かつて住んでいた町の一角に、「通ってはいけない道」があった。
何故なのかはわからない。
家族や近所の友達に聞いても誰1人、何1つ理由を知るものはいなかった。
当時私は中学2年。勉強にしか興味の無い学生だった私にとって、その噂は単なる都市伝説染みた話にしか思えなかった。
近所の大人達や小さな子供のいる親達なんかが、「危ない所に入らないように」と、そう囃し立てて注意をしているだけ…よくある、怖い話をして警告するのと同じだと、そう何となく思っていた。
「あの通り、いよいよフェンス外すんだって。ショッピングモールの駐車場にするらしいよ?」
という話を聞いたのは、それから2年後の、高校入学して間もない頃だった。
地元で1番の進学校に無事合格し、兼ねてからの夢だった国立大への道が粗方保証されたと安心しきった私はタガが外れ、放課後は遊びに夢中になり、一気に自堕落になっていった。
両親や兄弟との喧嘩も増え、段々と家の中に居づらくなっていった私は、自然に…当然の如く、自宅には帰らずに同級生の家を泊まり歩くようになった。
そして、クラスメイトのミナミの家にお世話になって3日目…夏休みも間近に迫る頃だった。
「夏休み、皆であの通りに行ってみようって思ってるんだけど、どう?」
と、ミナミからそんな誘いを受けたのだ。
ミナミは同級生の中でも友達が多い方で、放課後遊びに行く時はいつも、彼女の方から数人誘ってくれていた。
ミナミはある放課後、夏休みどうする?と友達数人と駄弁っていた時に、男子の1人が「フェンスの向こうの通りに行ってみないか」と提案をしたそうだ。
その場にいた皆が「え~…」と引く中、2つ返事でその話に乗ったミナミは、それならもうちょっと人数を増やそう!と、ここ数日同級生に声を掛けていたのだ。
そんなミナミからの誘いに、私も2つ返事で乗った。
家に居ても家族と喧嘩になるし、バイトも学校側が指定した、郵便局や近所のスーパーという顔が知れている所。そしてそれ以外は、学校の夏期講習という始末…ハッキリ言って刺激が無い。
それに、あの通りの謎はずっと気になっていた。
どうせなら、フェンスの向こうを見てみたい…そんな気持ちに駈られた。
自ら望んで進学した事は十分承知していたけれど、やはり若気の至りというか…遊びの誘惑には勝てなかった。
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テスト順位も平均以上をキープして、何とか補習を免れた私は無事終業式を迎えた。
そして、いつもなら家族総出で母方の田舎に1週間程帰省するのを、「1人でじっくり勉強したいから」と言って断った。
妹は寂しがっていたけど、両親は「改心したか」とでも言う様に、あっさり了承してくれた。
そして、「ゆっくりしてきてね~」と笑顔で家族を見送り「留守番」に成功した私は、すぐさまミナミや他の同級生を家に呼んだ。
お菓子や飲み物を買い込んでは、上手い事誤魔化してレンタルした映画やAVなんかを見て大いに盛り上がり、それぞれの家に上がっては寝泊りを繰り返した。
そう…家族が帰省の間、私は今がその時とばかりに、バイトや講習以外の時間の殆どを遊びに費やしたのだ。
そして、留守番も残す所あと2日という時だった。
ちょうどこの日がミナミから誘われたあの「通り」に行く日で、夕方に待ち合わせの予定になっていた。
待ち合わせまでまだ時間があった私は、自宅に遊びに来ていた友人数人と何となしに駄弁っていたのだが、突如玄関のインターホンが鳴り、ドアを開けるとバイト明けのミナミが立っていた。
だが…何時もよりどことなく気まずい表情に見え、家に上げて何かあったのかと理由を聞くと、
「あの通りの事なんだけどさ…」
と、困惑した声で言った。
彼女はつい先程、バイト先の同僚の高山という男子に、何とはなしに「通り」に行くことを話したそうなのだが、何と高山君は「俺、あそこ行ったことあるよ?」とあっさり言ったそうで…更には、
「何にも無かったよ?ただ単純に、歩道が通行止めされてるだけで、つまんなかった」
…と、かなりネタバレな事を言われたそうだ。
