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「お帰りください。」
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昭和レトロな喫茶店で、還暦を少しばかり過ぎた男性が語ってくれた不思議な話。
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もう40年ほど前のこと。
うっすらと雪が降った日、友人宅を訪れるため、海辺の無人駅に降り立った。
夏場は、海水浴客で賑わう駅も、冬場は、暖を取る場所もなく閑散としている。
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改札を出ようとしたその時、
「あの・・・。」
背後から声をかけられた。
「あの・・・、ちょっと。」
ホームには、自分以外誰もいなかったはず。
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幼い頃から、少しだけ、霊感らしきものがあった。
直感で、振り向いてはいけない気がした。
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「あの・・・そこの人。」
ぽた、ぽた、ぽた、
コンクリートの床に、水滴の音がした。
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ぺたん
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女は、じりじりと水をしたたらせながら にじり寄って来る。
ぺたん
ぽた
ぺたん
ぽた
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ピタッ
水滴と足音が止まった。
「わたしの声、聞こえているんでしょう。」
じっとりと 粘っこい女の声がする。
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そういえば、この海岸には、海流に翻弄された遺体が、時折流れ着くと聞いていた。
自分の背後に立つ女も、きっと、この世の者ではないに違いない。
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私は、改札を走り抜けると、コートの襟を立て、耳をふさぎながら、ひたすら海岸線を脱兎のごとく走り続けることにした。
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背後から突き刺すような女の叫び声が、あたりに響き渡る。
「逃げないでよ。」
「あ~、あ~、あ~。あああああああああ。」
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昼下がりとはいえ、車の往来もない。
片側一車線の道。
人っ子ひとりいないとは、どういうことだ。
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心臓の拍動が、マックスを迎えようとしている。
それでも、一刻も早く、恐怖から逃れるため、一心不乱に走り続けた。
幸い追いかけてくる気配はない。
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何度か訪ねたことのある友人宅だが、周囲は、初めて見る景色ばかりだ。
道に迷う不安はあったが、わけのわからん女の霊に絡まれるよりはマシだ。
道なら、いずれどこかとつながるはず。
そう言い聞かせた。
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10分も走っただろうか。
気がつくと、駅からかなり離れた上り坂を駆け上がっていた。
本来の目的地とは、真逆の方角。
どうやら、隣町に至る山道へと向かっているらしかった。
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振り返ると、眼下遠方には、コバルトブルーの海が広がっている。
いつしか、女の声も滴り落ちる水音も 嘘のように消えていた。
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坂道を上りきると、舗装された平坦な道にたどり着いた。
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足を止め、あたりを見回すと、前方に アンティークな喫茶店が見える。
「よかった。人に会える。」
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やっとの思いで辿り着いた店の前には、ピンク色の公衆電話が置いてあった.。
友人に連絡しなければと、一瞬受話器に手をかけたが、急に寒さに襲われ、軽いめまいを覚えた。
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いや、まずは、この外気から身体を温めることが先決だ。
かじかんだ両手をすり合わせながら、
ふぅと息を整え、逸る気持ちを抑えつつ喫茶店のドアを開けた。
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「いらっしゃい。」
マスターらしき男は、こちらを一瞥もせず、ダルそうにつぶやいた。
「わるいねぇ。ランチタイムは、2時で終わったんだよ。ここに貼ってあるメニューなら出来るけど。」
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店に客はいないようだ。
やけに、閑散としている。
「食事は済ませてきました。コーヒーをください。」
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男は、カウンター越しに顔を上げ、こちらを見るなり、目をかっと見開き、怒鳴り声を挙げた。
「お帰りください。」
「え?」
「いいから、お帰りください。」
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あまりの剣幕にたじろぐも、男は、大声を挙げた。
「あんたさぁ。人の言葉には、耳を傾けるもんだぞ。さ、さっさと出て行け。」
「なんなんですか。いきなり。さっぱり意味がわからない。」
「いいから。あんたをここに入れるわけにはいかないんだ。」
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「どうしてですか。理由を聞かせてくださいよ。」
「あんた、どこから来た。」
「ここの駅から来たんですよ。駅で…厭なことがあって。ここまで、走って・・・。」
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男は、激高し、私の胸ぐらをつかむと、荒々しくドアを開け、外に押し出した。
「お帰りください。」
もう二度と来るな。
と言わんばかりの 三度目の「お帰りください。」だった。
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尻餅をつきそうになり、とっさに電話台に手をかけ、ふと我に返る。
友人宅を訪問する約束の時間が、迫っていた。
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そうだ。なんてこった。とにかく、友人に連絡しなければと思いたち、そばにある公衆電話から、友人に電話をかけた。
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数回コール音がした後、受話器から友人の快活な声が聞こえてきた。
「あ、あの・・・。〇〇だけど、ちょっと、面倒なことがあって、すまん、お前んちに行くの少し遅れる。待っててくれないか。今、駅と反対方向にいるんだが。」
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しばし、沈黙の後、電話口から友人の困惑したような声が聞こえてきた。
「え?え?家に来るって。〇〇 お前、もう、ここにいるじゃん。」
(そんなばかな)
「あのさ。あんた、誰?」
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ぷつん
ツーツーツー・・・
電話も会話も、二度とつながることはなかった。
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「記憶にあるのはここまで。あの日、喫茶店のマスターに、『お帰りください。』って三度も言われたんですが、無事に帰れたかどうかも定かではないんですよ。」
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旅行客だと嘯く男は、店内においてあるピンクの公衆電話を懐かしそうに眺めながら、そう呟き、涙を拭いた。
作者あんみつ姫