稲荷新田物語:1稲荷は何故怖いか?の予備考察 ※日本史・神社ネタ

中編6
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稲荷新田物語:1稲荷は何故怖いか?の予備考察 ※日本史・神社ネタ

これはある「新田」村に伝わる古伝承。

(※連作シリーズ予定で、その形での雑学・考察コラムでもあり、1では本題の怪談には入りません)。

新田というのは「新しく開発された田畑」を意味する地名で、全国的によくある。戦国時代から江戸時代には特に国土の開発が進んだようで、有力者や寺社が音頭取りをしたそうだ。

まず、土木工事で「水」を引かなくてはならず、そのためには権力や資金や指導力・求心力がなくてはいけない。その指導者や後援者は、以後にもその新田の村や地域で有力者になることが多い。

これは、そんな「新田」の土地の一つに伝わっている怪談じみた昔話だ。

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よくある話。人口増加での農地と食料の不足や戦乱の煽りなどで焼け出された人々が、有名なお寺だか神社に仕事や食い扶持を求めて集まって(荘園のような直轄の農地や各種の産業・専売などで仕事があったので)、そのうちに人数が増えたので新しく農地や村を開こうという話になった。

※昔の神社やお寺は今でいうNPOやNGOを兼ねており、今でいう地域の組合・互助会の団体職員・事務員にようなところがあった。

その神社は「稲荷様」と呼ばれていたとか。

この話の舞台や背景を説明する上で、少しばかり神社やお寺の話をしようか。

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当時は神仏習合(同一視・同類の扱い)だったから、神社とお寺の区別も曖昧で、相互に混ざっていたようだ。今でもあちこちでそういう名残は残っているらしい。たとえば有名な熊野大社(和歌山・紀伊半島南部)では天皇などから奉納されたお経が供養されていたりするらしい。

また、神社で定番になっている「狛犬」は、チベット仏教のスノーライオンと同類で、どちらかと言えば仏教発祥の装飾だったりする。熊野のお経と同じで地元の氏子や参拝者たちが奉納した流行が原因で狛犬が普及したという。

文化的な「習合」現象はよくあることだけれど、日本の神道の精神文化では古代ギリシャやインドのような多神教であるため、並立が可能である事情も大きいだろう。「主神」とされる天照大神もキリスト教やイスラムのような創造主ではなく、同じ宗教でも日本人の宗教観念はむしろ日本(と外来)の天使や聖人への崇敬に近い。

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最初期の神社形態と祭祀文化の伝統の保管・維持を第一義にしている伊勢の神宮(第一・最初の大きな正式の神社)では狛犬が存在しない。ある天皇が奉納した狛犬もあるものの、それはわざと飾らず倉庫・保管庫にしまい込まれて保存されているらしい。

もちろん神宮でも歴史的な変遷があって、元来は天皇の専属で親王の個人参拝すら許されていなかったが、次第に国民に開放的になって一般参拝が許されるようになった。平安末期以後に京都の朝廷の力が衰えたために厳格な統制がゆるんだこと、運営の資金源の確保と共に、朝廷の権威・文化と日本の一体感を宣伝や普及する目的だった(その結果が江戸時代の「伊勢参り」旅行の定番化)。

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さて。

神宮には皇祖・太陽の天照大神を祭る「内宮」の他に、豊受姫(豊受大神)を祭る「外宮」がある。料理や番頭を務めるとされるが、要するに産業や農水産や地域郷土の守護・神格化で、全国的に広くある「稲荷」と似た神様である。

稲荷というと狐のイメージがあるけれど、必ずしも狐そのものが祭られているというより「神様のお使い」や番犬・狛犬のようなところがある。稲荷と称する神社でも、実は祭られている神様はまちまちで(たとえ同名であっても、それは総称や一派の代表名の面がある)、要するに地域郷土の縁のある神様や先人をそういう形で祭っているのである。

