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長編9
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森の中の気配

空港からタクシーで30分ほどのところにあるこのホテルの周辺は、この島の中では一番賑やかな繁華街であるとネットの旅行情報サイトに出ていたが、

龍一が今目の前にしている町並みは「一番賑やかな繁華街」というフレーズから龍一が想像していたものからはかけ離れていた。

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ピカピカの新しいコンビニが一つある以外は、古臭くて小さいスーパーが一つ、レストランと呼ぶよりは定食屋あるいは食堂と呼ぶほうが適しているような小ぢんまりした食事処がいくつかあり、その中に民家も交じっており、とても繁華街と呼べるような場所ではない。

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何となく一昔前に戻ったのではないかと思わせるような町並みである。ただし、それはネガティブではなく、ポジティブな感情を抱かせる。

観光地化しきってしまっている他の多くの地域と比べ、この素朴な風景は、本当に田舎に来たと感じさせてくれる。そしてこの「繁華街」のすぐ周りは延々と続くサトウキビ畑と森ばかりである。

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それでも、その新しいコンビニは品揃えがよく、都市部にあるそれとは違わず、観光客には便利である。

ホテルも建物自体は古いが、きれいに保たれていて,また、土産屋、カフェ、レストラン、無料Wi-Fiアクセスなどもきちんと揃っており、とても快適で、その点は他の観光地のホテルに劣らない。

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龍一は兄弟のように仲良くしている歳のあまり違わない従弟の雄二と二人でこの島に観光に来ている。特に目的があるわけではなく、ただ単にゆったりするためにこの南の島に3泊4日で来たのである。

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10月上旬ではあるが、この地域ではまだ夏のようである。ホテルの目の前にビーチが広がり、いつでも好きな時にビーチに行ける。

一階ロビーのカフェからは白いビーチとエメラルドグリーンの海が見渡せ、アイスコーヒーを飲みながら、優雅な時間を過ごせる。運よく龍一たちの滞在中はずっと晴れの予報である。

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滞在三日目、龍一は早めに目が覚めた。隣のベッドでは雄二がまだ気持ちよさそうにクークー寝息を立てている。

外は明るいがまだ暑くはないだろう。せっかくだから一人で幼虫探しを兼ねて少し散歩してみることにした。

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龍一は子供の頃からアゲハ系の蝶の幼虫が好きで、飼育もしたことがある。20歳台半ばになった今でも、外出すれば目をきょろきょろさせ、柑橘系などアゲハ系の幼虫の食草を探す癖は変わらない。

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この島の気候は熱帯あるいは亜熱帯に属するため、生息する植物や昆虫の種類も、龍一の住む関東地方とはかなり違う。

一昨日と昨日はそこら中にたくさん植えてあるシークワーサーの木に、関東では絶対に見かけないシロオビアゲハの幼虫がたくさんいるのを見て大喜びした。

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今日は、この地域に生息するカラスアゲハの亜種の幼虫を見てみたいが、元々幼虫探しは計画していたわけではないので、その食草が何であるか、よくわからない。

カラスザンショウぐらいしか思い浮かばないし、カラスザンショウなら間違いなく食べるだろうと見当をつけ、まずはカラスザンショウの木を探すことにした。

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ホテルの敷地の前には左右に車道が走り、その向こうは一面のサトウキビ畑である。

さらにその向こうの遠くには、木に覆われた丘の広がりが見える。

龍一は「繁華街」とは反対側の右側へ車道に沿って歩を進めた。

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時間が早いせいか、あるいは元々人が少ないせいか、人通りはほとんどない。

木造の民家や公民館のような古い建物が続き、10分ほど歩いたところに野球の練習場のような広場が見える。

その奥には森が広がっているようだ。

その森には車がやっと通れるか通れないかぐらいの幅の、舗装されていない道が広場から伸びている。

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ああいう茂ったところならカラスザンショウの木があるのではないだろうか。

龍一は木が上から覆いかぶさる森の道を進むことにした。

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広場と森の境目には「ハブに注意」の看板がいくつもあり、龍一を躊躇させる。

立ち入り禁止になっているわけではないが、おそらく草で足元が見えないような所を歩くのは危険であろう。

あの道からそれて下生えに入るのはやめておいたほうがよさそうだ。

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森の道に入り、耳を澄ますと自然の音しか聞こえない。鳥の声と風に揺られる葉のさざめき。

都会に住む龍一にとって、この状態は贅沢なような気もするが、恐ろしくもある。

こんなに離れた島の森の中にたった一人でいて、何か起きても誰も気付いても助けてもくれない。もしも今ハブに噛まれたら、あるいは何かに命を狙われたらと思うとぞっとする。

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そう思うと急に何かに見られているように感じるが、それは気のせいだろうか?

