中編5
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膝から上

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人生初の金縛りに遭った時のこと。

その日は遅くまで仕事だったし、朝も早かったので疲れやら寝不足やらでフラフラになって帰宅した。帰り道、コンビニで買ってきた眠●打破やら夜食やらが入った袋を机の上に置いて椅子にどっかりと座り込む。

明日も別の仕事が入っているので、明後日までの書類を今日のうちに少しでも片付けなければと自宅の書斎でウトウトしながらパソコンをいじっていた。そのうちカフェインのおかげか思ったより目が冴え、しばらくはすっきりと取りかかることができた、が…殆どを片付けたところで、いきなり強烈な眠気に襲われる。

あれ、もう切れたかー…などと思いつつ、とりあえず背もたれに寄りかかる。続きは明日でいいか…いや、今のうちにやっておかないと辛いぞ…頭の中で天使と悪魔が口論している………

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……ふと、目を覚ました。いつの間にか眠っていたようで体がだるい。ああ、また椅子に座ったまま寝てしまったかと思いつつ半開きの目でぼんやりと部屋を眺める。窓の外はまだ暗く、少しの時間しか眠れていないことがわかった。背もたれと背中の間がじんわりと暖かく、またしても眠気が押し寄せてくる。

机には書類がぎっしり詰まったファイルの山。パソコンの画面には作りかけの文書が表示されている。だがもうダメだ…眠くて仕方ない。だいぶ片付けられたし、残りは明日にしてもいいか…。

ぼやけた頭でパソコンに手を伸ばそうとした、その時だった。

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体が動かない。全く動かないというわけではなく、確かに腕を持ち上げようとする感覚はあるのだが、実際に腕が動いているわけではないのだ。視界には肘掛けに置かれた腕が映っているだけで、ピクリとも動かない。

しかも、粘着質な何かで椅子にくっついているような…いくら足や腕を動かして立ち上がろうとしたり腕を動かそうとしたりしても引っ張られて元の姿勢に戻ってしまう。

頭も動かず、瞼も半開きのまま。唯一目だけは動くので辺りを見回せるが…

寝ぼけていたせいで、しばらくしてからやっとこれが金縛りとかいうやつなのか?という思考に至った。これまでの人生で明確に金縛りと自覚できる現象を体験したことがない僕は、とりあえずもう一度寝てみることしか思いつかなかった。金縛りは疲れによるものだという噂を聞いていたため、二度寝すれば解放されるだろうくらいの感覚だった。

ふわりふわりと膨らんでいく眠気に流されながら、半開きのままの目を動かし何となく扉のほうを見る。

書斎の扉は真ん中が縦長のガラス張りになっていて、向こう側の部屋が見えるようになっている。帰った時に電気を消し忘れていたため、あちらの部屋も煌々と明かりに照らされている。電気代が…などと思って見ていた時、ふと違和感を覚えた。

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扉の向こうに、誰かが一人、足を揃えて立っている。その足はこちらを向いていて、裸足だった。ズボンなどの裾は見えない。丈の短い服を着ているのだろうか。僕の首は下を向いたまま固まっており、半開きの目では足元しか見ることができず誰なのかを確認できない。

一瞬、家の者が起きてきたのかとも思った…が、違う。

よく見ると、その足は浮腫んだように紫がかった白色で、爪が赤い。家には足の爪を赤く塗っている者はいなかったし、照明のせいだとしても肌の色が異様すぎる。

では、誰の足なのか。

途端に、眠気が全て吹っ飛んだ。今まで感じたことのない恐怖と戦慄、焦りが頭の中をビリビリと駆け巡っていく。

何だ、あれは。誰か知らない人間が家の中に入ってきたのか?しかし玄関や窓は全て施錠していたはず。ではどうやって…。いや、そもそも人間の肌にしては血色が悪すぎる。まるで死人のような色じゃないか。

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慌てて立ち上がろうにも、金縛りは続いているため感覚の中で藻掻くことしかできない。声も出せない。

そんな僕とは対象的に、少し浮腫んだようにも見えるそれは微動だにせず、じっとそこに佇んでいる。

一体何のためにそこに立っているのか、なぜ動かないのか、どうやって家の中に入ったのか、膝から上はどうなっているのか。

そこまで考えたところで何故かはわからないが直感した。膝から上を、視てはいけない。

幸いにも瞼が動かず半開きの視界の中では床を見るこが精いっぱいだ。今はとにかく体を動かし逃げることに集中しなければならない。

その後も頭の中で次々と疑問が湧き出ては消え、どんどん膨らんでいく焦りと恐怖の中で何とか逃れようとひたすらに藻掻く僕の視界に、あの足が再び映る。

それは増えていた。

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ハッと扉の向こうを見た時、その足は増えていたのだ。まるでコピー&ペーストしたかのように、最初に見た足の後ろに同じ足が複数見える。どれも足を揃え、微動だにせず立っている。

僕はますます恐怖に駆られ全身に力を込めた。

あれはまだいなくならないのか、と再度扉の向こうに視線を移すと、複数の足がこちらに向かってゆっくりと歩き出したのが見えた。

もはや恐怖は最高潮に達し、全身に悪寒を感じながらも椅子ごとひっくり返る勢いでがむしゃらに暴れた。実際の体は微塵も動いてはくれなかったが、とにかくこの状況から抜け出さなければいけないと強く思ったのだ。

もうすぐ、あれらが扉まで到達してしまう。あの足の正体など知らないというのに、扉を開けられたらとてつもなく悪いことが起きるに違いない。自分の直感が激しく警鐘を鳴らしている。

何とかして逃げなければ。体の自由を取り戻さなければ。

そうしている間にも足は確実に近づいてくる。間に合わない、せめて腕だけでも動いてくれれば…

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その時、一瞬の意識の浮遊とともにふっと体が軽くなった。瞼が開き、スタンドライトの光が眩しく感じられる。

眠気はなく妙に冴えている頭にフラッシュバックする複数の気味の悪い足。ぞくぞくっと恐怖がよみがえり大きく息を呑みながら跳ねるように椅子から立ち上がる。勢いそのままにバッと扉の向こうを見たがそこには何もいない。

窓の外はもう明るくなり始め、静寂の中で背中に伝う冷や汗と手足の震えだけが残された。

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