これは、名目上は菅原道真を祭る天満宮が全国的に多数分布しているのに似ている。菅原道真は賢人・先人と天神を象徴する代表格みたいなもので、稲荷と天満宮が日本全国にあるのは「天神地祇(天の神様と大地の精霊)」や先祖・先人を祭るという、人間の自然な感情に基づいている。わかりやすい言い方や名前として、「稲荷」や「天満宮・天神」などが採用されて残りやすかったのでないか。

※「自然な感情」というのは、たとえ無神論者・自然科学主義者であっても、国土・郷土や先祖・先人に感謝や顕彰するのを止めるだろうか? 靖国や護国神社が個々の宗教思想以前に、日本の戦没兵士・犠牲者の慰霊・追悼施設なのと同じことである。

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もちろん「分霊」「勧請」などの様式・形式も無視はできないわけだが。

大きな有名な神社から「神様と流派を分けてもらう」ことだけれど、はたしてそれだけで説明がつくだろうか? 最古の稲荷は関東の笠間稲荷神社とされ、京都の伏見稲荷大社が形式上の総本社で双璧とされている。ただ「稲荷」と一口に言っても、ヤクザの組の傘下関係・代表格としての名義貸しで名乗った場合も多々あるだろうし、現に外宮と同じ豊受姫や他の神様を祭っていたりもする。やはり日本流の天神地祇を祭祀する文化がまずベースにあって、「代表的な様式」の一つと解釈すべきだろう。

また、当然ながらどういう学派・宗派系統を受け継いでいるかによっても、個々の神社でカラーや伝統に違いが出てくる。地域のバックボーンによっても実態に差異があるだろうし、たとえ「稲荷」や「天満宮」など同じ名前であっても、個々の神社で千差万別なのでないか?(元が類似の天神地祇を祭る文化がベースで、お互いに儀礼を真似したり同類視で似てくる面もあるだろうが)

なにしろ日本はシルクロードの東端位置する上、最古の時代に人類発祥のアフリカ・中東から渡ってきた人種集団をベースに(縄文人は古代中国の南人・東夷などと類似姉妹関係だろうし、日本語はインドのタミル語方言と近い説もある)、しばしば外部からの新来のグループや人間と文化を吸収して、歴史的錬成されてきた経緯がある。神社も例外でなく、その発達パターンを繰り返している。

儒学や道教の採用と影響もそうだが、仏教との混淆の具合でも影響があった(理論化や祭式など)。仏教と言っても幅広いわけで、浄土思想や阿弥陀如来は西域の救世聖人の系譜を引いているし(舞楽などにも古代西域の文化が伝来して保存・昇華されたところがあるそうだ)、密教の場合にはインドやチベットと共通の魔術・呪術思想が影響している。

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稲荷がしばしば「怖い」とされる一因は、シンボルの狐が共通することや混ざり合うことで、密教呪術と同一視されたからである。稲荷の名称のお寺があることでも、そのことがわかるだろう。

密教の呪術ではダーキニー(女神)の使者としてジャッカルをシンボルの一つにしていたが(インドやチベットの神話や魔術思想はしばしばおどろおどろしい)、日本にはいないので狐と解釈された。

ジャッカルは墓地を徘徊する番人で、エジプトのアヌビス(山犬の神、墓地の守護神)などと近い。おそらく祟りで恐れられる「犬神」とも共通のイメージやつながりがあるはずで、その辺りが「稲荷は怖い」とされる理由だろう。

稲荷は狛犬とも役目やキャラクターが重複しているわけだが、狛犬の場合には雄々しさや愛嬌があるせいなのかあまり極端に怖がられない。

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余談ながら、よくある「八幡宮」は応神天皇と神功皇后を祭ったもので、武士に人気があったらしい。源氏や平氏の嫡流は皇族の分派であるため、大将格の遠祖として尊ばれたのか。

また応神天皇の祖父、神功皇后の義父は日本武尊である。「風土記」の記録で日本武尊についての伝承は全国的に残っている。秦の始皇帝が実質的な「中国の創始者」なのと同じで、日本という「国」の実質的な草創期への追憶でもあるのだろう。

(続く?)

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こういう文化人類学的、民俗学的な話はとても好きです

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