おそらくそれは龍一の怖いもの好きの部分が想像しているだけなのであろう。本心ではそんなことはないだろうなと楽観している。

でなければ、カラスザンショウ探しはここでやめているところだ。

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道をさらに森の奥へと進んでいく。ただし下生えには絶対に入るつもりはない。

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カラスザンショウは龍一の地元でも幼木が道端やジメジメした日陰などで雑草と一緒に自生しているのをよく見かけるので、見慣れており、あればすぐにわかる。暖かい気候を好むらしいので、おそらくこの島でもそこら辺に自生しているのではないか。

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自分の足音がよく聞こえる。

しかし他にも葉のさざめき以外に何かが動いているような音がするような気もする。

ハブか?付いてきている?蛇はそんなことはしないはずだ。

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ここまで来て、自分の想像に怯えてこのまま帰るのももったいない。

カラスアゲハの亜種がこの島に生息している事実はネットで確認済みなので、探せば絶対にその幼虫も見つかるはずだ。もしカラスザンショウでなければ、ハマセンダンとか。あいにく関東地方に自生しないハマセンダンは見たことがないのでよくわからない。

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想像ではなく、実際に何かが森の中を動いている、あるいは歩いているようだ。

自分が止まるとその音も止まっているのではないか。だから、あまりわからなかったのではないか。

この辺には熊などの人間を襲う大型動物は生息しない。何かいるなら先ほどのハブの看板のように注意書きがあるはずだ。では、これは他の人間なのか。もしかしたら何か作業をしている地元の人かもしれない。

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それとも...自分の臆病さが悪い想像をさせる。いくら何でも人が近くにいるのなら姿が見えるはずだ。

でも、わざと身を隠しているとしたら?なぜわざわざ身を隠す?

それは...こっちを油断させて、奇襲するため?まさか。自分の臆病さがたくましくさせる想像力を思わず笑ってしまった。

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あっ、あそこに見える大きめの木はカラスザンショウかな?龍一はカラスザンショウっぽく見える木をずっと先の方に見つけ、急にわくわくして、そちらに向かって足早に歩を進めた。幸い道のすぐ横に生えていて、下生えに入らずにじっくり見られそうだ。

そこで、スマホの着信音が響いた。こんなところでもちゃんと電波が届いているのだ。

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「あっ、龍ちゃん、今どこ?ビーチ?」

「ああ、雄二、起きたか。今ホテルの外を散歩中。」

「ふーん。ホテルの朝食って何時までに入らないといけないとかなかったっけ?早く行ったほうがいいんじゃね?」

「まだ始まったぐらいだろう。慌てなくても、結構遅くまで入れるはずだよ。まあすぐに戻るけど。」

「じゃあ顔洗ったりしてるから、龍ちゃんが戻ったらすぐに朝食行こうよ。朝食の券どこ?」

「俺の財布の中に入ってる。」

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「そういえばさ、たった今見たんだけど、島の北のほうで、人が殺されてたらしいよ。犯人まだ見つかってないらしくて、下手すっとそこら辺にいるかもしれないから、龍ちゃん、あんまり一人で知らない所うろつかないほうがいいんじゃね?まあここは島の南で、ちょっと位置が違うから大丈夫だとは思うけど。もしかしたら動物かもしれないらしいけど、この島そんな危険な動物いたっけ?」

「...」

「どうしたの?龍ちゃん、大丈夫?」

「あっ、ああ、だっ、大丈夫。」

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その時、がさがさと、今度は音を出すことに躊躇せずこちらに向かってくるような草を踏む音が聞こえてきた。

さっきからの視線と気配、もしかして...

