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中編6
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個室トイレの住人…

これは、私が以前勤めていた病院で当直医をしていた時に体験した出来事です。

…夜の病院で起こった不思議な出来事、と言ったところでしょうか?

ですが、その当時の私に言わせれば、幽霊だの、なんだのと馬鹿馬鹿しいといったところでした。

……あの体験をするまでは、、、

あれは、5年前の9月。

夏の蒸し暑い空気が、少し涼しくなり始めた頃でした。

その日私は当直を任ぜられ、1人、(とは言っても病院なので勿論、他の先生方や看護師さん方もいましたが)病院内の医務室で自分が担当する患者さん達のカルテに目を通しながら過ごしていました。

私には、個人的にとても気になっている患者さんがいました。

仮にMさんとしておきたいと思います。

Mさんは70歳位の男性で、病室は個室の305号室。

入院してから1ヶ月程。

肝臓に軽い疾病を持っていました。

このMさん、入院した日から必ず毎週火曜の夜中になると自分の病室を出て、そのまま病院内のトイレに入ったきり、夜明けが来るまで個室トイレに閉じ籠って何か独り言を言い続けます。しかし、夜が明けると何事も無かったかの様に、また、自室のベットで寝ています。

私がMさんのそんな不思議な行動を知ったのは、前回の当直の時。その日は火曜日、夜中に突然看護師に呼び出され、連れていかれた先は1階東側の個室トイレ。その時、看護師にMさんの話を聞かされ、私はその事を初めて知りました。

「認知症の可能性があるのでは?」

などと、Mさんの事を知る他の医者達は言っています。

しかし、私はそうは思っていませんでした。

私の知る限りですが、Mさんは至って普通の患者さんでした。毎週火曜日の夜中のあの行動は謎でしたが…

患っていた肝臓にも回復の兆候が見られ、念のためにと実施した全身の精密検査でも、脳に萎縮は見つからなかったし、認知症の症状として挙げられる物忘れや、思考力の低下等も見受けられなかったし、他の臓器も健康そのもの。

肝臓以外具合の悪いところは見当たりませんでした。ですから、私にはMさんが認知症だとはどうしても考えられませんでした。

でも、やはり、Mさんの火曜日の夜中の行動の事は気になりました。

ある日、それとなくMさんにその事を尋ねたところ、それまでニコニコしていたMさんの顔が急に強ばり、

『何で、そんな事を聞くんだ?』

と、言わんばかりの顔で私の事を睨み付けてそのまま黙りこくってしまいました。

その時の、私は

『きっと人に聞かれたくない事だったのかな。』

程度にしか考えていませんでした。

…静まり返った夜中の病院の医務室でカルテに目を通していた私は、ふと思いました。

『そういえば、今日は火曜か…。Mさんまたトイレに籠ってるのかな…?』

Mさんの事が私の頭に浮かんだ瞬間、

……パタ、パタ、パタ、パタ……

開けっぱなしていた医務室のドアの向こうを誰かがスリッパで小走りしていく足音が聞こえました。

と、同時にドアの外から医務室の中を覗き込む姿勢で1人の看護師が私に告げます。

看護師 「先生、Mさんが…また、………」

私 「ああ、分かってる。私も一緒に行こう。」

小走りするMさんが向かう場所は、決まって同じ個室トイレ。

病院の1階東側、車椅子の方専用の少し広目の個室トイレでした。

私と看護師の2人が懐中電灯を手にMさんの後を追います。入院している他の患者さんに余計なストレスを与えないために、間違えても、

  待って、Mさん!!

などと叫ぶ様な真似は出来ません。

静まり返った病院内の廊下には、小走りするMさんのスリッパの音と、それを追いかける私達の足音だけが響きます。

私達の手にした懐中電灯の光は、先を走るMさんの足元だけを照らしています。

……パタ、パタ、パタ、、、バンッ!……

やっと私達が追いつけると思う頃には、既に個室トイレのドアに鍵が掛けられていました。

私がトイレの中のMさんに聞こえるように、しかし大声にならないように言います、

私  「Mさん、ここを開けて。何処か具合が悪い所があるんですか?」

Mさん 「…………」

いつもそうですが、この状態になったMさんが私達の呼び掛けに答えることはありません。

看護師 「先生、どうすれば………」

私 「大丈夫だ。ここは私が見ているから、君は皆のいる部屋に戻って。

もし、他の患者さんからのナースコールがあった時は、私に知らせに来てくれ。」

看護師 「わかりました。」

そう言って看護師は足早に他の看護師達のいる部屋へと戻って行きました。

いつもなら、私もさっきの看護師と同じ様に部屋に戻ってしまっていたのですが、この日に限って何故だか自分はここに居なくてはと思い、その場に1人残りました。

…………静寂。

懐中電灯の灯りはMさんが籠っている個室トイレのドアノブを照らしている。

私は、どうしたものかと、何気無しに自分の腕時計に懐中電灯の灯りを向けました。

時刻はもうすぐ午前4時を廻ろうとしていました。

『後1、2時間ってとこか……………』

私は、早く朝にならないものかと思いながら、個室トイレの傍にある来診患者用の長椅子に腰を降ろしました。

『ブツ…ブツ…………』

Mさんの独り言が始まった様です。

『一体、何て言ってるんだ?』

長椅子から静かに立ち上がった私は、そっと個室トイレのドアのわずかな隙間に耳を当て、中の様子を探ろうとしました。

Mさん 「…くる、………もうすぐ、…朝、………あいつを、………時が、…………くる、……」

『…もうすぐ、朝?、あいつを、時が来る??』

正直、私はMさんが何を言っているのか意味が解りませんでした…。

同時に、情けない話ですがそれらの言葉を途切れ途切れに呟いている個室トイレの中のMさんに、ただならぬ恐怖心を…私は抱いていました。

再び、私は長椅子に腰を降ろし、平静を装っていましたが、早く朝になってくれ!と、気が気ではありませんでした。

……30分程の時間がすぎたでしょうか。

ヒールの音を廊下に響かせながらさっきの看護師が私の元へやって来ました。

看護師 「…せい、先生!、Mさん、Mさんがっ……!」

看護師は慌てた様子で、その顔は青ざめていました。

私 「一体どうした?Mさんなら、そこのトイレの中に……………………」

看護師は私の言葉を途中で遮り、矢継ぎ早に続ける、

看護師 「Mさん、Mさんの病室からナースコールがたった今、それで、他の人が見に行ったんですけど…

今Mさんは自分の病室に居て、激しい吐血、それに、現在、心配停止状態です!」

看護師の口からこの台詞を聞いた瞬間、私は自分の体中から血の気が引くのを感じました。

『…馬鹿なっ!?………Mさんはここに居る!?……Mさんは……………?』

…私は、ある事に気付く。

・最初、Mさんが自分の病室から抜け出すのを目撃した看護師は、その時Mさんの部屋には入らなかった。暗い病室から出てきた誰かをMさんだと思い込んでいたのだ。

・今まで私達はこのMさんを追う時に、彼の足元から上を見たことがない。

・そもそも、私達は決まって火曜日の夜中に病院内を走り、この個室トイレに籠るこの誰かを、勝手にMさんだといつからか決めつけていた。

看護師は私の隣で、個室トイレのドアを凝視したまま震えていた。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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