小4の時、私は小1の女の子の朝の御迎えを頼まれた。
小3末期の建国記念の日に新居に引っ越し、進級した矢先の話である。
その日の朝、隣家のチャイムを鳴らして「誰が出て来るのか。怖い顔の人で追い返されたらどうしよう、小1の子に嫌な顔をされないか」と、いわゆる不安屋の私は色々考えていたら、それを吹き飛ばす様な優しい笑顔の母親が現れた。
その女の子も嫌な顔をするでも無く、私に付いて来てくれて、集団登校の集合場所に無事に合流していた。たまに迎えに行き忘れて上級生に怒られたりもしたけど、黄色い帽子を取る1年生の終わりと共に私の御迎えの役割も、終わりを迎える。
私の中で、一つ疑問と言うか引っ掛かりの有る事が生じる。
初対面である。これは紛れも無い事実だ。
然し、私の中では全然初めましてでは無い感覚が芽生えている。
そう、気持ちの悪い事を言ってしまえば、「あちらは私を知らないが、私はあちら親子を知っている」なんて話であるし、それを知ってしまえば向こうからすれば傍迷惑(はためいわく)でもある。
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何故か私は一人、スーパーとおぼしき場所に居た。
そこで、何故か女の子が複数の子に囲まれていて、吊し上げを喰らっている光景に出くわす。
何を言ったかは覚えていないが、複数の子は私の顔を見て嫌な表情をしながらも黙って、女の子への吊し上げをやめた。
店内放送が鳴って、時計が23:00を指している………と言う、未成年が明らかに集団でいるのがおかしな時間とシチュエーションである。
急に場面が変わり、12:30近くの明るい昼の駅のホームに私は居て、女の子の母親に私は御礼を言われている───正に、その女性と傍に居る娘さんが、あの御迎えを頼まれた親子だった。
彼女等と逢う前の話だったから暫く忘れていたのだけど、御迎えや挨拶をする内に、「ああ、夢に出て来たあの親子そっくりな顔立ちだ。むしろ、同じだと私の夢のいい加減な記憶が、上書きされたのかも分からないな」なんて、今になって感じる。
私が高校卒業の前後だったろうか………
その女の子のお母さんが御亡くなりになられた。
柵越しに見た庭の手入れも行き届いていたし、笑顔の似合う、正に今を生きる事を楽しんでいた人だった印象が強かっただけに、余りにも早い旅立ちに、私は何と言うか、心を蹴飛ばされ刃物で幾度も刺され抉られる様な気分に陥った。
だが、「何で亡くなったの」と、一番接触の多かった筈の母親に聞く気が起きなかった。
雷を落とされるよりも、理由を訊いて更に落ち込みたく無かったのかも知れない。
あの私が迎えに行っていた女の子───遺族である娘さんは、私が大学に進学した後で、高校に進学しコンビニでアルバイトをしていたとの話を聞いた。
手入れの行き届いた隣家の庭は、私が昨年最後に見た際は、旦那さんが手入れしているのか荒れ放題な自宅の庭と違い、綺麗なままである。
───そう、あの隣家の子のお母さんの笑顔が絶えなかった様に。
作者芝阪雁茂
文中に出て来る(当時)小1の子に、その女の子の御母さんは実在の方です。その御母さんを偲んで、実際に見た奇妙な夢との繋がりを御送りします。