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中編5
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寝相

今から二十五年前のこと。

朝起きると、同じベッドで寝ていたはずの妻が床の上にいるということが度々あった。当時結婚五年目にしてなお、私たちは一緒のベッドで寝ていた。

そう公言するのは恥ずかしいことではあるが、妻の寝相の悪さについて話すうえでは致し方ない。

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私たちの使っているベッドは、決して小さくはないと思っている。また、私も妻も平均的な男女に比べたら小柄な方で、どちらかの体が一方の陣地を圧迫しているということもない。

もちろん妻が、はじめから床の上で寝ているということもない。

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夜、大抵は同じ時間に一緒にベッドに入り、おそらくは私の方が先に眠ってしまうのであるが、少なくとも私の意識があるうちは、妻はベッドの上にいる。それが、朝になるとなぜかベッドのそばの床の上で、自分の腕を枕にして何事もないようにすやすやと眠っている。掛け布団は大きな一枚を共有しているため、妻は毎朝布団の温もりから追放されている。今は夏だからいいが、冬だと風邪をひいてしまうので大問題である。

そこで、私は冬が来るまでに、妻の寝相の謎を解き明かそうと思った。

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いったいいつ、どのように寝場所を変えているのか。妻の体には痣ひとつなく、毎晩ベッドから転げ落ちているとは考えられない。また、掛け布団を巻き込まずに妻の体だけが綺麗にベッドから離脱していることにも違和感を覚えた。妻は夢遊病のように、眠りながら起き上がっているのだろうか。

謎の解決手段として、私が寝ずに一晩中妻を見張るというのは、いくら身内とはいえなんとなく申し訳なく感じた。その代わりにベタな方法ではあるが、寝室にこっそりと隠しカメラを設置することにした。

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カメラによる隠し撮りの方が非人道的だと言われるかもしれないが、妻にみすみす風邪をひかせてしまう方が私にとっては耐えられない所業である。そしてこれが、私の妻に対する精一杯の愛情表現ともいえよう。妻をベッドから落とさないために、毎晩抱きしめて眠るなんてことは、臆病な私には到底できないのだから。

…さて、ベッド周辺を俯瞰できるように、書棚と天井との隙間にこっそりカメラを設置した次の日の朝、妻が買い物に出かけると同時に早速映像を確認してみた。

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観察の対象が自分たち自身であるとはいえ、隣り合って寝ている男女を観察するという行為に背徳感を覚えた。それでも、大人しく横たわる私たちから目を離せないでいた。もちろん映像を早送りにして見ていたが、一向に絵面は変わらなかった。問題のシーンは、録画を始めて三時間後、夜中の二時頃に見られた。

突然体を大の字にして、じたばたと手足を動かし始めたのは、妻ではなく、私だった。

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呆気にとられている私をよそに、もう一人の自分は不可解な行動を続けていた。映像の中で目を覚ました妻は、体をベッドの端に寄せ、暴れ出した私の顔をじっと見ていた。しかし観念したようにベッドから降りると、掛け布団も諦めて、カーペットがひかれた床の上に寝転がるのだった。

妻が毎朝床で寝ていた原因は、私だった。寝相が悪いのは紛れもなく自分で、臆病な妻は寝ている夫を起こすことができずに、仕方なく寝場所を移動していたのだ。

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恥ずかしさと申し訳ない気持ちが一遍に募り、頭が爆発しそうだった。妻が買い物から帰ってくると、私は隠しカメラのことも正直に話して、自分の寝相の悪さを懺悔した。「でも、どうして私の寝相について言ってくれなかったのか?」散々謝った後に、あくまで悪いのは自分だと誇張しつつ訊いてみた。妻は、いつもと少しも変わらない穏やかな表情で言った。

「起きてるから」

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…私は妻の意図することがわからなかった。「起きてるって、誰が?」私の問いかけに、妻は「あなたが」と答えた。

「あなたが私をベッドから押し出す時、いつも目を開けて笑ってるから」

妻はそんな私の様子にどう対処すればよいかわからなくて、とりあえず何かあればすぐ対応できるよう、ベッドのそばで寝ていたのだという。

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その後、妻と一緒にカメラの映像を見返してみた。たしかに、妻を布団から追い出す自分の顔は、笑っているように見えた。周囲のものを薙ぎ払うように手足をばたつかせながら、目を大きく開けて笑っている男の姿はおぞましかった。何より、その男が自分であることに立ち直れないほどのショックを覚えた。

唯一の救いは、自分に対する妻の愛情を確認できたことだった。妻は私の一連の行為を、「子どもみたいで可愛い」と言って慰めたのだ。

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その言葉の真意はともかく、私は妻の慰めにどのくらい助けられただろうか…。ただ、妻に関して、ひとつ不可解なことがあった。

それは、ベッドから降りた後の妻の様子にあった。すぐに床に寝転がるのではなく、ちょうどカメラを設置した天井の下にある書棚のそばにいき、それと壁との間に手を伸ばすような行為をしていた。カメラの位置の関係で妻の姿をすべて確認することはできなかったが、彼女の手は書棚の裏で何をしていたのだろう。

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その日の夜、私は何度も別々に寝ることを提案したが、彼女は一向に応じなかった。もちろん、だからといって私は妻を抱きしめて寝るなんて言えるはずもなく、いつも通りに隣り合って布団に入った。私はなかなか寝つけなかった。映像と同じ醜態をこれ以上晒したくないと怯えていたのもあるが、もうひとつの理由として、妻に対して抱いた疑問を解消したいと考えていた。

そして妻が寝静まったのを確認すると、私はこっそりとベッドを抜け出して、書棚と壁の間を覗き込んでみた。

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当然電気を消した状態では何も見えなかったので、壁との間にスマホを差し入れ、電源をつけて照らしてみた。

そこには、壁に書かれた「正」の文字が、数え切れないくらいにびっしりと並んでいた。

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その日以降、私は眠れない夜を続けている。私が眠らない限り妻がベッドから追い出されることはないため、私たちは隣り合って朝を迎えるようになった。

最近妻は寝相のためか、夜中に私を抱きしめる癖があった。心なしか彼女の手は私の首にかかっていて、時おり何秒間か締めつけてくることがあったが、そのことを言えるはずもなかった。

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それでも、私は妻を愛していた。夫を絞め殺そうとする彼女の目は大きく見開いていて、私に向けられた顔は笑っていた。そのことは全部本人には伝えず、私だけが知っている事実として墓場まで持っていこうと思う。それが、私の妻に対する、愛情表現ってやつなのだから。

私たちは今でも、同じベッドの上で眠っている。結婚三十年目の、ささやかな惚気話である。

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