その日、僕はクーラーの効いた涼しい部屋で横になっていた。
時計の針の音がやけに耳にまとわりついてくるのは何かの予兆だったのかもしれない。
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クーラーで渇ききった喉を潤すために、僕が部屋を出ると妹がいた。
この日もそうだったのだろうか。
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何かに期待しながら僕は妹の第一声を待つ。
「お兄ちゃん。」
僕は妹の口元を見つめたまま返答をする。
「どうした、ゆず。」
彼女は僕の大切な妹だ。ゆずは続ける。
「見て欲しいものがあるの。」
僕は笑っている彼女を見つめながら、
「なに?」と答える。
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ゆずは左手に写真を持っていた。
それはゆずが行ってきたばかりの、高校の修学旅行の写真だった。
彼女のクラスは42人。
42人で写っているその写真の中でも妹は一際目立って写っている。
ゆずはいつも綺麗だ。
その写真に、ゆずは違和感を覚えたのだという。
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「私、数えたんだ。クラスの人数。そしたら、いくら数えても43人いるの。これってなんだかおかしくない?」
彼女の顔を見つめる。
挑戦的な顔をしている。数えてみなよ、本当だから、と言わんばかりの表情だ。
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僕は数えた。43人いた。もともと43人いるのでは?と連絡網を見たが42人しかいなかった。
彼女に一人ひとり名前を言ってもらうよう頼む。
彼女は一人ひとり名前を言う。
あれ?全員きっかり合うじゃないか。
しかし、それでも人数を数えると43人いるのだ。おかしい。
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僕はゆずの顔を再び見つめた。僕は少しばかりの希望を持っていたのかもしれない。
彼女は首を振った。僕に、気づいて、と言っているかのようだった。
僕に心当たりなどなかった。
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その日の夜、母親にその話をすると、お祓いしなくちゃね、と言っていた。
それを聞いていた父はため息をついた。
父はある時から僕を厄介もの扱いしている。たまにわけもなく怒鳴ったりするような父親だ。尊敬してもいない。
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その日の夜ごはんは魚と納豆だった。僕が食事を堪能していると、母は僕にある提案をしてきた。
「けん。明日、お祓いに行った後、お墓参りに行きましょう。」
僕はゆずに、
「明日になったら写真は元どおりになるよ。お祓いに行こうね。」と声をかけた。
彼女は うん、と1つだけ返事をした。
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僕たちは次の日、いつもより少しだけ早起きをして、いつもより少しだけ早い朝食を摂った。
今日は雨になりそうね。けん、傘を忘れないようにね。
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僕は折り畳み傘をリュックに入れた。僕のリュックは少しだけみんなのより大きかったので3人分の折り畳み傘を入れた。
父親は今日は仕事だ。きて欲しくもなかったから僕にとっては都合がよかった。
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タクシーで15分もすると、お寺に着いた。お寺で母親が名前を告げると、すぐにお祓いは始まった。
あらかじめお寺に連絡を入れてくれた母には感謝しなければならない。
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お祓いが終わると、その写真は封筒に入れられて母親に渡された。
ゆずは写真をみて少しばかり安心した顔をしていたので、42人に戻っていたのだと思う。
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僕らがお寺を出ると雨が降り始めていた。
雨脚が強くならないうちに、と僕らは足早でお墓参りに向かった。
お寺から墓地まで、そう距離は遠くなかった。
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お墓に近づくにつれ、僕の気持ちは重くなっていった。理由はわからない。わかりたくもない。
墓地に着く寸前で僕は吐き気がして近くの公園の公衆トイレで少しだけ吐いた。
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墓地に着くともう僕らは2人だけで歩いていた。ゆずがいない。
墓石の前に立つ。そこにはゆずの墓があった。僕は彼女のはからいに感謝をしなければならない。
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数えたら43人。名前を言っていくと42人。それで全員。ゆずは自分の名前を呼びあげていなかった。それに違和感を感じなかったのは、無意識のうちに妹の死を受け入れていたからかもしれない。
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封筒を母から強引に奪い取る。封筒を破り写真を取り出す。僕は探した。彼女を。
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しかし、そこにゆずなど写っていなかった。
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僕は声にならない声を上げた。心臓が強く脈打ち、耳の奥まで音を立てた。
砂利の上に跪く僕を、容赦なく雨が打ちつける。雨が肌をつたい、砂利に染み込む。
母親は傘で半分僕を覆い、半分自分を犠牲にしたまま立ちすくんでいた。
灰色の墓石は雨に打たれ黒へと色を変えていた。
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ゆず、ゆず、ゆず
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帰りは父が車で迎えに来た。表情を見るに、父の心情は複雑だろう。僕はある程度落ち着きを取り戻していた。
車に乗り込む。自然とまた涙が溢れてくる。
ゆずはもう居ない。僕の心も少しだけその現実を受け入れていた。
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唯一使わなかったゆずの折り畳み傘をバックから取り出した。そうだ。これは、彼女の遺品だった。
折り畳み傘は、僕の涙をゆっくりと受け止めた。
家に着く頃には雨も止んでいるだろう。
作者Null