救急隊員達とひしめき合う様に立ち、息子を心配し、泣き叫ぶ母親の姿がそこに有った。

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その死姿は、どんなに苦しい思いをしたのか…

どんなに暴れたのか…

どれほどの恐ろしい思いをしたのか…

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どうしたらこうなるのか誰も見当も付かない程、手足が強張り、喉には幾筋もの自分の爪痕を残し…

これまで母親も見た事がない程目を見開き、唇は捲れ上がり、ガッチリと歯を食いしばっていた…

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心筋梗塞?

救急隊員達は、あまりの形相の死顔を見て、すぐに警察に連絡をし、検死にかける事になった。

男の検死をした結果、小さな干からびた子供の指が、男の気道を塞ぐ様に気管を突き破り、刺さっていた。

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その子供の指をDNA鑑定をした結果、一年半前に殺害された幼女の物と断定された。

男の部屋からは、その殺害された幼女の遺留品が発見され、携帯には幼女の首を絞めた直後と見られる画像が残っていた。

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母親と二人暮しだった男は、未だ、男の祖父母が存命だった頃に、一人で庭にプレハブ小屋を建て、そこを自分の部屋として使用していた様だ。

母親も何か知っていたのではないかと、警察は連日取調べたが、結局、何も分からなかった……

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あの雨の日に拾った寄木細工の箱は、《秘密箱》と呼ばれる《カラクリ箱》だった事を知った。

そして、あの指を見付けたその時から、悪夢にうなされることも無くなり、杏理は秘密箱を見向きもしなくなった。

勿論、もし未だ杏理が気に入っていたとしても美郷はあんな曰く付きの物はもう、二度と御免だ。

そして、迷いもなく可燃ゴミの日に捨てた。

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いつもの元気な明るい杏理が目の前にいる事が、これ程までに幸せで嬉しいものだったと言う事を、美郷は今更ながら心から実感していた。

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美郷の仕事の休みの日曜日、いつもよりちょっと遠くのスーパーで特売があり、美郷は自転車の前輪上に付いたカゴに杏理を乗せると、軽快に漕ぎ出した。

そして、お買い得品を買い込んだ帰り、杏理を自転車に乗せたまま、急な坂道を自転車を押しながら上っていた。

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その時、坂道の上から見慣れた女性がゆっくりとした足取りで近付いて来る。

そして…

ニッコリ微笑む。

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『あー!!

園長先生だぁ!!』

杏理は嬉しそうに声をかける。

美郷は、身体が強張った。

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一年半前の幼女殺害の犯人が不審死を遂げた事。

その母親が、殺害された幼女の通っていた保育園で園長をしていた事。

全て、ニュースや新聞、そして、週刊誌まで買い、目を通していたからだ。

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園長先生は、ゆっくりとした足取りで美郷と杏理に向い、風の音と間違える程小さな声で…囁く様に何かを言った。

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私は、息子の性癖も全て、知ってたいたわ

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私は、息子を誰よりも愛していたのよ

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だから、あの子に憑いた厄を落とす為に

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あの忌まわしい物を捨てさせたのに

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次は、お前の子を息子に与えてあげようと…

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そう、思ってたのに…

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杏理に向い、微笑みながら通り過ぎて行った。

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美郷は自転車を両手で押さえながら、大きな声で園長に向かい言い放った。

『何が有っても、この子だけは守る!!

私の命を懸けても、この子だけは守り切ります!!』

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園長は、足を止めると、少しだけ横顔を覗かせて微笑み、又、ゆっくりとした足取りで坂道を下りて行った。

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子を想う気持ち…

それが狂信的になってしまう事が…

これ程、恐ろしい結果になると言う事を…

身をもって知った様な気がする…

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あの寄木細工の箱を拾ってからの出来事。

そして、それに纏わる疑似体験。

歯車の狂った母子。

自分は間違った子育てをしていないか?

改めて考えさせられた。

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『ママ?どうしたの?

お家に帰らないの?』

杏理の可愛い声で、ハッと現実に引き戻される。

『帰るよー♫さぁ!今日は杏理の好きなハンバーグ、一緒に作ろうね♫』

そう言うと、万歳をする杏理を乗せて自転車を走らせた。

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幼女になんてコとを、、まあ怖かったし面白いしいいか(少し興奮したとは言えない、、)

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