あいうえお怪談
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第1章「あ行・い」
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第7話「生霊の行く先」
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和裁士の資格を持つKさんは、呉服店や顧客からオーダー(注文)を受けて着物を製作したり、寸法が合わなくなったお得意様の直し等の仕事を請け負っていた。
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和裁は、洋裁とは違い、ミシンは使わない。はさみで反物を断ち、針と糸のみを用いて縫い合わせ完成に至る。時間も根気もいる作業で、着物を着る機会の少ない今、専門職として貴重な存在でもあった。
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とりわけ、Kさんは、腕のいい和裁士として近所でも評判だった。
大手デパートの呉服売り場や茶道や華道を嗜む顧客からの依頼が多く、独り立ちした時から、仕事に集中するため、実家の敷地内に小さな家を建て、そこを作業場兼自宅にしていた。
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一日の大半は、ひたすら仕事に費やす日々。深夜仕事をし、明け方眠りにつくという「昼夜逆転」する生活を20年以上続けていた。
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男性を紹介してくれる人もいることはいたが、納期に間に合わせるために、出会うための余裕すらない。婚礼衣装を縫うことは出来ても、自分は、一生着ることはないのかもしれないと、半ば諦めつつも、自ら仕立てた晴れ着を身にまとい、披露宴で微笑む姿を想像し、いつかは自分も良縁を得、幸せな結婚をしたいと願っていた。
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そのせいだろうか。
いつの頃からか、明け方眠りにつくと同時に、不思議な夢を見るようになった。
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それは、派手な着物を着たKさんが、大都会東京の繁華街にあるホストクラブをハシゴする夢だった。Kさんは、そこで出会った若い男性と、行き着いた先のホテルで、明け方まで延々と性行為に耽(ふけ)る・・・何もかも忘れ、刹那のひとときをひたすら快楽に費やすのである。
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ふと我に返り、身体から、ほんのりと漂うオードトアレの香りに、ハッとして身を起こすと、既に日は高く、カーテンの隙間からは眩しい光が差し込んでいる。
宴(うたげ)が終わり、二日酔いのような疲労感と倦怠感が交互に押し寄せては引き返す。
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まるで、波のように繰り返し繰り返し身体を襲うのだった。
だが、所詮はかない夢。
虚脱感はあるものの、「罪悪感」は、少しも感じなかった。
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むしろ、仕事一筋にやってきた自分にも、女の部分が、まだ残っていたことが嬉しかった。
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ただ、少しだけ気がかりがあった。
2週間ほど前から、上腕肩より少し下の辺りが、妙に「痛痒い」のである。症状のある箇所を見やると、ごく小さな穴が10箇所余り点在していた。その穴を眺めているうちに、なぜか原因不明の頭痛に襲われるのである。
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頭痛薬を喉に流し込み、やっとの思いで、布団から起き出し、簡単に食事を済ませ、いつものように仕事に取り掛かろうとするが、この夢を見るようになってからというもの、針のすすみが良くない。効率も手際も何もかもが、悉(ことごと)く悪くなった。
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それでも、納期ぎりぎりまで待ってもらい、なんとか、通常のオーダー数は、キープ出来ていた。クレームも返品も一切ない。ほっと胸をなでおろす。
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ただ、左腕に残る違和感だけは、数週間経っても、一向に改善する気配はなかった。
そろそろ、医者にいかないとまずいだろうなぁと、布団でゴロゴロしながら、患部をポリポリ掻いていた時、隣接する実家から、血相を変えた母が、合鍵を使って家の中に入ってきた。
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「もう、何度ノックしても開けてくれないから。勝手に入ってきちゃったわよ。」
怒りをにじませながら、少し焦ったような口調で捲し立てた。
「ごめん。なんかここのところ、寝起きが悪くてさ。今、やっとこさ、起きたとこ。」
目を半開きにして、母を見上げるKさんに、半ば呆れながらも、心配そうに話しかける。
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「寝起き悪いって。あなた毎晩毎晩どこに行っているの。さっき、警察から電話があったわ。あなたのハンドバックが、事件の現場に落ちていたって。」
「・・・どういうこと?事件って何?」
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「こっちが聞きたいわ。警察は、あなたも『被害者じゃないか』って。その確認の電話だって。」
「し、知らない。だって、私、ずっと家にいたもの。」
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「私だってそう信じたいわ。でもね、今まで、黙っていたけど。」
母は、困惑した表情でこんな噺をしだした。
「近所の斉藤さんが、警備の仕事を終えて帰る時、ここ3週間ほどいつもあなたとすれ違うっていうの。様子がおかしいから、悪いとは思いつつも、あなたの後をつけてみたんだけど、ある場所に来ると、急にあなたが消えてしまうって。」
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Kさんは、言葉を失った。返す言葉がない。
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「さっきの警察の電話だけど。いったい、どこからかかってきたと思う?新宿署だって。東京の・・・」
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―そういえば・・・一ヶ月ほど前、某ワイドショーで、高級ホストクラブの特集をやっていた。番組の中で、訪れていた女性客が着ていた着物に目が留まる。そう一ヶ月ほど前、顧客のひとりから頼まれて縫った代物だった。
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あの時、疑問に思うべきだったが、それより先に、テレビに映る自分の作品ともいうべき、着物を見て、Kさんの心は躍った。
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私も、いつかこんな場所で、こんな綺麗な男性たちに囲まれて、一晩で何百万も使えるような裕福な暮らしがしてみたい。と・・・。
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今思うと、いい歳をして、そこがどんな場所で、なぜテレビで放送されていたかも、作業に夢中で、きちんと見てはいなかったと思う。
無知で幼稚な自分に情けなくなる。
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左腕に点在する10箇所の注射針のような跡は、いつの間にか消失していた。その後、地元の総合病院で、精密検査をしたが、何処にも異常は見られず、睡眠導入剤とビタミン剤を2週間分処方され、日も傾きかけた夕刻に、自宅に帰宅した。
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謎は、残る。
第1の謎。
自分の縫った着物が、どういう経路で、あの場にいた女性客の手に渡ったのか。あの着物は、たしか、某大手デパートの呉服売り場に納品したはず。
いや、もしかしたら、自分は、勘違いをしているのかもしれない。
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第2の謎。
東京都新宿区の繁華街。そんな場所に、深夜500キロ以上離れた自宅から毎晩のように訪れることなど出来るわけがない。
kさんは、自ら「生霊」を飛ばすことによって、密かな願望を叶えようとしていたのだろうか。
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それとも・・・
作者あんみつ姫
Kさんの生霊は、一晩で往復1,000キロもの距離を飛んでいたのですね。
飛んで埼玉じゃなく、飛んで東京。 笑い事では済まされない事態です。
生霊じゃなくて、幽体離脱、もしくはドッペルゲンガー?
いずれにせよ、戻れていたから良かったようなものの、もし、戻れていなかったら、Kさんは、どうなっていたでしょう。