まあつまり、フェンスを越えても面白いものは何一つ無く、運が悪ければ近所の大人達に見つかるか、最悪警察に補導されるとかして、かなり面倒な事になるかも?…という事らしい。
しかし、ミナミからしたらかなり困った事で…もう待ち合わせの時間も場所も決めてしまい、しかも最初に行こうと言い出した男子が、
「あそこは心霊スポットに違いない」
と吹聴したのを、皆真に受けている…今更ドタキャンは出来ないし、どうしよう?…と。
「高山君って変な嘘つくような奴じゃないから…多分本当だと思う」
その場で参加予定だったのは、私とミナミだけだった。周りの子達は「それならそうと理由を話して、行かんでも良くね?」って感じだったけど、
「行くだけ行ってみよ?」
と、私は凹むミナミを慰めるつもりで、とりあえず行ってみて、高山君の話の通り何も無かったら、帰ってまた皆で映画でも見るか、ファミレスで駄弁って帰ろうという提案をした。
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待ち合わせ場所になっていた歩道脇の自販機前に行くと、私とミナミ以外の子達が既にたむろしていた。
彼女の人脈で男子5人と私とミナミを含めた女子5人が行くことになっていて、さながら肝試しという名の合コンだ。
だが、彼らはミナミが高山君から言われたことをまだ知らされていない。
その為か、「なんかヤベーの出てきたらすごくね?」とか言って、かなりはしゃいでいた。
私とミナミは気まずい空気を何とか押し殺し、いつも通り「遅れてごめん!」と明るく振舞った。そして全員が揃った所で、通りまでの道を進んだ。
道のりは至って単純だ。
私達の通う高校を起点として、まっすぐ住宅街を突っ切ると小さなアーケード付き商店街がある。
そして商店街を通り抜けると、すぐ左に「マッサージ店」と称した風俗店が点在する細い路地があって…その突き当りにあるのが「通り」とされる場所だ。
「される」と言ったのは、子供の時から行くなと厳しく言われていたので、ここにいる未成年の誰もが、そこから先を見たことが無いからだ。
とは言え良く良く考えれば、こういう「大人の店」に子供が容易に近付かせない為の口実かも知れない…という、現実味のある理由が頭の中にふと湧いたりもしていた。
だが、目の前を行く男子数人は、「○○って心霊映画にも不気味な通り出て来たよな!」なんて盛り上がっていて、とても言える雰囲気ではなかった。
そんなこんなで、色々話している内に商店街前に到着し…私達はその場でくじ引きをして、2人1組の男女に分かれる事になった。
これはミナミから誘いを受けた時に聞かされていて、まあこれをきっかけに友達からお付き合い…という安直な考えが男子側からあったそうだ。
だが、私が組んだ村上という男子はかなり無愛想な奴だった。おまけに男子の話にも一向に混ざることなく、終始無口で無表情。
「よろしく!」とこちらが言っても「ああ、うん…」とそっけなく、私は堪らずミナミに「何であの人連れてきたの?」と聞くと、「何かまあ、その場にいたノリで、男子が誘った感じ…?」と、曖昧な答えしか帰って来なかった。
時刻はもう午後6時に近く、真夏と言えど陽も傾きつつあった。
「じゃあ1組ずつ、とりあえず通りまで行って帰ってくるって事で!警察とか来ないように皆で見張りしながらな!大人達が来たら、とりあえずケータイで知らせろよ!」
言い出しっぺ男子の秋山君が、そう陽気に言うのを合図に…いよいよ肝試しが始まった。
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商店街の出口をスタート地点に、通りまで行って帰ってくるだけの遊び…だが、皆の気持ちはかなり昂っていた。
近くに例のショッピングモールが出来てしまった為に、商店街は夜遅くに開店するスナックやパブを除いて、その殆どシャッター通りと化していた。
その寂れた…ひんやりとした空気の中、私達は町の「禁忌」とされる場所に、今まさに足を踏み入れようとしているのだ。
そんな周囲の雰囲気に反して、「頑張れよー!」「駆け落ち駄目だからな(笑)」と外野が茶化すのを、「うるせー黙ってろ(笑)」と男子の方が言い返すみたいなやり取りをしながら、1組目のペアが進んで行った。
