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長編10
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押された理由⑤

雪沢の祖母…トキさん(仮名)に連れられて、私達は住宅街から離れた、田畑の奥に有る神社に来ていた。

場所を移して話をしたいという、トキさんからの要望に沿う代わりに、私は条件として、トキさんに「知っている限りの事を全て」を話してもらうという事になったのだ。

場所を神社に変えたのは、家だと気まずいとか、近所の目を気にしてだとか、単純にそういう事だと思っていた。

だが、トキさんが神社に入ると、境内の掃除をしていた装束姿の男性が私達の存在に気付いて、目を見張るような顔をしたのを見て、何かしらの理由があるのだと知った。

後に神主だと分かるこの男性は、トキさんと一言二言会話を交わすと、「どうぞこちらに」と言って、本殿の横にある木造の施設に案内した。施設の中に入ると、そこには6畳程の、板張りの床のある部屋があった。

窓が無く、小さな照明が天井から1個吊るされているだけの、かなり閉鎖的な、質素な空間だった。

神主とトキさんに入るよう促され、私とユミカは、置いてあった座布団に正座した。壁と床の隙間から外気が入ってくるのか、時折空気が肌寒くなる。

部屋に入ってから暫くして、入り口の辺りで「部屋のすぐ外に居ります」という神主の声が聞こえ、引き戸が閉じた。

そして、私達と向かい合う形で座ったトキさんが、「いいかい?茶化したりするんじゃないよ。お前さん達を信用するからね」と、静かに言った。

私達がうなずくと、トキさんはフーッと、深いため息をついた後、話始めた。

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雪沢がまだ幼い頃…小学校低学年の事だったそうだ。

その頃の雪沢家は、子供(清人)と両親、父方の祖父母(トキさんと夫)で、二世帯で暮らしていた。お嫁さん(清人の母)は元々身体が弱い人だったが、清人を授かり無事出産をして、家族皆でそれを喜んだ。

清人の父…トキさんの息子も、仕事に精を出した結果役職も上がり、孫である清人も元気に育ち、雪沢家は安泰に包まれていた。しかし、お嫁さんが持病の悪化で倒れ、入退院を繰り返すようになってから、事態は変わっていった。

最初の内は、短い入院生活と自宅療養だった事もあって、家で清人と過ごしたり、家族で外出など出来ていたのだが、時間が経つにつれ入院生活が長引いていった。

そして、清人の祖父であるトキさんの夫も、体調を崩して介助が必要になり、なかなか家族揃ってお見舞いという事も難しくなった。それでも何とか、息子は時間を見つけては清人と2人でお嫁さんのお見舞いに行き、献身的に努めていたそうだ。

だが、お嫁さんの病態は一進一退。日に日に家族の疲弊も溜まっていった。祖父の介助や見舞いのストレスで家の空気も張りつめるようになり、子供の清人はそれを敏感に受け取っていたのか、どこか塞ぎ込むようになっていった。

しかし、表にはそんな態度を出さず、いつも通り元気一杯に振舞う清人を見て、トキさんは胸が締め付けられる思いだったという。

その頃、雪沢家の事情を知った息子の同僚や先輩後輩が、どうにか出来ないかという事になって、社内で話し合いがあったそうだ。

家族経営の小さな会社ではあるが結束があり、中でも息子は人望が厚かった事もあって、結果、会社ぐるみで一家をサポートしてくれる事になったという。

雪沢家がお見舞いや介護で手が開かない時は、会社の誰かが清人を学校へ迎えに行ったり、遊びに連れて行ったり、休みを上手く手配できるように工面したりと、それはもう涙が出るくらい嬉しかったと、トキさんは言った。

そして、会社の中で清人の主な面倒役を任されたのが、社長の娘であり息子の同僚でもあった、川嶋愛花だった。小さな会社ではあるものの、社長令嬢というだけあって気品があり、仕事も出来る社内の「華」的存在だった。

愛花は自ら学校や病院に赴いて事情を説明し、仕事の傍ら送り迎えや放課後の塾の見送り等、とても積極的に清人の世話を買って出ていた。

お嫁さんも学校の先生も彼女を信頼し、清人も嫌がらずに彼女の世話を受けている。

何より、常に朗らかで穏やかな物腰で、子供を可愛がる愛花の姿に、トキさんは一安心したそうだ。

しかし、愛花が清人の世話をし始めてから半年が経った辺りだという。

愛花と一緒に手を繋いで、学校から帰ってくる清人を、トキさんはいつも通り玄関で迎え入れた。

そして、「今日は学校どうだった?」と聞きながら夕飯の支度の続きをしていると、清人が台所に来て、トキさんのエプロンの裾を引きながら、「僕、いつになったらお姉さんに会えるの?」と聞いてきたそうだ。

何の事かと思ったのと同時に、『お姉さん=愛花』という認識でいたトキさんは、「何言ってるの?さっきまで一緒だったじゃない」と笑ったのだが、それを聞いた清人は、泣きながら自分の部屋に走って行ってしまったそうだ。

