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中編5
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忠犬

ある日、僕は夜道を散歩していた。

僕の仕事は基本的に夜勤が多くて、それのせいか仕事のない休日でも夜に寝られない日が多くあった。

そういう日は、無理に寝ようとするのではなく、暴食なり散歩なりをして時間を潰していた。

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しかし、最近は健康志向に目覚めていたので、カップ麺の湯を沸かす代わりに、無理やり靴を履いて外へ出ることを自分に課していた。

そしてこの話は、そんな寝つけない夜に経験した、自分史上もっともゾッとした出来事である。

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僕の家の近くには中くらいの広さの公園があった。

ブランコや滑り台といった代表的な遊具と、3人掛けくらいのベンチが2、3ある程度の、どこにでもあるような平凡な公園だった。

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その公園は、僕が家に帰る時には必ず前を通るため、必然的に散歩コースの一角を担っていた。

もっとも街灯の数が少ないため、夜中には人っ子ひとりいないのが常であったが、その日は公園の真ん中に、月夜に照らされた人影を見た。

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その人影は、ベンチに座っていた。

そして、手にはリードを持っていた。

その先には、大きな犬がつながれていた。

その時の僕はまだ公園から遠いところにいたので、そのくらいのことしかわからなかった。

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しかし、だんだんと近づいてみると、そのすべてが奇妙なことに気づいた。

その人影の正体は、60代も後半の老婆に見えた。

ボサボサ気味の白髪は肩までかかっていたので、おそらく老婆で間違いないだろう。

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しかし、彼女が座っているのはベンチではなかった。

思えば、公園の中央にベンチなんてないことに、もっと早く気づいていなければいけなかった。

彼女が座っていたのはベンチではなく、両膝と両手をついた、人だった。

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そして彼女が持っていたリードは、実は2本あり、そのひとつはベンチとなっていた人(その人は短髪だったから、以後ベンチ男とする)の首につながれていた。

もうひとつは、僕が大きな犬だと思っていたそれの首につながれていたが、それも犬なんかではなく、人なのであった(同じく短髪だったため、以後犬男)。

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彼らは2人とも、少なくとも上半身は裸だった。

僕は当然、公園の前を通るのをためらった。

しかし、アパートと公園の位置の関係で、どう足掻いても家に帰るためには公園の前を通らなければいけなかった。

それならば、いっそひと息に、もともと通るはずだった道を通り過ぎる方がいいと考えた。

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そしてできるだけそちらを見ないようにして、そろそろと少しずつ歩みを進めた。

それでも、僕の好奇心は言うことを聞かず、これまた奇妙な声が聞こえてきた時には、思わずそちらに視線を移していた。

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僕はそんな自分の首にこそリードをつけてやりたい気分だったが、そもそもリードだけじゃ頭の向きは制御できないだろう。

とにかく僕の耳は、たしかに、女の人の声で「お手、お手」と叫んでいるのを聞いたのだ。

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僕はその声で、ようやくあの人影が老婆であることに確信が持てたのだが、そんなことはどうだってよかった。

僕の視界の中で犬男は、そんな老婆の命令に逐一反応して、言われた通りの動きをしていた。

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おいおいマジかよ、と思いながら、僕は無意識に立ち止まっていた。

その後にも老婆の声は「お座り」「おまわり」「ちんちん」と移ろいでいった。

そして彼らには関わってはいけないと思い、ようやく歩き出そうとした時には、もう色々と遅いことを悟った。

僕は、ベンチ男と、目が合ってしまったのだ。

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もちろん、彼の目が直接見えたわけではなかった。

ただ、ベンチ男は異様に耳が大きかったから、その耳のシルエットのせいで、離れた場所でも彼がこっちに向いていることがわかった。

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そしてベンチ男は全然犬の真似なんてせずに、人間の男の声で、「あいつ見てるよ」と僕の方を指差しながら老婆に言った。

すると老婆はそれまでの命令をぴたりと止めて、髪を揺らしながら僕の方を見た。

そんな老婆の変化につられて、犬男も僕の方を見た。

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僕は3人(1人と1匹と1台?)の視線に晒され、恐怖と焦りで動けずにいた。

早くこの場を去った方がいいとわかっていても、僕の足は蝋で固めたように動かなかった。

しかし、次の瞬間には、僕は思いきり走り出していた。

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老婆は、「ハチ!」と馬鹿みたいな大声で叫ぶと、犬男はそれに反応して、僕の方に走ってきたのだ。

そして、犬男はどこまでも犬男であった。

彼は人間の走り方ではなく、四つ足でこちらに向かってきた。

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でも、スピードまでは犬を再現できておらず、僕はなんとか彼を巻いて逃げ切った。

もちろん家に直行なんてことはせず、周辺のできるだけ明るい道をぐるぐると走り回って、完全に彼が僕を見失ったことを確認してから、ようやく玄関の扉を開けた。

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しっかり施錠をして、部屋の電気をつけると、途端に気が抜けて僕はその場に崩れ落ちてしまった。

その晩僕がまったく寝られなかったことは、想像に難くないだろう。

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その日からは夜中の散歩はやめにして、また暴食の日々に戻したのだが、それでも公園の前を通らないわけにはいかなかった。

僕は通勤時にも、そこを通らなければいけなかったのだ。

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そして翌日の夕方には、仕事着を着た僕は、家から駅までの道を歩いていた。

その道中、僕はふと、あの犬男が「ハチ」と呼ばれていたことを思い出した。

僕は彼の老婆に対する忠犬ぶりから、てっきり「ハチ公」の名からとったものだと決めつけていたが、もうひとつの可能性があることに気づいた。

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もしそれが、文字通り「数字の8」の意味だったら。

犬男やベンチ男のような存在は、少なくともほかに6人以上いるのかもしれない。

僕は失禁によって仕事着を台無しにしそうな気がして、もうそのことを考えるのはやめにしようと首を振った。

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しかし、どうしても避けられないその公園の前に来たとき、僕は頭の中が真っ白になった。

その公園には、彼らの姿はなかった。

それどころか、特に変わった様子は何もなかった。

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僕は、公園を見て頭が真っ白になったわけではなかったのだ。

僕はさっきまで考えていた、「ハチ」の新たな可能性に気づいたのであった。

それは、そもそも老婆は「ハチ」とは言っていなかった可能性である。

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よく考えてみれば、老婆は犬男に対して、「お手」や「お座り」といった命令を下していた。

だとすれば、僕の姿を確認して叫んだ言葉もまた、犬男に対する命令だと考えるのが自然なのではないだろうか。

そして、老婆はきっと、このような命令を叫んでいたのだ。

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「拉致」

僕はすぐにでも、この街から引っ越そうと思った。

もちろん、夜勤終わりの暗い夜道を、無事に帰ることができたらの話ではあるが…。

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