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実家のアップライトピアノは祖母が使っていたもので、仏間で埃を被っていた。父が幼少の頃に亡くなったとかで、仏間の祖母は若々しい笑顔を振りまいている。
洋子は子供のころに少しピアノを習っていたが、音楽教室の先生にいじめられて(単に厳しかっただけかも知れないが)、すぐにやめてしまった。
大学進学が決まって家を出るとき、何となくピアノを再開しようかと思った。HAMAYAという金文字が漆黒の木版に刻まれているのを久しぶりに見た時、心が浮き立つような気がしたのだ。
ピアノをアパートに運んでもらい、休日になるたびに練習をした。周囲に気を使って日中にしか弾かなかったおかげか、クレームは来なかった。
そうしたある夜、洋子は何かの物音で目を覚ました。誰かが部屋にいるような気がする。ぞっとしながら恐る恐る目を凝らすと、誰かがピアノの前に座り、じっと鍵盤を見つめているようだった。
息を呑んで凝視していると、その人影はゆっくりと両手を鍵盤に伸ばした。夜の静寂に不思議な音色が零れた。もの悲しい旋律だったが、引き込まれるような響きがあった。
ほんの数分のことだったろうか。気が付けば、ピアノの前の人影は消えていた。恐怖もいつの間にか消えていた。一体あの影は何者だったのだろう。そしてあの曲は一体誰の作曲なんだろう?
不思議に思った洋子はピアノの先生に覚えている限りを演奏して聞かせてみたが、首を傾げられた。父親にもさり気なくピアノのことを聞いてみたが、祖母が昔弾いていたということしか分からなかった。祖母はとある時期にぱったりやめてしまったそうだ。何度か捨てようとすらしたらしいが、その度に不吉なことが起こるのでついに諦めたらしい。試しにその曲を歌ってみたが、分からないなあという頼りない答えしか返ってこなかった。
人影は日を置いて現れては同じ曲を弾いて去っていく。
洋子は曲とその人影のことが気になって仕方なかった。そこで、自分で演奏して録音したものをネットに流して情報を集めようとした。影が演奏したものを録音しようとしたが、なぜか雑音しか録れなかったのだ。動画サイトにアップして一週間ほどして、気になるコメントが見つかった。
『これはとある音大生が出征前に作曲したものです。私の身内の方ですが、戦地で散華されました』
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洋子はSNSを通してそのコメ主と連絡を取り合い、直接会うことにした。相手は初老の女性だった。
「とても素敵な曲ですね」
都内の洒落た喫茶店で落ち合い、自己紹介をすませた洋子は率直な感想を口にした。
「そうですね……ただ、気になることがあるんです」
女性は言いにくそうに眼を背けた。
「彼の遺書には、こう書いてありました。『僕だけが死ぬなんて嫌だ。死んだら僕は、必ず○○(祖母の名)の元を訪れてこの曲を演奏しに行く。そうすれば彼女は僕と旅立ってくれるだろう』と…………」
shake
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店内のどこかから、あの曲が流れてきた。頭がくらくらしてくる。見知らぬ若い男性が気づかぬうちに隣に座っていて、洋子にに~っと微笑んだ。
作者ゴルゴム13