慌てて追い掛けて部屋に行くと、学習机に突っ伏して嗚咽を漏らす清人の姿があった。

一体何があったのかとトキさんは聞くと、清人は泣きながらも、今までの愛花とのやり取りを話してくれたという。

「…本当に、女っていうのは因果な生き物だよ…」トキさんの声色が、より一層暗くなった。

清人の話によると、学校が終わると愛花が校門前で待っていて、そのまま車に乗せてくれるのだが、塾の時間までずっと「ドライブ」だと言ってどこかを走って、お菓子をくれた後、塾まで連れて行ってくれるのだと。

お菓子をくれるのが嬉しい反面、お見舞いに行かなきゃという気持ちもあった清人は、愛花に病院の話をしたのだが、「具合が良くないから今は会えないんだって」としか言われなかったという。

しかしそれが納得いかず、送り迎えの度に何度も何度もお見舞いに行きたいと言ったら、愛花は突然「ママの言うことを聞きなさい!」と怒鳴った。

見た事のない愛花の剣幕にびっくりしたのと、何を言われたのかが全く分からずに泣いていると、愛花は普段の様子に戻り、いつも通りの優しい口調で清人に向かってこう話したという。

今まで家族皆でお見舞いに行っていた人は、実は「清人の歳の離れた姉」で、本当の母親は、清人が赤ちゃんの時に「お星様」になった。そして、「私は将来あなたのママになる人」で、「あなたのお父さんとそう約束をした」と…。

愛花の話を全ては理解出来なかったが、「じゃあお姉ちゃんに会わせて」と、清人は訴えたそうだ。

だが、愛花は「具合が悪いから会えない」の一点張りで、ずっとお見舞いに行っていないという。

そして愛花はこの話を「内緒だからね」と言って、清人の胸ポケットに畳んだ紙を入れたそうだ。

トキさんが見せて御覧と、清人に胸ポケットの中身を取り出すように言うと、そこには折り畳まれた1万円札が入っていた。

「塾の時間になるまでは、病院にお見舞いに連れて行く」という約束を破られ、「ママ」と自称し再婚をほのめかす事まで言い、お金を使って子供を騙そうとしていた。

あの朗らかな笑顔の裏でそんな事を考えていたのかと知り、トキさんは怒りよりも、恐ろしさを感じたそうだ。

そしてその晩早速、トキさんは息子と夫に、清人が言われた事を打ち明けた。

すると息子は、愛花と再婚する予定も無ければ、そもそも恋愛関係にすらなっていないと言い、夫は、勝手に母親を死んだ事にするなんてと激昂したという。

とにかくもう清人を預ける事は出来ないと、あくる日一家は愛花と社長夫妻を家に呼び出し、話し合いを設けた。

社長夫妻は実娘の行いを聞き激怒。その場で愛花を叱り飛ばし、土下座するよう言った。愛花は社長夫人に叩かれながら土下座をし、何故清人にあんな事を言ったのかという問いに対して、泣きながらこう答えたそうだ。

一緒に過ごしている内に、自分でも知らない間に母性の様な情が湧いていた。清人が愛おしかった。 だから、自分の病気ひとつまともに治せない、母親らしい事を全くしていない生みの母親に対して怒りが湧いた。そして、この子を我が子として育てたいと。

更に、まだ小学校1年生であれば、母親の印象は曖昧だろうから、「ママ」と認識してくれるのでは?と考えていた。同僚であるトキさんの息子と、入社して間もない一時期だけ恋愛関係になった事があり、関係が解消し、のちに彼が結婚した後もずっと、密かに好意を抱いていた。とも…

自分勝手な理由に全員が怒りの感情を抑えられなかったそうだ。

皆、諸悪の根源とばかりに愛花を責めた。程なくして愛花は職場を解雇され、家からも勘当された。

そして、当時住んでいた場所が場所なだけに噂は瞬く間に広がり、雪沢家さえも「あばずれ女に子供を預ける非常識な一家」とまで言われたそうだ。

結果、雪沢家は地元から今現在住んでいる地域まで、引っ越さざるを得なくなった。

「酷いことが沢山あったから、未練は無かったよ。社長さんから慰謝料と称した金も貰って、何とか立て直せると思ったんだ。嫁さんには、この事は言わなかった…勿論、清人にもね。2人には、『転勤』って言ったよ」

トキさんの言葉通り、雪沢家は新天地で住居を構え、お嫁さんも転院して治療が継続された。清人も転校先で何とかクラスに馴染み、息子も転職先を見つけた。これまでの嫌な出来事を払拭し、これで全てが解決すると思っていた。

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数年後、息子が仕事の関係で前職の同僚と再会した時の事だ。久方ぶりの再会を喜んだが、その夜酒の席で、同僚からある事を聞いた。

