長編9
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「変わらない私」

私の職場の近くに「むぅ」という名の こ洒落たカフェレストランがある。

医療福祉専門学校の学生だった頃、同級生に「安くて美味しい店があるから。」と誘われたのがきっかけで、いつしか馴染みの店となった。

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オフィス街から歩くこと10分。

店内は、モスグリーンの壁面で覆われ、F5号サイズの油絵が5点 バランスよく飾られている。

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油絵5点は、誰が見ても好感の持てる印象派のような良作ばかりだったのだが、とりわけ、人目を引くのが、青い瞳に透き通るような肌をした金髪の少女の肖像画であった。

「人物画ではなく、肖像画と言わせていただいておりまして。」

店主は、この絵について客から聞かれるたびに、いつもそう応えていた。

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「客商売なんでね。あまり、おおっぴらには言えないのですが。

この肖像画、時々、姿を変えるんですよ。最初は、気のせいかなと思ったんですが。

フランス人形のような綺麗な姿が、どういう時なのか、三途川(葬頭河)で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆のような形相に変化するんです。

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それと、仕事をしていると、時々、この絵の少女から視線を感じるんです。いつも見張られているような気がして、落ち着かないんですよ。怖いでしょうって。それがですね。怖さと言っても、心霊的な怖さじゃないんです。

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端的にいうと、子どもにとって親や先生といった存在。つまり、力関係において、絶対に頭の上がらない存在に、じっと見はられているような感じと言ったらわかりやすいですかね。テレビ番組の決め台詞じゃないんですが、お前の秘密なんて隠しても無駄。『全てお見通しだ!』と言われているような 空恐ろしい感じがするんですよ。」

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その肖像画の下には、「M」と書かれたプレートが置かれているのだが、アルファベットの「M」が何を意味するのか、何に由来するものなのか、いつ頃描かれたものなのか、そもそも この肖像画に描かれた人物は、誰なのか。まったくと言っていいほど情報がないのだという。

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それというのも、これら5点の絵画は、以前の店主から、そっくりそのまま受け継いだだけにすぎず、店主自ら買い求めた代物ではないからというのがもっともらしい理由である。

よくよく話を聞いていみると、5点の絵画のうち、この肖像画だけは、以前の店主が引き継ぐ段階で、既に ここに飾られてあったのだという。

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「とくに悪い噂は聞かないし、事故物件でもない。おまけに、以前の店主の話では、対応さえ誤らなければ、思わぬ臨時収入も期待できそうだと言われていましたからね。当時は、借金もありましたから、つい欲の皮が突っ張ってしまったんですね。というのも、この絵は、睨みつけたり、姿を変えるといったことはあっても、人を呪うといった悪さは絶対にしない 大した害は及ぼさないことが解ったからなんです。」

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思わぬ「臨時収入」については、ある種の特別な条件が必要で、誰彼が得られるものではないらしいとの噂があった。私が、それを知るようになったのは、かなり後になってからで、それも偶然が重なりあうといった思わぬアクシデントによるものだった。

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私は、肖像画の真向かいに位置するマホガニーのテーブルに腰を下ろし、金髪の少女と向き合う格好になった。

店内に客の姿はない。

目の前のマントルピースは、埋火のような静かなぬくもりを醸し出し、テーブルの真ん中に置かれた一本のキャンドルが、ぼんやりと辺りを照らしていた。

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テーブルの上には、ハチミツの入ったガラス瓶と 塩の入ったホーローの入れ物が置かれている。

ハチミツと塩でコーヒーを味わう

これこそが、この店におけるコーヒーの嗜み方なのだ。

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「お待たせいたしました。」

白髪に口髭を蓄えた店主が、コーヒーを携えてやってきた。

目の前の私に作り笑いを浮かべ、徐にコーヒーカップを、テーブルの上に置くと、

そそくさと私の元を立ち去り 厨房の中へと消えた。

まぁ、いつものことだ。と、いつの頃からか気にも止めなくなった。

店主の風貌も そそくさと立ち去る姿も以前と寸分たがわない。

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目の前に置かれたコーヒーのぬくもり。

やわらかで繊細な香り。

聴くところによると、なにやら秘宝のブレンドらしい。

カップの淵が金色に輝いて見える。

そうあの日のままだ。

なにもかも。 

私は、コーヒーに小さじ一杯のハチミツと耳かき程度の塩を入れ、軽くかき混ぜると、一気に飲み干した。

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ハラりと花びらが舞うように その人は私の目の前にその姿を現した。

