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私は…
真面目に生きて来た。
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パブル絶頂期、同僚達がこぞってブランド物に身を包み、
『アッシー君』だの
『貢ぐ君』だの
異性との恋愛ゲームを楽しみ、ある意味青春を謳歌している間も、私は無関係に慎ましく、流される事なく生きて来た。
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化粧っ気の殆どない顔に、半年に一度、美容院でカットした髪は後ろでゴムで縛り。
お酒を飲む訳でなく、当時流行りのディスコに行く事もなく、毎日判で押したよう様に、アパートと会社の往復。
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田舎の両親は高齢で、年の離れた兄が家業の農家の後を継ぎ、義姉や甥っ子、姪っ子が同居している今は、もう、私には甘える場所も帰る実家もなくなっていた。
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友人と呼べる人も居ず、恋人と呼べる男性とも出会う事もなく、毎日働き、贅沢をする事もなく、曜日毎に決めたメニューを数十年繰り返し作り、食べ、生活に必要な物以外は買う事もなく、単調な毎日を繰り返して来た。
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大した給料ではなかったが、バブルが崩壊し、会社内の事業を縮小した際、幸いにもリストラ対象にもならず、勤続30年を超えた頃には思うよりも多額の預金額になっていた。
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このまま一人で生きて行くのも悪くない。
私は、終の住処となるべく中古のマンションを購入した。
都心から電車で20分圏内。2LDKのマンションは、築年数は古いものの、綺麗にリノベーションされている。
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今の流行りなのだろう。
2つある部屋のどちらもフローリングで、洒落た洋間になっている。
だがどうしても畳の部屋が欲しくて、リビングには二色の琉球畳をラグの様に敷く事にした。
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それまでいた古いアパートは30年以上も住み続けた部屋だと言うのに、荷物も予想外に少なかった。
長年家具の代わりに使用していたガムテープで何ヶ所も補修していたカラーボックスも捨てた。
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毎日朝にたたみ、夜には敷き、休みの日には干していた薄っぺらになった綿入りの布団も捨てた。
いつも脱水の度にガタゴトと激しく音を鳴らし、ベランダを揺らしていた二槽式の洗濯機も捨てた。
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ローンを組まずに一括購入した新居には、こんな古びた物を持ち込みたくはなかった。
仕事の合間を縫い、まとめた荷物を引っ越しの前に少しずつ新居に運ぶ。
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就職の為に上京して30数年。
…
……
私にとって必要な物は、たった数個の段ボールだけだった。
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ガランとした空間は、最初は落ち着かなかったものの、半月も経つ頃には広々とした心地良い空間に変わっていた。
仕事帰りや休日に、生活用品を見て回る事も楽しいと思い始めた。
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誰かを呼ぶ予定もなかったが、それでも食器もグラスも全てセットで購入した。
ボタン1つで沸くお風呂も、伸び伸びと手足を伸ばせる湯船も、以前、景気の良かった頃に会社の慰安旅行で行った温泉以来だった。
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不衛生な虫もいない、安心して寛げるキッチンやリビング。
畳のい草の香りを嗅ぐだけで幸せな気持ちになれる。
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贅沢など興味もなく、身の丈に合った暮らしを続けたご褒美だと、私の人生の集大成とも言える大きな買い物にも大満足の日々を送っていた。
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それなのに…
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……
………
…………
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いつからか鳩尾の辺りに鈍痛を感じる様になっていた頃、たまたま有った会社の健診後、再検査をする様に促された私は近所のクリニックを訪れた。
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だが、クリニックでは大した検査も出来ないと、大学病院へ行く様にと紹介状を手渡され、その足で大学病院に行く事になった。
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新居に引越して来てから僅か半年。
新しく始めた暮らしに浮き足立ち、上品な花柄のファブリックを扱うショップでベッドカバーやテーブルカバーと一緒に一目惚れをして購入した、淡いブルー地に優しい花の柄のカシュクールワンピースも、いつの間にか胸の辺りがぶかぶかになっている。
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会社に連絡をし、有給休暇を取り、検査入院の為に準備をし、ふと…
新居に入居してすぐに買った籐で出来たドレッサーに映る自分の姿を見た。
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自分の顔をまじまじ見る事なんて久しぶりだったが…思ったよりも酷い顔にビックリしてしまった。
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土気色の肌。
カサカサに乾き、ひび割れたくちびる。
肉が削げ落ちコケた頬。
目の下には真っ黒と言って良いほどに黒いクマ。
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「いつの間に…?」
私は自分の頬を両手で撫でる。
元々瘦せぎすな体躯は、スカートのボタンを直しただけでは履けない程に大きくなっている。
いや…大きくなった訳ではなく、私が縮んだのだ。
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そして検査の為の入院の筈が、治療をする事になり、退院の目処も立たないままになってしまった。
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田舎からは実兄と義姉、年老いた父が見舞いに来てくれたが、母は腰を痛めて歩けない為に来れず、会う事は叶わなかった。
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会社からも上司が見舞いに来てくれた。仲の良い同僚もいない為一人で来てくれたが手持ち無沙汰なのか、仕事以外の話題もなかった事から会話も続かず、お決まりの励ましの言葉を残し帰って行った。
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「こんな筈じゃなかった…。」
同室の他の患者さん達が家族と話している声を聞き、子供を褒める声を聞き、ご主人なのだろう。優しく宥める様に労わる言葉を聞く度に一人の自分が堪らなく惨めに思う。
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私には何もなかった。
家族も友人も恋人も。
物欲すら無かったから自分一人の力で大きな買い物も出来たが、それが何だと言うのだ?
