Bさんという女性が小学校五年生の頃、Ⅰさんという女の子がBさんの小学校へと転校してきた。
小学五年で転校ともなるとすぐに馴染むのは難しそうなものだが、Ⅰさんは特に緊張した様子もなく、初対面の相手でも愛想よく振る舞い、すぐにクラスの一員として馴染んでいった。
Bさんは、前の学校でもこんな感じだったのかとIさんに聞いてみた。すると、どうやらⅠさんは家庭の都合で今まで何度も引っ越しをしているようで「こういうことには慣れっこなの」という返事が返ってきた。
さらに話を聞いてみると、もう一、二年経てばまた引っ越すことになるかもしれず、この学校にも卒業まで居られるかはわからない、とのことらしい。
「だからいつも、なるべく早く皆と仲良くなれるようにしてるんだ」
その言葉を聞いてからというものの、なんだがIさんのことを放っておけなくなってしまったBさんは、Iさんと頻繁に遊ぶようになった。
ある日、Bさんはお昼からIさんの家に遊びに行っていた。
いつも通り仲良く遊んでいると、Iさんがこう切り出した。
「あのさ、今日うちに泊っていかない?」
「え、いいの」
「うん。明日日曜日だし、Bちゃんのお家には電話すればいいよね?」
Bさんはすぐに家に電話をかけ、電話口で必死にお母さんに頼み込んだ。その甲斐あってか、Bさんのお母さんはしぶしぶながらもお泊りを許してくれた。
そしてBさんとIさんは、今日の夜どうしようかを話ながら、二人で楽しく遊び続けた。
気が付くと、窓から夕日が差し込むような時間になっていた。
いつもなら自分の家に帰らなければいけないが、今日はお泊りだ。
時間なんてお構いなしとばかりにそのまま遊び続けていると、ピンポーンと玄関のインタホーンがなった。
「お客さんかな」
「そうみたい、ちょっと出てくるね」
そう言ってIさんが部屋を出ていこうとすると
「あそびにきました」
と、外から大きな声が聞こえてくる。どうやら、たった今インターホンを鳴らした人物が呼びかけているようだ。
その声からするに、BさんやIさんと同じくらいの子供のように思えた。
(あれ、Iちゃん他の子も呼んでたんだ)
そう思ったBさんだったが、それにしてはもう時間が遅い。普段ならもう帰る時間だ。
――ピンポーン
「あそびにきました」
また誰かが外から呼びかける。
「ねえIちゃん、誰か他の子呼んでたの?」
そう尋ねたBさんだったが、部屋を出ていこうとしたIさんの様子が何やらおかしい。ドアノブに手をかけたままの姿勢で固まっている。
「Iちゃん、どうしたの?」
BさんはIさんの顔を覗き込んだ。
Iさんの表情は、何かに怯えているかのように強張ったものになっていた。
額にはじわりと汗をかいている。
(え……どうしたんだろう)
状況がわからないBさんをよそに、インターホンは一定間隔で鳴り続け、「あそびにきました」という呼びかけも続いている。
「ねえ、誰か遊びに来てるよ」
「うん……Bちゃん、これから私変なこと言うけど、ちゃんと聞いてほしいの」
「え……?」
「私がいいよって言うまで押し入れの中に居て、静かにしてて」
「どうして?
「いいから、お願い」
「え、う、うん……」
Bさんは訳も分からぬままに部屋の押し入れの中へと押し込まれた。
言われた通り暗い押し入れの中、じっと息を潜めていると、たったったっと早足で階段を下りる音が響く。
そしてガチャリと音がすると、「入っていいよ」というⅠさんの声が聞こえてきた。そこからは、Ⅰさんが誰かと話す声が聞こえてきた。
だが肝心の相手の子の声が、小さいからだろうか、全く聞こえてこない。状況から察するに、Ⅰさんが招き入れたのはインターホンを鳴らしていた子のはずである。
(あんなに大きな声で呼んでたのに)
そんなことをBさんが考えている間も、聞こえてくるのはIさんの声だけだった。
「そう、引っ越したの。ここがリビングだよ」
話している内容から、どうやら相手の子は前の学校の友達のようだとBさんは思った。
「こっちがお風呂場で……え、私の部屋? 二階だよ……別に何も無いよ」
相手の子はIさんの部屋に行きたがっているようだった。だが、Iさんの口ぶりはそれを避けようとしているように聞こえる。
そして少しのやり取りの後に、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
部屋に来るようだ。
Bさんはそこで、あることに気が付いた。
階段を上ってくる足音が、一人分しか聞こえてこないのだ。
(あれ……なんで)
そんなことを思う間に、ガチャっと扉の開く音がして、一人分の足音が部屋の中へと入ってきた。
「ここが私の部屋。なんにもないでしょ」
「……」
Iさんが相手に話しかけるが、返事は聞こえない。
それはまるで独り言のようで、Iさん以外に誰かがいるようには思えなかった。
(本当に他に誰かいるのかな)
気になったBさんは、ゆっくりと体を動かして、押し入れの戸のわずかに開いた隙間から外を覗いた。
部屋の中、見えたのはⅠさんの姿だけだった。
そのⅠさんは、腕に薄汚れた黄色い塊のようなものを抱えている。よくよく目を凝らすと、その黄色い塊の所々に肌色が見える。
一体あれは何だ、とじっと見つめていたBさんだったが、すぐにその正体が分かった。
それは人形だった。黄色い塊に見えていたのは、人形本体を覆いつくすばかりに伸びている髪の毛で、そこに埋もれるようにして、四肢と胴体がちらちらと見えているのだ。
「えっ」
Bさんが思わず声を出してしまった、その瞬間
「この中」
とIさんではない子供の声が聞こえてきた。
「……何も無いよ」
Iさんの声は少し震えている。『この中』というのは、今自分がいるこの押し入れのこと言っているのだと、Bさんはすぐに理解した。
「この中」
「何も無いって」
「この中」
「ねえ、今日はもう帰ろう?」
そう言うとIさんは、押し入れの方に背を向け、部屋を出ていった。
Iさんが階段を下りていく音がする。だが聞こえてくるのはそれだけでなく
「あの中」
「だれ」
という声が、何度も何度も、繰り返し聞こえてきた。
数分経って、その声が聞こえなくなった。
「もういいよ」
代わりに聞こえてきたのはIさんの声だった。押し入れから出たBさんの前には、すっかり憔悴しきったIさんの姿があった。
「だ、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
「ねえ、さっきのって――」
「ごめん、何も聞かないで」
その後Iさんは一呼吸置き、今日はやっぱりお泊りできないや、と言って、Bさんその日帰ることになったのだった。
その日以来、BさんはIさんの家に遊びに行くことは無くなった。そして二か月ほどたったある日、Iさんは転校してしまったのだった。
作者久太郎