(まぁ、お久しぶりですね。)

ーお約束でしたから。

(そうでしたか。もう、そんなに時が経ちましたか。)

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ーここは、変わらないですね。

(そうでしょうか。)

ーえぇ、学生の頃を思い出し、少しホッとします。

(それは、あなたが変わらないからですよ。)

―私、変わってませんか。

(そう、あなたは、あのときと、少しも変ってはいない。)

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私は、ため息をつき、窓の外に目を移す。

車のライトに照らされた雪が、キラキラと夜の街を舞い、路面を埋めるのが見えた。

明け方にかけて、積もるかもしれない。

大雪は厭だな。

と思う。

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(お寒くなりましたね。)

―そうですね。今年は特に寒さが厳しい感じがします。

(この近くに来て何年になります?)

―来年の一月で、丸三年になりますか。

(そうでしたか。もう、そんなになりますか。)

ー早いですね。

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(そういえば、三年後に遭うというお約束守っていただけたのですね。)

ーはい。そうです。三年後の私の近況と心情を教えに来てほしいとのことでした。

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(それで、三年前のあなたと 今のあなた どう変わりましたか?)

―今の職場ですが。思いのほか居心地が悪くて。そろそろ、去ろうかと思っています。

(・・・そうでしたか。お仕事合いませんでしたか。それは、残念でしたね。)

―すみません。また、あの日のように占っていただけませんか。

(・・・・・・)

しばしの沈黙ののち、声の主は、口元に小さな笑みを浮かべた。

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(…占って差し上げてもよろしいのですが、最終的に決めるのは、あなた自身ですよ。)

―わかってます。でも、後悔したくないんです。

たった一度の人生だから。

魂は、永遠だから。

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(そうですか。わかりました。では、占ってさしあげましょう。)

フゥと鼻先に息を吹きかけられる。

ハチミツの甘い香りが漂い、かるい眩暈とともに眠気が襲ってきた。

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どのくらい時がたったのだろう。

久しぶりに感じる 寒さとダルさに 全身が覚醒したような気分になる。

(残念ですが。あまり、良い未来は視えませんでした。留まるか、新たな場所に幸せを求めるかは、あなた次第です。)

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ー私に残された選択肢は、多くはないということですね。

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(いずれにせよ。あなたは、もう この世の人ではないのですから。)

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ドクンと心臓が音を立てたような気がした。

ーあの、私は、このままずっと留まるべきなのでしょうか。

それとも、また、どこか他の場所へと向かわなければならないのでしょうか。

占者は、首を横に振るだけだった。

ーわかりません。どうしたらよいのでしょうか。

また、ここに来てもよろしいでしょうか。

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(何度占っても。何度生まれ変わろうとしても、あなたは、あの時のあなたのままです。

これからも、変わらぬあなたのままで、彷徨い続けなければなりません。

それが、生前あなた自身が選んだ「死」への代償です。)

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(あなたは、先程 生前の身体の感覚を思い出しましたね。でも、今は、そう言った感覚は失われてしまいました。ただ、深い悲しみと痛みと嘆きといった感情だけが残っています。

この三年間あなたは、どう過ごしましたか。生前の後悔を、解消できたでしょうか。良き出会いはあったでしょうか。私は、ここでこういう形でしか存在を保てません。あなたは、彷徨うという形でしか保てないのです。さようなら。ここは、もうじきなくなります。二度と会うことはないでしょう。

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抜けるような白い肌と青く澄んだ瞳 緩く波打つ金色の長い髪の少女は、凍り付くような声と射貫くような眼で私を見据えると、瞬く間に宙に浮きあがり、壁に掛けられた白い額縁の中にスルスルと何事もなかったかのように納まった。

