その年の暮れに私は休暇を利用して叔父さんを温泉旅行に招待した。
叔父さんは2年ほど前に奥さんを亡くされて暇な年末を過ごす予定だったとのことで大層喜んでくれた。
母はいつからあんたたちそんな仲良くなったの?と訝しんでいたがそこは適当に誤魔化した。
私が叔父さんに興味を持つようになったのは今年の年始に叔父が警察署長だったときに管轄内の不思議な事件をまとめた有砂橋ファイルを管理していたということを知ったからだ。
なので何かの折に叔父さんをいい気分にしてその中身を聞き出そうという魂胆なのである。
遠出することも考えたが年始には実家に帰らなくてはならないスケジュールを考慮して県内の渋温泉郷を訪れることにした。
ここの温泉街に宿泊すると温泉街内の9つの外湯に入り放題の湯めぐりができるため結構人気のエリアだ。
宿にチェックインしたら荷物を置いてすぐさま外湯を目指す。
簡単なマップをフロントでもらったのでまずは一番近い大湯に向かった。(後から知ったが9湯を巡るなら大湯は最後に入るのがよいとされてるらしい)
この外湯というのは銭湯などとは違い本来は地元の方々が日々使うための共同浴場であり、それをご好意で宿泊者にも開放しているというものらしい。
なので1つ1つの外湯は意外なほどこじんまりしている。
その中でも大湯はその名の通り比較的大きい浴場で町のシンボル的な存在とのこと。
「いやー、叔父さん、やっぱり風呂はいいね。」
「ああ、スーパー銭湯みたいな近代的なでかい風呂もいいけどこんなレトロな風呂も存外いいもんだな。」
「フロントでもらった鍵で入り口を開けて入るシステムも何だが新鮮だね。」
「確かに。人の家にお邪魔するような気持ちになるな。そういえば他の外湯はどんな感じなんだ?」
「さっきマップを軽く見たけどこんなに狭いエリアに源泉が何箇所もあって外湯によって泉質やお湯の色も全然違うんだって、楽しみだね。ちなみに大湯はお湯の温度がかなり高くなってるらしいよ。」
「湯は熱い湯ほど大歓迎だ。」
大湯を出ると叔父さんはやはり飲みたくなったらしいので一度部屋に戻って部屋飲みすることにした。
酒屋さんで地ビールなどを買い込んで部屋で乾杯した。
「ところで叔父さん、例の話なんだけど。」
「あー、有砂橋ファイルの件か。そんなに興味あるのか?」
「もう気になって仕方ないくらいだよ。」
「んー、、それじゃあせっかくだから風呂にまつわる事件があったからその話をしようか。」
「T公園というのがあってな。それは公園と名称されているが普通の遊具があるような公園ではなく、ちょっとした名所になるようにと造られた広場みたいなところでな。水汲み場所や湧水を使った小池なんかが作られた。
場所としては山を越える道路の途中にあってあまりアクセスのいい場所ではない。
では何でこんなところに公園を作ったかというとここは元々素晴らしい湧き水が出ることで有名だったんだ。
そのことに目をつけた市が町おこしのためにと公園として整備したんだそうだ。
最初はそこそこ訪れる人もいたそうだが残念ながら特に観光名所になることもなく地元の人が水を汲みに来たり、通りかがかりの人が小休憩に訪れたりする程度になってしまったらしい。
ある日T公園に変質者がいると通報があった。
警察官が行くとT公園の池の中に裸の男が浸かっているのを発見した。
警察官の話によるとその男は焦点があっておらず、10月だというのに男は池の中でとてもくつろいでいるように見えたらしい。
池の中の男に警察官が声をかけるが反応がない。仕方がないので警察官も池の中に足を踏み入れて男を引き上げようと触ると、その瞬間男は我に帰ったように冷たい!と叫んだそうだ。
とりあえず池から男を出したが男はさっきまでと打って変わってぶるぶる震えて寒そうにしていた。
池のすぐ横に男の服が丁寧に畳んで置いてあったので、まずはそれを着させて事情聴取することになった。
男は介護用具を扱う業者で山向こうの老人ホームに商品を納入した帰りにこの公園で昼休憩を取りに来たそうだ。
持ってきた弁当を食べたことは覚えており、実際に半分ほど食べた弁当がベンチに置かれていた。
だがその先の記憶がはっきりしないらしく、男はなぜかわからないがいつのまにか自分の家の風呂に浸かっていると思い込んでいたと言い張った。