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カラスザンショウらしい木まではまだ距離があったが、龍一は急に歩を止めた。そして方向転換し、一気にもと来た道を走りだした。

方向転換の瞬間、すぐ近くでがさりと葉が揺れ、視界の端に何か緑色の手のような物が見え、そして何か緑色の人のような物が出てきたような気がするが、止まって後ろを確認する暇はない。自分は命を懸けて走っているのかもしれないのだ。

自分の走る足音と自分の鼓動がうるさくて、実際に追手の足音が聞こえているのかもわからない。極限の精神状態で何が何だかわからない。

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全速力で走ってみれば、案外簡単にさっき通った広場、そして車道までたどり着いた。それでも、まだ人の姿がなく安心できず、走り続けた。

ホテルの近くまで来てやっと人の姿が見えたので、さっと後ろを振り返り、何も追ってきていないことを確認することができた。

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そしてこちらに向かって歩いてくる観光客らしい若い男女に声をかけようと思ったが、半パニック状態で、実際に見たかどうかも確信が持てない「緑色のバケモノ」の話をしたところで、精神状態を疑われるだけで相手にされないだろうと判断し、思いとどまった。下手をすれば不審者扱いされてしまう。その程度には冷静さを取り戻していた。

今だに繋がったままになっていた雄二との通話に返事をした。

「おーい、雄二?聞こえるか?今ホテルの近くまで戻った。」

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ホテルのロビーの出入り口のところには雄二が立っている。龍一が帰ってくるのを待っているのだ。怒るべきか迷っているような表情をしている。心配していたのは間違いない。

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「さっきどうしたんだよ?いきなり黙って返事せず、通話切りもせず。何かあったと思って、今の今まで警察に連絡するかどうか迷ってたんだからな!」

「ごめん。何かあったと言えば、あったんだよ。でも、何だったんだろう、あれ。もしかしたらパニクって、自分で勝手にないものを見てたのかもしれないけど。

雄二が電話であんな物騒な話するから、雰囲気も相まって、なんか狙われてるような気がしちゃってさ。いや、狙われたんだと今でも思ってるけど。

雄二からの電話の前から何となく、視線ていうか、気配みたいなものを感じてた気はするんだよな。つけられていたっていうか。」

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ロビーのソファーで体を休めながら、龍一は雄二に幼虫探し兼散歩中のいきさつを話した。

無理はないが雄二は半信半疑である。しかし普段からいい加減なことは言わない龍一の真剣な話を頭から否定しようとはしない。

ただ、「緑色のバケモノ」は見間違えとしか雄二には思えない。それも当然であろう。

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しかし島の北部での事件を考えると、龍一の話がとても不気味に感じられる。結局警察への通報は諦めた。気配、視線、足音、そして本人でさえはっきり何だったのかわからない「緑色のバケモノ」だけではとても真剣に相手にしてもらえそうもない。

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ロビーとビュッフェ形式の朝食の賑わいの中では、さっきの出来事が何でもなかったように感じられてきた。

やっぱりあれは恐怖心とパニックに見せられた幻覚だったのかな。あるいは葉が多く付いた大き目の枝が緑の手に見えたとか。

龍一は落ち着きを取り戻し、朝食を楽しんだ。ジーマーミ豆腐を好きなだけ食べられるのはうれしい。滞在最後の一日をどう過ごそうか雄二と話す。

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ビーチでゆったりして、スーパーとコンビニで関東では買えないカップラーメンやお菓子やこの地方の特産物を買って、ホテルのカフェでケーキセットを楽しみながら、エメラルドグリーンの海を見て過ごす。そんなところか。

さっきの出来事を馬鹿らしいと思おうとするが、それでもやはり今日は森や人気のない所にはとても行く気にはなれない。

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翌日龍一と雄二は正午前のフライトで島を立った。こうして仲の良いいとこ同士の二人は想い出に新しい一ページを加えたのである。

しかし、二人は、観光で同じホテルに泊まっていた若い男女が昨日から行方不明になっていたことを知らなかった。

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龍一は、自分がいつもとても運が良いということにほとんど自覚がない。時にはその運の良さは生死の差にもつながるというのに。

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