中編5
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放置された金庫

友人の男性、Aさんから聞いた話です。

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Aさんが小学生の頃と言いますから、今から30年ほど前の出来事です。

当時、家の近所に「野球場」と呼ばれていた広大な空き地があり、子供たちはそこで、野球やサッカー、泥警(追いかけっこ)や凧揚げなどをして遊んでいたそうです。

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ある日のことです。

放課後、一旦家に帰りランドセルを放り投げたAさんは、すぐさま自転車で野球場に向かいました。

Aさんが野球場に着いてみると、先に来ていた友達たちが、野球場の外周の一角に集まっています。

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野球場の外周には背の高い藪が生い茂っており、その上、地面がいつもぬかるんでいたので、野球をしていて、たまに出るホームランボールを探しに行く時くらいしか、足を向けない場所のはずでした。

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「皆、何してんの?」

「ああ、Aか。面白いぜ。これだよ。

昨日までこんなのなかったよな?」

彼らが取り囲んでいたのは、古い金庫でした。

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その金庫は、元々は銀色だったのでしょうが今はすすけていて、所々錆びが浮いていました。

大きさはちょうど、当時家にあったブラウン管テレビくらい。

重さは皆で力を合わせても、びくともしないほどでした。ぬかるんだ地面に、金庫それ自体の重さで下の方が幾分めり込んでいるのがわかります。

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そして、皆が一番興味を惹かれていたのは、扉に取り付けられた丸いダイヤル式の錠前でした。

その時も、友達のひとりは金庫の前にかがみこんで、汚れるのも気にせずに扉に耳を押しあて、ダイヤルを右に左に回しては「うーん」などと真面目な顔で唸ったりしていました。

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「今、誰が一番早くコイツを開けられるか、競争してんだよ」

それを聞いてAさんも俄然やる気になりました。

だって、金庫なんてこれまで触ったこともありませんでしたし、そんな物をヒントも無しに開けられるなんで、テレビアニメの怪盗みたいで格好良いではありませんか。

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「あーもうダメだー」

それまで挑戦していた友達が音を上げました。

「じゃあ次、僕にやらせてよ」

Aさんは早速名乗りを上げました。

意気揚々と金庫に取りつき、ダイヤルを右に左にいじり回しました。

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初めの内こそ指先に伝わる感触の違いや、音の違いに神経を尖らせてみたものの、当然のことながらそんな差などまるでわからず、程なくAさんもギブアップしてしまいました。

最終的にはその場にいる全員が匙を投げ、いつも通り夕方まで野球をして、その日は解散になりました。

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皆が金庫のことなど風景の一部としてしか認識しなくなった、ある日のことです。

Aさんは自転車で、皆が待つ野球場に向かっていました。

出掛けに母親に呼び止められ、些細なことでお小言をもらったせいで出発が遅くなったため、ひとりブツブツ愚痴を言いながら、ペダルを漕いでいました。

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野球場が見えてきました。

友達たちはもう集まって遊び始めています。

Aさんも自転車を停め、皆に合流しようと急いでいた、その時です。

視線の端にいつもの景色とは異質なものをとらえました。

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遠目に見える野球場の外周に、ひとつの人影がありました(Aさんは子供の頃、視力がとても良かったそうです)。

背が高く、黒い髪が肩まで落ちていて、白いワンピースのようなものを着ています。

どうやら大人の女の人のようです。

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Aさんは気づきました。

女の人が立っているのは、ちょうどあの金庫の落ちている場所だと。金庫は女の体の影になっており見えませんでしたが。

『なんであんな所に……?』

Aさんが不思議に思っていると、おもむろに女はしゃがみこみました。

ぬかるんだ地面にワンピースの裾が付いてしまうのにも、気にした様子はありませんでした。

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どうやら金庫を覗きこんでいるようです。

先日、Aさんたちが金庫を開けようとして、そうしたように。

しかし、以前と違っていることがありました。

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開いていたのです。その金庫が。

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女の体の位置がずれたことで、Aさんの目に、金庫が真っ暗な口を開けているのがはっきりと見えました。

女は金庫の中をじっと覗きこんでいます。

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『どうやって開けたんだろう』とか『何が入っているんだろう』とか、Aさんの頭には様々な疑問が沸きましたが、それ以上に、大人の女の人があんな場所でじっと金庫を覗いているということの異常さに、だんだんと気味の悪さを感じてきました。

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野球場から、友達たちの歓声が聞こえています。

彼らは誰も女に気付いていません。

Aさんだけが女を見ています。

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やがて女はゆっくりと、頭を金庫の中に突っ込んでいきました。

いくらブラウン管テレビほどの大きさがあるとはいえ、頭を入れなければ覗けないほど奥行きはないはずです。

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しかし、続いて女の腕、左肩、右肩、背中が次々に金庫に飲み込まれていく見て、Aさんはようやく、自分が見てはいけないものを見てしまったことに気付きました。

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入るわけがないのです、あの金庫に大人の体など。

蛸のように体がグニャグニャだったり、空気の抜けた風船のように体を小さくすることができるのなら、話は別ですが。

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Aさんは、冷たい汗が背中をびっしょりと濡らしていくのを感じました。

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やがて女は、全身をすっかり金庫の中に消しました。金庫はやはりぽっかりと、黒い口を開けたままです。

Aさんは呆然とその光景を眺めていました。

どのくらいそうしていたでしょう。

10分?15分?

もっと短い時間だったのかもしれませんが、定かではありませんでした。

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やがて我にかえったAさんは、野球場で遊んでいる友達のもとに駆けていきました。

そして、今見た光景を皆に話して聞かせました。

恐怖と興奮とで、ひどくたどたどしい説明になっていましたが。

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友達たちはAさんの話を聞いて「昼間から何を寝ぼけてんだ」と笑いました。

「それなら皆で確かめに行こうぜ」と誰かが言い出しました。

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Aさんは正直金庫に近づきたくはありませんでしたが、皆と一緒ならと承知しました。

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金庫は以前と同じように、野球場の外周の、藪の繁ったぬかるだ地面に、半ば埋まってありました。

扉を確認した友達は、「なんだ、やっぱり開いてなんかないじゃないか」、そう言ってAさんを笑いました。

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「あの白い服の女が、僕の見間違いや白昼夢だって言うなら、それはそれでいいんです。

でも、どうにも腑に落ちないことがあって。

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皆で金庫を見に行った時見たんです。

金庫の扉が、泥に汚れた白い布を咥えこんでいるのを。

僕にはあの女のスカートの裾だと思えてならなかった。

最初に金庫を見つけた日には、そんなの挟まっていた覚えはありませんでしたからね。

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でも僕がそう言ったら、『最初から挟まっていたじゃないか』と言う子が出てきて、皆で確認したんです。

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結果は、

『最初から挟まっていた』という子が半分。

『この前は挟まっていなかった』という子が半分。

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あの日、皆あんなに夢中になって金庫を開けようとしていたのに、そんなに記憶がバラバラだって、おかしな話ですよねぇ?

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本当、なんだったのかなあ」

Aさんは曖昧な表情で笑いました。

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野球場はAさんが高校生の時に宅地化されたそうです。

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