ところでこういう訳のわからない行動をした人間がいた場合俺たちが最初に何を疑うと思う?」
「え?うーん、たぬきに化かされたとか?」
「違う。薬物だよ。幻覚や錯乱はなんらかの薬物によって引き起こされている可能性が高い。
そこでその男性を検査したところわずかながら幻覚性の症状をもつキノコの成分が検出された。ただこのキノコの成分は特に規制されていないし、キノコもその辺りの山で生えている特に珍しいものでもない、もちろん食べたりしても特に罪になるようなものではなかった。
しかしその男性にそのようなキノコを食べたかを聞いたがそもそもキノコは苦手で普段から食べないとのことだった。
取り調べが行き詰まりかけた時に男性がふと弁当を食べる前のことを思い出した。
曰く、弁当を食べようとしたとき公園の隅におでんの屋台が来ていることに気づき、冷えた弁当だけでは寂しいと思い数種購入して食べたのだそうだ。
店の屋号などは記憶していないが店員の相貌は思い出せたらしく、妙に吊り目で茶髪の若い男性だったそうだ。
この発言から捜査は意図的な薬物混入事件まで視野に入れられるようになった。
男性は前科などもなく調べる限り真っ当に生きてきたために今回の件は不問とされ、捜査はその謎の屋台に主眼が置かれた。
しかし聞き取りをしてもそのような屋台の目撃情報はまったく出てこない。
そうこうしているうちに次々と公園の池の中で茫然自失としている者が現れ、約1年で10人を数えるようになった。
彼らは職業、性別、年齢などに共通点はないが、皆なんらかの理由で自ら公園を訪れたこと、検査をすると例のキノコの成分が検出されたことは共通していた。
また取り調べの中でキノコを食べたかを聞いても誰もそのようなものは食べていないと答えた。
一方で何かを食べたかをよく思い出させるとやはり屋台で何かを買ったことを思い出せた。
彼らのうちの数人は店員の顔も覚えておりこれまた一様に吊り目で茶髪であったと報告している。
犯人と思われる屋台の目的がわからないため様々な憶測が捜査チーム内で飛び交ったが核心をつく仮説はなかった。
またその後も屋台については一切の痕跡を見つけることができず、屋台なら必ずなんらかの車輪が付いているはずだが轍の跡すら見つけられなかった。
しばらく捜査は続いたがこの公園の悪い噂が流れ始めて利用者が元々少なかったのがさらに減ってしまった。
市としても問題のある公園を放置はできないということで結局その公園は閉鎖されることになってしまった。
公園が閉鎖されてしばらく経った頃、警官が巡回中に公園の裏手の山に打ち捨てられた屋台の車を発見した。
とうとう手掛かりかと色めきたったがその屋台の車は長年風雨に晒されたようにボロボロに朽ち果てていてまともに動かすことも出来なさそうであったため不法投棄の類とされ回収すらされなかった。
その後公園が閉鎖されて以降は被害者も現れなかったため捜査は打ち切りとなってしまった。
これがこの話の全容だ。」
「叔父さん、一つ気になったことがあるんだけど、この公園って山道の途中にあるんだよね?そんなところにどうやって屋台を引いてくることができたの?」
「あー、そこに関してだが近所の民家は全部調べたけど関係なし。なのでトラックか何かで屋台を積むか引くかして持ってきたのだろうと推測されてる。そんな手間のかかることをなぜやったのかという点についてはまともな推論はなかったよ。」
「たぬきか何かに化かされたってのも案外的外れじゃないかもよ。」
「昔話じゃあるまいし。そんなことあるわけないだろう。」
「あれ?叔父さんは有砂橋ファイルを読んでるからてっきりオカルト肯定派かと思ってたけど?」
「怪奇現象なんてものが存在することを前提にしたら正しい捜査なんてできないからな。」
「じゃあ叔父さんの時代にはおかしな事件は起こらなかったの?」
「・・・いや、残念だが俺もファイルを分厚くしてしまったよ。」
「えー、その話を聞きたいよ。」
「ま、気が向いたらいつか話してやるかもな。さて、そろそろ晩飯だな。飯の後はすぐ外湯に行くぞ」
どうやら叔父さんの中では有砂橋ファイルの中の事件や事故を純粋なオカルトとしてはあまり捉えていないようだ。
でも捜査を尽くしても解決できなかったということは何か人智の及ばない事象が関わっているってこともありえるんじゃないのかなと私は思うんだけど。
作者礎吽亭雁鵜