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心の拠り所となる者すら持つ事が出来なかった私は、誰にも甘える事も、泣き言を言う事も許されず、孤独の中で死んで行く。
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悔しい…
悲しい…
幸せになりたかった…
幸せな人が…
許せない…
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人の笑い声に耳を塞ぎ、ベッドから起き上がる事も出来なくなった私は怒鳴る事も出来ず、痛みでのたうち回りながらも誰かを…人を…恨んでいた。
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私は…
人生の集大成とも言える高額な買い物をしたのに、二度とその部屋に帰る事も出来ず、いつしか全身の痛みから解放された…。
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私の意識も身体も真っ暗な闇に包まれ、胸に渦巻く深い恨みや妬みがより増幅されて行く。
私の何よりも大切な場所。
その場所へ、私の…既に形を成さない黒い靄の様な闇は飛んで行った。
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私のたった一つのもの
誰にも渡すものか
それが例え肉親だろうと
私のものに指一本触れさせてなるものか
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強い想いだけが残る。
私のマンションを訪れる者全てを排除する。
新しく揃えた家電や家具。
食器や調理器具。
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カーテンやラグや畳や…
誰に見せる訳でもないのに新居に入って買ったレースをふんだんに使った下着も…
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誰にも
誰にも
指一本触れさせやしない。
全て私の物なのだから。
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私の想いのこもった部屋を訪れた実兄と義姉は、遺品整理との名目で私の物を仕分けして行く。
私がそこで見ている事にも気付かず。
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私の揃えた物をリサイクルショップに売り払おうと算段をし、義姉は私の服やアクセサリー、バッグと共に、未だ一度も使用していない食器を嬉々として箱に詰め、自宅に送ろうとしている。
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渡さない
許さない
触らないで
早くここから出て行け!!
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私は義姉の背中に覆いかぶさる様に張り付いた。
そして、そのままベランダへ引き摺る様に連れて行く。
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死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
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死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
義姉の耳元で囁く
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義姉はベランダの手すりにつかまり、まるで景色を楽しむかの様に辺りを見回し、そのまま足を柵にかけると空中に身を投げる。
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兄はフラフラとベランダに出た妻を目で追いつつも、作業の手を止める事なくただ見ていた。
突然、視界から消えた妻。
慌てて後を追い、ベランダから下を見ると、遥か下のコンクリートの上、広がる血溜まりの中に不自然な形で手足を曲げた妻の姿。
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兄はそのまま鍵もかけず部屋を飛び出した。
エレベーターのボタンを押すが下層階で止まり、上まで上がって来るのを待てなかったのだろう。
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上層階だと言うのに階段を使い、妻の元へ急いで駆け下りて居た。
…
……
私の物には兄だって触れさせない…
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私は兄の足首を両手で掴んだ。
兄は上半身を斜めにしたままの体勢で下に降りる足が動かなかった為バランスを崩し、勢い良く階段を転げ落ちて行った。
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手摺に首を打ち付けたのだろう。
頚椎がポッキリと折れ、そのまま動かなくなった。
私は兄の遺体を眺めていたが飽きると、自分の部屋に戻って行った。
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私はコツコツと貯めたお金で家を買った。
その部屋にいるだけ。
誰も呼んでなど居ないし、誰にも来て欲しくもない。
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なのに、人が勝手にやって来る。
色々な不動産屋がやって来た。
中には視える人も居た様で、怪しい霊能者や霊媒師などが何人も不動産屋に呼ばれて来た。
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だけど、私は自分の家に居るだけ。
私のテリトリーに入って来た者は、無条件で排除するのみ。
そんな者はことごとく、怪我を負い、中には命を落とす者もいた。
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私から言わせると自業自得。
人の住まいに勝手に入って来る不法侵入者なのだから。
私の物を私の許可なく売りさばこうなんて、盗人猛々しい。
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…
……
私は自分の家に居るだけ…
………
それだけ…
…… … …
作者鏡水花
書きながらこの女性が可哀想にもなってしまいました(´;ω;`)
ずっと真面目に生きて来ただけなのに…。
出来る事なら、この部屋はそっとして置いてあげて欲しいと思うのですが…
皆様はどう感じますか?
この度も私の作品をお読み下さった全ての方に…
ありがとうございました(๑Ő௰Ő๑)
※もう少しで手術となりますので、その前、仕事の合間に投稿を出来るだけしたいと思っております。
先月に投稿しました作品のコメントも頂いたメッセージも、術後、体力が戻りましたらお返事いたしますので、もう少しお待ちください(இɷஇ )
いつもお待たせしてばかりでごめんなさい(꒦ິ⌑꒦ີ)