雪沢一家が引っ越した後、愛花は精神を病んだのか、時折徘徊するようになったそうだ。

クビになり、実家から勘当された筈が、どうやらその後も家に留まっていたらしい。

そして昼夜問わず、「どこに居るの?」「ママ、待ってるからね」等と言いながら方々をうろつき始めたそうだ。

うっかり出くわした人に対しては「私、雪沢さんと再婚するんです!」「子供の為に、働いてお金作らないと」と嬉々とした様子で話したりして、段々と気味悪がられていった。

そしてとうとう、清人が通っていた小学校で待ち伏せをし、全く違う学年の男子生徒を「清人」だと言って連れ帰ろうとした事で、警察沙汰になったそうだ。

連行されたのち、愛花の姿を見る事は無くなったが、警察による措置も含めその後どうなったか消息は不明だという。

同僚は、一通り話した後「気を付けろよ」と警告混じりに言った。

だが、引っ越し先は誰にも、どんなに親しい人にも教えなかったし、会合は都内の会議場だった事もあって、息子は何年も昔に縁を切った元同僚が、精神を病んで徘徊してようと何してようと、もう俺達は思い出したくもない、と答えたという。

しかし時期を同じくして、小学6年になった清人が、不思議な事を言うようになった。

「視界の端によく女の人がチラつく」と。

顔や格好はボヤけているのだが、感覚で女性だと分かるそうだ。

女性は、時折夢にも出てきて、何するでもなく、立ってこっちをじっと見ているのだと───

トキさんは最初、当時流行っていた学校の怪談なんかに触発されたのだろうと思っていたが、ついに学校の側で見てしまった、とまで言うようになった。

そして女の姿は、清人が中学、高校と進学しても度々現れ、清人曰く次第に顔のボヤけ具合が消えていって、表情が分かるようになっていったそうだ。更に言えば、段々とこちらに近づいてくる、とも。

清人は次第に、外出する事が減っていき人付き合いも少なくなっていった。トキさんは、これは只事ではない、警察に相談しなければと、清人に女性の身なりや特徴等を尋ねたそうだ。すると、清人の口から、思いも寄らぬ事を聞いた。

 

女性は常に、白いカーディガンと緑色のワンピースを着て、白い靴を履いていると───

それは愛花がよく着ていた服で、背格好も髪型も愛花そのものだった。しかも何年もの間、姿形が変わらないままであるという事にも気付き、トキさんは背筋が凍ったそうだ。

そして警察ではなく、この神社を尋ね、神主に相談した。

雪沢家に起きた一部始終、孫の身に起きている事をトキさんが話すと、神主は全てを悟ったかのように、こう答えたという。

「それは生き霊だ、と言われたよ…愛花のな」

「あの女は…未だに何処かで、清人の事を自分の子供だと思っているんだそうだよ」

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梨花の後輩が見たのは、川嶋愛花の生き霊───?

日が暮れ始めたのか、部屋に薄暗さが増していた。

トキさんが話してくれた内容が、気持ち悪い位に偶然とは思えなかったし、偶然で片付けるには余りにも出来過ぎていると思えた。

しかし、一通り話終えたトキさんは、深くため息を付き、疲れきったような様子を見せた。嘘でこんな事はしない。本当なんだと確信した。

「それで…トキさん。私に気を付けろと言ったのは、どうしてですか?」

「ああ…それはな、これを見て欲しい」

トキさんはそう言って、胸元から何かを取り出した。それは、何か小さな根付けの様な物で、所々が黒ずんでいた。

「何ですか…これ」

「この神社で貰った…いわば身代わり守みたいなものだ。清人があの女の姿を見るようになってから、数年もしない内に夫が亡くなり、息子も…息子も何処かに行ってしまった…嫁さんと共にね…だから、これ以上良くない事が起こらないようにって、そのお守りだ」

「あの日…清人がお前さんを突飛ばしたと警察から連絡があって、駅まで行く途中…嫌な予感がしたんだ。その筈だ。お守りが一気に黒ずんだからね。近くに…良からぬものが、あの女が現れたんじゃないかって」

「案の定、そうだったよ。清人は酒を浴びるほど飲んでいたが、誤魔化せなかったんだろうね…帰り際ずっと、『もう俺をほっといてくれ』と言っていたよ。お前さんの後ろに…いや、遠くから清人を見る位置に、お前さんが居たんだろうね、でもね、これは偶然じゃないって、私は思うんだ…」

「え…?」

私に向かって、偶然ではないと確信したように話すトキさんが、時折私の背後の壁を見ているのに気付いてしまった。

「清人だけじゃない、お前さんにも、愛花は何かをしたと、そんな気がしてならないんだよ。…おい、この子にまで手を出すんじゃないよ…!」

トキさんが一際鋭い声で私の背後に向かって言うと、心なしか、私のすぐ背後に一瞬生暖かい空気を感じ、背中が震えた。

雪沢が押したのは、私ではない。

そして、川嶋愛花は私達の近くに存在する────

(次回完結)

Concrete
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