これは、四国に住む松原さんの弟さんから聞いた話だ。
松原さんには一つ上の兄がいた。
松原さんの両親は早くに亡くなっており、家には兄弟だけで住んでいる。
互いに三十代独身。
それほど仲が良いとはいえないが、お互いの事には干渉はしないといった暗黙の了解の中、二人は暮らしていた。
そんな二人だが、食事にもルールがあった。
夕食当番だ。
松原さんの家では週事に夕食当番を交代するという取り決めがあった。
そんなある日の事。
本来仕事が遅出の予定だった松原さんだったが、その日に限って早番に欠が出てしまい、早朝からの出勤となってしまった。
その仕事も終わり松原さんは家に帰ると、ソファーに力無く座り込んだ。
「腹減ったな……」
考えてみればバタバタしていて朝昼何も食べていない事に気が付く。
松原さんはヨロヨロと立ち上がり冷蔵庫の中を覗いて見たが、特に今すぐ食べられそうな物は何も無い。
松原さんはため息をつき再びソファーに座り直した。
ふと天井を見上げる。
「兄貴まだ寝てんのかな……」
松原さんの兄はほとんどの時間を部屋で過ごしている。
週に二~三日、日払いの仕事をしたら後は部屋に引き篭る毎日。
光熱費や食費も折半なのだが、兄の仕事が不定期なのもあって、それも滞る事がよくあり、最近では食費のほとんどを松原さんが支払っている。
不意に彼はキッチンに目をやった。
どうやら晩ご飯はもう作ってあるらしい。
今週は松原さんの兄が夕食当番だ。
しかし彼が遅出の日は夕飯を職場で済ませる為、松原さんの分はない。
彼はソファーから立ち上がると鍋の蓋を開けた。
煮魚、尾頭付き。松原さんの大好物だ。
魚は冷蔵庫にもう一匹ある。
「頂いちゃうか……」
松原さんの兄は夕飯をかなり遅い時間に食べる。
昼夜が逆転しているからだろう。
「後で兄貴の分作ってやればいいしな」
松原さんは独り言を零し兄の夕飯を頂く事にした。
「頂きます……」
手を合わせ箸を魚の白身に付け口に入れた。
追いかけるように白飯をかき込み、味噌汁で口の中を胃袋に流し込む。
空腹感が徐々に解消され、松原さんの険しかった表情が和らいでいく。
その後も食事を進めていくと、魚はほとんど骨身になってしまった。
だが松原さんには一つ楽しみがあった。
それは頭の部分にある目玉だ。
彼はこれが大好物だった。
箸で器用に目玉を取り出すと、煮汁に浸しそれを箸で掴もうとする。しかし。
ポロリと箸から目玉が零れ落ちた。
再度箸で目玉を掴む。
だが、目玉はそれに抵抗するかの様に滑り皿の上を転がった。
その瞬間、松原さんの心に不思議と湧き上がる感情が芽生えた。
怒りだ。
普段ならこんな事で腹を立てる様な松原さんではない。
しかしなぜだかその時は違った。
無性に腹が立ったのだ。自分でも抑えられないくらいの。
松原さんは再び箸で勢いよく目玉を掴んだ。
だが目玉はまたもや転げ落ちてしまった。
苛立ちが募り松原さんの眉が吊り上がっていく。
「何だよくそっ……」
吐き捨てるように言いながら彼は箸を目玉に向けた。
その時だ。煮汁に浮かんだ目玉が一人でに動き、松原さんをじろりと見つめた。
有り得ない異常な光景。
彼はそれにぞくりとし目を見開く。
しかし、何故か驚きはしなかった。
それよりもむしろ、怒りがそれを上回っていたのだ。
しかも最早怒りを通り越し、恨みや殺意にも似たドス黒い感情が松原さんを支配していた。
自分を制御出来ない……。
「うわああっ!」
衝動的に出た雄叫びを上げ、松原さんは箸を叩きつける様に皿に突き付けた。
鈍い音がし箸の一方が折れる。
もう一方の箸は目玉を貫いていた。
その瞬間。
「ぎゃああああっ!!」
二階から凄まじい悲鳴が響いた。
松原さんの兄の部屋からだ。
ハッとして我に返った彼は急いで階段を駆け上がり兄の部屋のドアを開けた。
すると、部屋の中央で兄が悶え苦しむ様にのたまわっていた。
異常を察した松原さんは急いで救急車を呼んだ。
以上が松原さんが体験した話だ。
その後、兄は病院に運ばれ診てくれた医者からはこんな事を言われたという。
「左目が潰れています……失明は免れないでしょう……」
そして、治療を受けベッドに寝かされれた兄にもこんな事を言われた。
「あの魚、お前が食ったのか……?」
「あ、ああ……」
「そうか……」
それだけ言うと、松原さんの兄は顔を伏せ押し黙ってしまった。
今現在、彼は退院した兄と共に暮らしているが、以前よりも兄と話す事はなくなり、気まづい二人暮しを続けているという。
作者👻狐の嫁入り👅