その日、俺、井戸田慎二は中学時代からの友人である村上祐介の葬列に並んでいた。
まさか、こんな事になるなんて……。
あの時、あの瞬間まで俺も、そして当の村上でさえ一ミリも想像しなかった筈だ。
いや、想像する事は不可能だった。
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あの日、俺と村上は久しぶりに二人で川へ釣りに行った。
中学時代は休みになる度、二人で川釣りに行っていた。
それが高校へ行き、社会人になるにつれ、互いに忙しくなり、二人で釣りに行くことも、顔を合わせる事さえも少なくなっていたのだ。
しかし盆休みになり、二人とも休みになった事で、久しぶりに釣りに行こうと村上が誘ってきたのだ。
そして当日の早朝、俺と村上は車に乗り、その日、釣りをする目的地へと向かった。
どうやら村上が、その日の為に会社の同僚から聞いてきた、釣り人が少なく良く釣れるという知る人ぞ知る穴場らしかったのだ。
釣り場に向かう車の中で、俺達はよく釣りに行った中学時代の話で盛り上がった。
二人はよく、どちらが大きい魚を釣るか勝負して、負けた方がアイスキャンディーを奢っていたのだ。
村上が言った。
「よーし!それじゃ今日もどっちが大きい魚を釣るか勝負しようぜ!負けた方が今度の飲み会で酒を奢るって事でどうだ?」と。
それに俺も答えて「いいぜ!言い出したのはお前だからな、負けたら絶対に奢れよな。」と、言い笑い合った。
その釣り場へは小一時間で到着した。
川沿いにある山の山道を走り、見逃しそうな脇道を川原へと降りていった。
川の両脇から緑の木々が迫り出し、その緑を川へと映し出している。
俺達は車を止めると、それぞれにウエーダー(胴付長靴)を履き、釣り竿を持ち川へと入った。早朝の川から朝霧が立ち、緩やかな川の流れをウエーダー越しにふくらはぎに感じるのは爽快だった。
穴場という噂は間違いなく、俺も村上も釣り糸を垂れて直ぐに、それぞれ魚を釣り上げた。
一発目は俺が15センチ、そして村上は23センチで俺の負けだった。
その後もお互いに調子良く釣り上げたが、僅差で村上が勝っていた。
そして何故かある瞬間から、二人ともパタリと釣れなくなったのだ。
それまで、勝ったの負けたのと賑やかにしていたが、釣れなくなって俺達はいつしか黙って釣りに夢中になっていた。
そして俺が針を岩場に根掛かりさせて苦戦している時だった。
横から「い……井戸田ぁ……?」と、震える声で俺を呼ぶ村上の声がした。
「え、何?」と、俺は今までと明らかに様子の違う村上の声に振り向いた。
と、その時だった。
俺は硬直して釣り竿の先を小刻みに震わせながら立ちすくむ村上の膝にしがみついた「それ」の姿を見たのだ。
それは丁度、1歳くらいの子供だろうか……。いや、子供なんかじゃ無い。
全身、緑がかった肌をして、濡れそぼった「それ」は邪悪な笑顔を浮かべ、異様に大きな目でこちらを睨んでいたのだ。
「い……井戸田……、助けて……。」
村上は更に釣り竿の先を震わせながら、振り絞る様に俺に言った。
俺は何故か「それ」を刺激してはいけない。
そう思い、村上の言葉に震える人差し指をそっと唇に当て、静かにする様に促した。それは不気味な笑顔で俺を睨んだまま、村上の膝に更に強くしがみつく。
俺はなんとか村上を助けようと、川の中の足を躙らせるように前へ出た。
と、その時、村上は手の力が抜けたのか、手に持った釣り竿を取り落とし、パシャンと川面が音を立てた。
その瞬間、それはまるでトカゲの様に村上の身体を這い登り、肩に跨ると身体を前へと倒したのだ。それにつられて村上も前から川へと倒れ込んだ。
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川面が大きな水飛沫を上げる。
するとそれは川面からもう一度、ヌッと顔を上げ、こちらを見て不敵な笑みを浮べると、川へ潜る様に姿を消した。
「村上?!」俺は慌てさっきまで村上が立っていた場所へ駆け寄って、川の中に村上の姿を探した。
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しかし、どうしてだ?膝にも届かぬ川の中に、倒れた筈の村上の姿が見当たらないのだ。
俺は「村上……? どこだ?村上ーーーっ!! 」叫びながら、必死に川底を撫でて探し回った。
その後の事は混乱して、もう殆ど覚えていない。気が付くと消防車や救急車が来て、消防士達が村上の姿を探していた。
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どうやら俺と村上が釣りをしていた後ろの山道に車を止め、川を見ていた一組の男女が、村上が川に倒れるのを見て救助を要請する電話をかけたと言うのだ。
しかし、その日、村上の姿は遂に見つからず、見つかったのは3日後だった。
何故か河口域に掛かる橋の橋脚に、仰向けに浮かび引っ掛かっている村上を、早朝の散歩に出ていた初老の男性が見つけて警察に通報したというのだ。
そして俺が再び村上と対面したのは、その警察署の安置所だった。
扉の前で言葉もなく泣き続ける村上の両親に、深く頭を下げ、俺は扉を開いた。
(嘘だろ? 本当に村上、お前なのか……?)
そう思い、顔に掛けられた白い布をめくると、血の気を無くし、驚いたように目をカッと見開いた村上の姿があった。
そしてその喉元には、何かに噛みちぎられた様な痛々しい傷口が開いていたのだ。
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俺と村上は今日も二人で釣りをしている。
ふと振り返ると村上の足に、あの忌まわしい「それ」がしがみつき、邪悪な笑顔で俺を睨む。
俺は今度こそ村上を助けようと、咄嗟にそれに飛び掛かる。
しかし、その手は虚しく川底の石を掴んでいた。
「村上ーーっ!どこだ?!村上ーーーっ!!」俺は叫びながら川底を撫でて探し回る。
次の瞬間、川面を破り、あの不気味な緑がかった色の手が、川底を撫でる俺の手首をガッと掴んだ。
俺は飛び起きた。心臓が破れそうな程に早鐘を打ち、水を被った様にびしょ濡れに汗をかいている。
あの日、村上が死んで以来、俺は毎日この夢を見る。
繰り返し、また繰り返し————。
作者zero