兄が二十歳くらいの頃
当時付き合っていた彼女は
いわゆる「視える人」だったそうだ。
デート中も
「あの柱の影に誰かいる」
「今通りすぎた人がおばあさん背負ってた」
終いには
「兄くんの部屋の窓からなにか覗いてる」
などと、あらゆる場面で「視える」発言を繰りく返し、怯えて見せていた。
兄はといえばそういった類いに全く興味がなく、そんな彼女を面白がり付き合いを続けていた。
ある日の夜のデート
sound:23
食事を終え、軽くドライブをしながら帰ろうと遠回りして車を走らせていると
地元の県ではわりと有名な心霊スポットであるトンネルの近くまできていた。
兄はこのトンネルが心霊スポットとは一言も言わず、ここを通ったら彼女がどんな反応をするんだろうと、半ばいたずら心でそのトンネルを通ることにした。
兄「ここを通ったほうが帰りが早いから」
と彼女にはあくまで早道であることを示してトンネルへと向かった。
いざトンネルに入ると、車1台通るのがやっとの幅と、照明の1つもない真っ暗で薄気味悪い空間が漂っていて、
霊的なものを一切信じていない兄でも言い様のない閉塞感を感じていた。
ただ彼女の前では平常心を保とうと、平静さを装いながら彼女を気遣った。
兄「大丈夫?怖くない?」
すると彼女は以外にも
「ぜんぜ~ん?ワクワクする~!」
と、普段なら幽霊の影に怯えて縮こまっていそうな彼女が、全くと言っていいほど恐怖心を抱いていない素振りを見せていた。
その後、何事もなくトンネルを抜けると、しばらくして彼女が車内に流れる音楽のボリュームを一気に上げ始めた。
music:6
スピーカーが割れるほどの轟音が車内に鳴り響き、そしてさらに彼女がその音楽に合わせて熱唱し始めたのだ。
兄は彼女の突然の行動に驚き、とりあえずボリュームを下げようとするが彼女に両手で遮られる。
そして前方をただじっと見つめながら熱唱する彼女の肩を揺さぶり
「おい!おいって!」
と問い掛けても全く意に介さず、ただただ喉が潰れんばかりの大声で歌い続けるだけだった。
埒が明かないと感じた兄は、いったん車を停めようとスピードを緩め始めた。
すると彼女がさらに大声で
sound:24
彼女「停まったらダメ‼️‼️」
そう叫び、再び歌い始めた。そして兄は彼女の両目から大粒の涙が溢れでていることに今さらながら気付いた。
それから彼女は涙と鼻水を流し、しゃくり上げながらも歌うことを止めなかった。
兄もただ呆然と、ただひたすらに車を走らせていた。
その状態がしばらく続いたが、ふと目の前の道路の両端に、いくつかの石灯籠が並び建っている場所が目に入った。
そこを抜けると彼女は唐突に歌うことを止め、そして静かにボリュームを絞り始めた。
互いに無言の車内で、兄もどう接していいかわからず戸惑っていたが
彼女のほうからポツリポツリと口を開き始めた。
「あのトンネルに入った瞬間ね、後ろの席によくないものが乗ってきてるって感じたの」
「そしてこれは怖がったらダメなやつだって思って、頑張って平気な振りをしてたんだけど…」
「トンネル出たら居なくなると思ってたら、ずっと後ろにいて、私の髪の毛触ってきたの!」
「そしてね、耳元で呟いてきたの…」
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sound:19
「おねがい、おねがい、、って…!」
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「もうこれ以上聞いちゃいけないって!、最後まで聞いたら危ないって思って!…だから…ごめんね、、驚いたよね…」
それから彼女はまた黙ってしまい、兄もどう慰めていいかもわからず、そのまま彼女を家まで送り届けた。
彼女はいったい何を「おねがい」されようとしたのだろうか。
もしもその「おねがい」を最後まで聞いてしまったら、どうなっていたのか。
今は知るよしもない。
ただ兄も、その話を聞いた自分も、それ以来そのトンネルを通ることはなかった。
作者colossus
実際はその石灯籠の前に気配は消えていたそうです。
そして灯籠を抜けた瞬間、空気がガラッと変わったとその彼女さんが言っていたそうです。
あとなぜ歌っていたかというと、怖がっていないアピールだそうです。
ちなみに兄は
「涙でメイクが落ちた表情が一番怖かった」
と言っていました。