「ハイ、もしもし」
けたたましい黒電話の呼び出し音にせかされて、私は受話器をとり耳にあてがいました。電話は、父が入院している病院の看護婦さんからでした。
これからお話しするのは今から33年も前に私が体験した事です。
◇ ◇ ◇ ◇
私は小学生でした。
父は仕事中、ビルの足場から滑落し背中を強打。腰部骨折の為手術、入院していたのですが、運悪く骨を固定する金属プレートが外れてしまい、緊急再オペとなってしまったのです。
しばらくの間、パートから戻る母を待ち、説明もそこそこに二人で家を飛び出して駅に向かいました。
時刻は18時を少し過ぎた頃だったでしょうか。
病院までは電車で小一時間程掛かり、冬場だということもあり、父の病室に着いた頃には、辺りはすっかり夜の帳がおりていました。
「ご主人は、オペ中です」
余り状況を把握していないのか、看護婦さんは義務的に母に告げると、他所の病室へワゴンを押して出て行ってしまいました。
急いで駆けつけたものの、私達はオペが終わるのを待つ事しか術はなく、父のベッド脇の粗末な丸イスに腰掛けて、何とも言えない複雑な溜め息を吐くだけでした。
時間だけは過ぎ、ぼんやりと時を過ごすうち、私は段々と退屈になってきました。と同時に、喉の渇きだけが気になる様になりました。
母に小銭を無心し、売店まで飲み物を買いに行こうと病室を出て、別棟地下の売店を目指しました。
「何や、終わってるやん」
期待とは裏腹に、無常にも粗末なカーテンがひかれ、売店はその日の営業を終了していました。
それもそのはず、気が付けば時刻は21時を過ぎていたのですから。
今でこそ病院内にコンビニがあったりするのでしょうが、当時の病院内の売店は19時には閉店してしまう、極めて商売っ気が薄い「売店」だったのです。少しばかり自分の浅はかさと「売店」のヤル気のなさに突っ込みを入れて不貞腐れてしまいそうでした。
しかしその時、思い出したのです。売店前の通路を奥に進んだ所にある「食堂」前の飲料の自動販売機を。
喉がカラカラな私は、ひたすら自動販売機を目指して薄暗い通路を進んでいきました。
緩やかなカーブの先にぼんやりと灯りが見えます。自動販売機の灯りにしては、やに明るいな。などと思いつつ近づいてみると…
予想に反し、「食堂」は営業しているではありませんか。
無愛想な「営業中」の看板。食券の券売機も薄明るい照明を放っています。
通路左側の壁からは煌々と照明が漏れ、ボソボソと人息や食器を重ねる音が聞こえてきます。
喉の渇きよりも空腹感が一気に沸いてきました。思えば、昼に学校で給食を食べて以来、何も口にしていませんでしたから。えも謂れぬ、オムライスのケチャップライスとうどんつゆの混じった複雑な香りまで漂っています。もし、叶うなら母と遅めの夕食を此処で食べたいと思うのは、極々自然だったと思います。
誘われるまま、出入り口付近まで歩みより、中を見た瞬間、
「え…」
凍りついたようにその場に立ち尽くすしかありませんでした。
「食堂」は満席なのです。
いや、別に満席なのは何の不思議でもないのですが、
こんな時間に?
しかもみんな、食事する手を止めて私を見詰めています。背を向けて座席に着いている人迄もこちらに首を振り向けて。
いや、振り向いているだけでは別に何でもないのですが、微動だにせず
じいーーー〜っ
と私を凝視しているのです。
しかもその人達の着衣は、入院患者さんが着ている病院から貸与されている「病室着」でした。
そして、相変わらず私を凝視したまま、食事には手を付けようとしないのです。
小銭を握りしめる手が、力を失ったのか、握り過ぎて固まったのか、感覚が全くわからなくなってしまいました。
恐らく、瞬きも忘れていたのではないでしょうか。
どれだけの時間が過ぎたのかわかりませんでした。
突然、背後から肩を掴まれ驚きと同時に我に返ったのだと思います。
「‼︎」
心臓が飛び出してしまうかと思う程吃驚して振り返ると‥
そこには青い顔をして立ち尽くし、私の肩を摑む女の人が。
父の入院している病棟の若い看護婦さんでした。勤務外の為か、私服でしたが美人(私の好みですが)だったので一目でわかりました。
「…行くで?」
優しい感じの看護婦さんからは想像できないような、怖いというか無表情というか…何ともいえない表情でした。ただ、目だけは泣きそうな、力強くも焦りを隠せない様な、何とも形容し難い目でした。
「しょくど…」
きっと、「食堂が営業している」と
言おうとしたのでしょう。振り返りながら、私は言葉を失いました。
ただそこには、ピタリと閉まったガラスの引き戸とその奥に広がる闇に包まれた、無人の「食堂」があるだけでした。
「上に行こう?な?」
肩にかかる看護婦の掌の力が更に力を増しました。
変なテンションな看護婦さんに促され、私達は1階へと階段を無言で昇ったのでした。
看護婦さんは、無言のままに私を父の病棟まで送り届けてくれました。
そして父の病室近くまで来た時、こちらを振り向かず徐に立ち止まったまま、
「忘れや?さっき見たアレな。誰にも言うたらアカン。アカンよ」
そう言い残して、今度は私の目を見ずにそのまま階段を降りて行ってしまいました。
◇ ◇ ◇ ◇
自分が見たものも何かわからず、整理がつけられないまま病室に入ると、母は心労のせいかパートの疲れからか、ベッドに突っ伏して軽い寝息を立てていました。父のオペはまだ終わっていなかったのです。
日付けが変わる直前にオペは無事成功し、父はICUに搬入され、結局その日は父の顔を見ることなく迎えにきてくれた祖父の車で私だけ病室を後にしたのでした。
その後、父は快方に向かい約半年に渡り入院生活を送る事を余儀無くされました。何度となく、面会に訪れた際にその時の若い看護婦さんと顔を合わせる事になるのですが、私の顔を見て優しく微笑んでくれました。やっぱり優しい、看護婦のお姉さんだったのです。
ただ…
あの「食堂」での出来事以来、
笑顔の後に、一瞬だけ真顔になり
ジッ
と私を見詰めてから立ち去って行くようになったのです。
終
作者みるく