皆キャッキャ言いながらはしゃいでいたが、私はそんな雰囲気に乗り切れなかった。
いざ目の前に「それ」があると分かると、途端に足がすくみ離れたくなる…
とうとうやって来たこの状況に、言い知れぬ恐怖と罪悪感を感じ始めていたのだ。
「あいつら、ほんとはもうデキてんだぜ(笑)」
そう秋山君がコソコソ言っていた通り、姿が見えなくなった2人の「ヒャッ!やだもー!(笑)」「うおっ!危ねー(笑)」という仲睦まじいやり取りを聞きながら、皆本当はこういうのが目的で、本当に「通り」まで行っている訳無い…私は静かに、誰かに悟られない様に…そう自分に信じ込ませた。
だが…どれくらい時間が進んだだろうか。
時間で言えば30分も掛からずに帰って来れる距離な筈なのに、2人は一向に、帰ってくる様子が無かったのだ。
「あの野郎…もしや2人きりでイチャイチャしてんのか~?(笑)」と秋山君はふざけて言っていたが、それにしても戻るのが遅くないか?と心配した2組目の男子が、携帯に電話を掛けてみるも応答が無く…堪り兼ねた末に「俺、様子見てくるわ」と言って、通りの方へ消えて行った。
若干気まずい雰囲気になりながらも、もし無事に戻って来たら心配損だね(笑)なんて話していたのだが…
10分、20分と…再び時間だけが刻々と過ぎ、
1組目はおろか迎えに行った男子すら、戻ってくる気配が無かった。
「あ、あれだよ…!きっと向こうで待ち伏せして、驚かそうとしてんじゃね?」
「そうかもね!電話に出なかったのもそれでかもよ…」
秋山君達の言葉もたどたどしく聞こえるくらい、段々と事態が洒落にならない感じになっている…そんな空気が周りに流れ始めていた。
ミナミも何とも言えない陰鬱な顔で俯いていて、私はと言うと…「今すぐ帰りたい」という気持ちで一杯になっていた。
陽が随分と傾き、殆どの照明が消えてしまっている商店街の中は、想像以上に暗くなり始めていて、振り返ると商店街の入口がポッカリと口を開け、夜のトンネルの様に真っ黒だった。
それだけじゃない。
入口の向こうで、自転車を漕ぐ音が徐々に聞こえ始めたのだ。
「もしかしてお巡り…?」
進学校に通う生徒が、よりによってこんな所で遊んでいると知れたら…都内と言えど県境に近い片田舎だ。まだ「村気質」の抜けていないこの町では、とんでもない大事件になってしまうのだ。
ヤバイ…!!!
皆の中ではもう、戻って来ない子達の事よりも、自分の将来に対する恐れの方が大きくなっていた。浅ましいと思われても仕方が無い…秋山君に至っては、言い出しっぺな癖に「…もう置いて帰らねえ?」とまで言う始末だった。
判断力も何も、まだ子供の私達には備わっていなかった…無力さと恐怖で空気が一層暗くなっていた。
その時だった。
「隠れろ!!!」
ずっと無言を貫いていた村上君が、突如そう叫んだのだ。
余りの大声に驚き、周りの暗さも相まって、私達は極限状態の糸がぷつんと切れたように一瞬で集団ヒステリーに陥り、
「え、ええ何!?」「もうやだやだやだやだ!!!」
そう口々に喚きながら、訳も分からず通りのある方へ転がり込んで行った―――――
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目の前に広がる光景に目を疑った。
薄暗く寂れた路地の突き当り…そこには通りと思しきものはおろか、フェンスも何も無く、
体育館程の大きさの、砂利道と剥き出しの土が混ざり合った様な土地が広がっていたのだ。
その奥に、人影がユラユラと揺れているのが見え、それが1組目の子達と2組目の男子の3人だという事が分かった。
「…あいつら…何…何やってんの…?」
秋山君の声が震えていた。隣を見ると、ミナミ達は立つのもやっとな位に体を震わせて呆然とし、もう1人の男子に至っては、ボロボロと恐怖で涙を流している。
そんな中、村上君だけは…彼だけは何事も無かったかの様な…まるで目の前の光景を見慣れているかの様に、表情一つ変えず立っていた。
3人は依然ユラユラと体を揺らし続けている。ここが何なのか分からない。心臓がバクバクと鳴り、走った時とは違う、気持ち悪い汗がダラダラと流れ始めていた。
「ちょっと…ミキ…!ミキ達何やってんの…!誰か連れ戻してよ!」
