山に纏わる怖い話「山化魅」

中編4
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山に纏わる怖い話「山化魅」

山登りが好きだった祖父の話だ。

その日、祖父は神奈川にある大野山に出かけた。

標高723メートル。

今では山頂まで車でも行けるようになったが、当時はまだ足でしか行けなかったらしく、山頂まで歩くのは中々一苦労だったという。

そんな山登りの最中、歩き疲れた祖父は足を休めようと適当な場所を見つけ喉を潤していた。

早朝にでも出発したのか、既に下山する登山客の一団が、祖父の目の前を横切って行く。

軽く会釈してきたので、祖父も会釈を返したその時、

「いやあ、今日は絶好の山日和ですよ、山頂から眺める富士も箱根も絶景です!ははははは」

と、先頭を歩く少しふくよかな男が、祖父にそう言い残し、大きな笑い声と共に立ち去って行った。

言われた祖父は空を見上げ直ぐに首を捻った。

「少し雲も出てきてるんだがな……」

呟くように言った時だった。

「いやあ、良い天気だ、皆さんどうですか?」

そう言いながら、また他の登山客が、祖父の目の前を歩き去って行く。

後ろをついて行く他の人達も口々に、

「本当に、今日は登れて良かった」

「全くですよ、こんな良い日はそうそうない」

などと語っている。

「良い日、ねえ……」

もう一度空を見上げ、やはり首を捻ると、祖父は徐に立ち上がり山登りを再開した。

幾ばくか歩く度に空を見上げるが、やはり山頂には少し雲が集まっているように見える。

避難する程ではないが、通り過ぎざまに言われた、

「良い天気だ」、「こんな良い日に」、という言葉が頭を過り気になった。

すると、また上の方から足音が聞こえる。

前に向き直ると、またもや数人の登山客だ。

祖父は何となく顔を合わせずに横を通り過ぎようとした、その瞬間、

──がしっ

突如、横にいた登山客の一人に肩を掴まれたのだ。

「えっ!?」

思わず目を見開き掴んできた男の顔を凝視する。

「こんな日に登れるなんて、貴方ついてますよ」

その男の迫力に気圧され、祖父が何も言い返せずにいると、登山客達は終始笑顔のまま山を下って行った。

「何なんだ一体……」

その後も下山してゆく登山客からの声掛けは続く。

そして皆、口を揃えて同じような内容を述べて行く。

「今日は素晴らしいハイキング日和ですよ」

「今日登らなきゃいつ登るんですか!」

だんだんとその声掛けに嫌気がさしてきた祖父は、そこで足を止めた。

「何なんだ今日は……」

一旦落ち着こうと水筒のお茶を口に運びながら、祖父がふと下界を見下ろした時だ、

「そういえば……」

祖父はそこでようやくある事に気が付いた。

降りてくる登山客はいるのに、登っている登山客が、自分以外いない事に……。

すると祖父は、今度は山上に向き直り、辺りをじっと見回した。

やがて林道の先から、登山客の一行がまたもや下山してきた。

今度は視線をそらさず、じっとその一行に目をやっていると。

「あっ……」

祖父は思わず驚きの声を上げそうになり、慌てて自分の口を両手で覆った。

祖父が驚いたのは無理もない。

下山して此方に向かって来る登山客の中に、一番最初に声を掛けてきた、あのふっくらした男と全く同じ顔の人間が、混じっていたのだ。

祖父は慌てて荷物をまとめ、下山を開始した。

すると突然、今まで晴れ渡っていた山の視界が、急に靄がかってきた。

「何で急に霧が!?」

恐ろしくなった祖父は山を転げ落ちる様に走った。

すると、今度は霧に覆われた後方から、

「キキーツ!!」

と、いくつもの甲高い獣の声が吠え渡った。

何かが追ってきている、捕まったら命はない。

直感的にそう感じた祖父は、直ぐ側にある崖下の川に目をやった。

「うわぁぁぁっ!」

意を決し、祖父は迷わず川底へと飛び込んだ。

無我夢中で川を泳ぎ向こう岸へ渡る事に成功した祖父は、今しがた自分が飛び込んだ崖の上を見上げた。

草むらに潜むように何かがいる。

息を殺し、此方をじっと見つめている何かが……。

だがそれを確かめる間もなく、祖父はフラフラの体を無理矢理起こし、振り返る事なく下山した。

後に祖父は自分の体験を頼りに、その山についていくつか調べ回った。

それで分かった事が一つ、かつてその近辺にあった村の言い伝えで、山に住む、山化魅(やまばみ)という妖怪の話だった。

猿に似た外見を持っていて、人の生き血をすする事で人になれると信じていた、哀れな妖怪がいたそうだ。

山で人を化かし魅せられる事から、山化魅と呼ばれるようになったとか。

あの霧の中にいた奴らがその山化魅なのかどうかは分からないが、あの時もし冷静になって下山を決めていなかったら今頃どうなっていたか……以上が、祖父が体験した話だ。

何ぶん記録も何も無く、ネットで探しても何もヒットしないので俺もお手上げ状態だが、もしいつか、この山化魅の話を知っている人物が現れたら、是非伺ってみたい。

今は亡き祖父の墓前に、いつか聞かせてやれる日が来ればいいのだが。

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