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店を後にした私は、粉雪の降る夜の街を ひとり彷徨う。

道行く人 すれ違う人で、私に似ている人に多く遭遇した。

が、私に気づく人はほとんどいない。

生きている時もそうだった。

あの日、あの時と、少しも変わってはいない。

涙すら流せない。

声すら出せない。

乾いた心がカサカサと音を立てて崩れていく。 

もはや、寒さも冷たさも痛みですら 感じなくなって久しい。

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A「そういえば、今日は、○○さんの命日だったね。」

B「なにも、クリスマスイブに 逝ってしまわなくたってよかったのにね。」

C「ちょっぴり変わった人だったよね。私たちとは感覚が違うというか。感性が異なるというか。生きづらい人だったように思うな。」

A「私たち何もしてあげられなかったね。ひとりで何でも抱えてたって。後から気づいて、ちょっとショックだった。」

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C「そうだね。でも、私たちも精いっぱいだったでしょう。○○さんは、いつも自分のことでいっぱいいっぱいだったし。」

B「私たち、彼女から何かしてもらったことってある。彼女、足手まといだったじゃない。いつも尻ぬぐいばかりさせられてさ。」

A「・・・・・・」

C「それ言い過ぎだよ。」

A「そうですよね。少し変わってはいたけれど、悪い人じゃなかったと思います。うまく言えないけど、私、正直言って、○○さんが、ちょっぴり怖かった。あの純粋さと真面目さには、どうもついていけなくて。」

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C「そういえば、○○さんについて、ちょっと気味の悪い話を聞いたことがあったなぁ。ほら、つい最近お店閉めた 近くのカフェ「むぅ」だけど。」

B「あぁ、あそこね。結構、流行っていたんだけど、閉めちゃったよね。そういえば、夜、そこにたったひとりで入っていく○○さんの姿を見かけたことがあったわ。」

C「それがさ。○○さんたら、突然怖い話なんかし出してさ。なんでも、目の前に飾ってあった女の子の絵が、突然話しかけて来て、占いを始めたっていうのよね。」

B「私も聞いたわ。その話。それ以来、試しに私も何度か行ってみたけど、普通の綺麗な絵だったわよ。」

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A「え?あのカフェにですか。たったひとりで、しかも夜?ほんとですか。」

C「やだぁ、あなたたち仲が良かったんじゃないの。有名だったんだよ。○○さんのひとり飯。ひとりカラオケに、ひとり映画鑑賞。」

B「それにプラスひとり占いもね。」

A「そんなことまで。占いって?私 ○○さんの事なんにも知らなかった。あんなに仲良かったのに。肝心なことはなんにも解っていなかった。どうして話してくれなかったんでしょう。ショックです。」

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B「結局、自分で自分の首を絞めたってことでしょ。仕事もそうだったじゃない。」

c「あなたには、話せなかったんじゃないの。傷つけたくないとか、怖がらせたらイケないとか。好きな人には嫌われたくないとかね。余計な気をまわしたんだと思うわよ。」

A「なんか、痛々しいですね。もっと、話聞いて上げられたらよかった。今更手遅れですけど。」

B「そうかな。可愛そうだけど、○○さんは、自業自得だと思うわ。性格だけは自分でで治すしかないもの。子どもじゃないんだから。周りがとやかく言うことじゃないし。」

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C「私も同意。こうなる運命の元に生まれて来た人なんだと思うね。」

A「そうなんでしょうか。運命の一言で片付けてしまっていいのでしょうか。」

B「今更しょうがないよ。死んでしまったんだから。どうしようもないって。」

C「現世ではともかく、来世では、楽しく過ごしているといいね。不器用でお人よし。私たちとは違って、人当たりもよく、見るからに善人だったからねー。」

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B「さ、今日は、クリスマスイブ。一年中で一番華やかで楽しい日でしょ。厭なことは思い出さないの。」

C「そうよね。死んだ人より、今を生きている私たちの方が大切なんだから。」

B「今宵は、美味しいものでも食べて、たまには、羽目を外して楽しみましょうよ。」

A「そういえば、○○さん。よく言ってました。一度きりしかない人生なんだから。もっと自由になれたらいいなって。もっと楽しめたらいいなって。」

B「でしょう。人生楽しまなきゃ。」

C「そうよ。後悔しないようにね。嫌なことや辛いことがあったら開き直って、さっさと逃げればいいのよ。頑張ることなんかないんだって。」

がははははは

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生きぬく辛さ、死を選んだ哀しさ、死して尚生き続ける虚しさ。孤独な魂は一体どこに向かえば救いがあるんでしょうかね。寂しいお話でした。

因みにですが、私の人生、後悔の連続です。学習能力ないんかい? そう思いながら生きてます。
忘れてしまうんですよね。何に後悔したのかを。

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