ミナミが泣きながらそう言うも、この…どうあがいても理解しがたい状況に誰もが圧倒されてしまっていて、踏み出そうとする人は誰もいない。
「おい!戻って来い!!!」
「何やってんだ!!!ふざけてんのか!!!」
と…その場で精一杯叫ぶ事しか出来なかった。
「わ、私…戻って誰か呼んでくる!!」
ミナミ達がそう言って踵を返そうとするも、秋山君がそれを許さないかの如く睨み、牽制した。そして、秋山君はその険しい表情を今度は村上君へと向けると、
「村上ィ!お前がこっちに誘導したんだろうが!!!どうにかしろよ!!!」
と…滅茶苦茶に怒鳴った。
謎の空間と揺れる人影を前にして、泣き声と怒号が飛び交う。村上君はそこまで言われても、まだ無表情だった。
いや…どこか呆れた顔をしていた。
「お前気持ち悪ィんだよ!何とかしろっつってんだろが!!」
秋山君がやり場のない感情をブチ撒けながら、とうとう村上君に掴みかかろうとした。
それに「やめてよ!!!」という私達の悲鳴が混ざり、もう何もかもが、グチャグチャに崩れようとしていた。
そんな私達をよそに…流石に手を上げられると悟った村上君は、「分かった」という表情を浮かべた。そして、
「じゃあ聞くけど…みんな、いつまでこっちの世界に居るつもり?」
私達に向かって、そう静かに言った。
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視界と体がグニャグニャと歪み始め―――まるで体中から骨が無くなっていく様な感覚に支配される。
段々と渦を巻き、絵の具がマーブル状に混ざり合う様な光景にめまいを覚え、私はそのまま目を瞑った。
そして再び目を開けると…マーブルの景色は無くなり、代わりにどこかの天井が映し出されていた。
「…意識が戻ったぞ!!!」
ぼわーんと詰まった耳に、確かにそう声が聞こえた。ピッ…ピッ…ピッ…という電子音が流れ、自分の周りに数人の大人達が居るのが分かった。
ここは、救急車の中だ。
「新田さーん!聞こえますかー!!!」
救急隊員の呼びかけに、私は辛うじて頷く事が出来た。だが…違和感がある。
新田?誰それ…私の苗字?
「そっちも戻ったか!奥さん!聞こえますか!?旦那さんも意識戻りましたよ!!!」
え―――――――?
うつろうつろとした意識の中、一体何がどうなっているのか…考えようにも身体中に痛みが走るのを感じ、どうすることも出来ない。
「大丈夫ですよ!!!もうすぐ病院着きますからね!!!」
救急隊員の声が耳元で響く。程無くして自分の身体がフワッと浮いたかと思うと、ガラガラガラ…という音と共に、私は病院の中へ搬送された。
私の名前は、新田由香と言うらしい。そして、夫の名前は春人。
子供はまだ無く、地方都市の住宅に2人暮らし。
私達夫婦は、都内と隣県の県境付近をハイキング中に土砂崩れに巻き込まれ、生き埋め状態の所を救出されたそうだ。
幸い怪我も回復しつつあり、脳や他の器官にも、損傷や後遺症は無いという。
が…私にはどう考えても、腑に落ちないものがある。
あの記憶は何だったのだろう?確かに夢ではなく、現実だった筈だ。
私は高校1年生で、夏休みに皆で…そう、あの場所へ行った。それから…
「…由香ちゃん?」
ふと声を掛けられ、首を声の方へ動かすと、そこには夫がベッドに寝かされていて…私に向かって微笑み掛けていた。
その顔は…何故だろう、彼本人では無い事は確かなのだが…
「村上君」の面影を強く印象付ける顔立ちだった。
「春人…君、無事で、良かった…」
「うん、由香ちゃんも…戻って来れたね…」
戻って来れたね
これが、「生きて帰れたね」という意味合いで言った事なのか、それとも…
「ミナミは…ミキは?秋山君達も…無事なの…?」
私は思い出せる限りの記憶を手繰り、夫にそう尋ねた。
夫は、人差し指を唇に置き、静かに微笑んだ。少し、哀しそうに。
「皆はね…言う事を聞かないから、『神様』に捧げたんだ」
僕達が生まれ変わる為に。
作者rano
「虚構の世界」シリーズ第2話
結婚のハガキにつながる物語です。
話の終盤で「柳川」と間違って記していました。正しくは「新田」です。訂正しました。
話を混乱させてしまい申し訳ありません。