長編8
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よく見える薬

この1年で急に目が悪くなったと感じる。

新卒で就職活動がなかなか思うようにいかずなんとか拾ってもらえた地域の大手スーパーで働いて10年。

不本意ながらも真面目に現場で頑張っていると去年から店長に昇格してしまった。

不慣れなパソコン作業が業務の中心となり毎日毎日遅くまでモニターとにらめっこしながら店の売上予測や実績の報告を本部に送る。

もともとそこまで目が良かったわけではないが裸眼で日常生活や仕事は問題ない程度の視力はあったはずだった。

しかし今では目の前の常連のお客様の表情がはっきりと読み取りにくいし、ほうれん草と小松菜みたいに似ている商品は手に取らないと識別できないくらいには視力が下がってしまっている。

もちろんメガネをかければ済む話なのだが一度メガネを試しに作ろうとしたときどうにも耳にかかる感触が不快で諦めたのだった。

コンタクトは検討の余地すらなかった。目にレンズを入れるなんて私にとっては恐怖以外何者でもない。

しかし仕事にもだんだんと悪影響が出始めたためになんとかしないとなと悩んでいたところたまたま流れてきたテレビCMに目を奪われた。

「最近人の顔がみにくい・・・。

旅行に来たのにせっかくの景色で感動できない・・・。

そんなお悩みはありませんか?

ヨクミエールは全く新しい飲むタイプの目の薬です。

これを飲めば眼鏡やコンタクトレンズがなくてもはっきりと世界がよく見えるようになります!!

効果はなんと1ヶ月も持続します。

ぜひお近くの眼科にお問い合わせください。

明るい未来は良い視界から。ヨクミエール!!

人をよくする。世界をよくする。九十九製薬」

今はそんな便利なものがあるのかと驚くとともに感心してしまった。

早速調べると近所の眼科ですでに対応していることがわかったので迷わず次の休みの日に予約を入れることにした。

病院を訪れるとまずは簡単な問診が行われた。

先生はとても社交的で話しやすい感じのいい先生で安心した。

次に視力検査だがかなり悪いらしく先生も「これで裸眼で過ごしてたの?見にくかったでしょうに・・・」と半ば呆れられていた。

そしてついにヨクミエールの注意点を教えていただいた。

「1錠飲めば最初は数日で効果が出始めます。その後は効果を維持するために毎月1錠飲むようにしてください。

飲み忘れると効果が切れて運転などに支障が出ることも考えられるのでしっかりと飲み続けてください。

薬は1年分処方されますのでまた来年来てください。」

最後に支払いだが保険診療ではないらしく薬代含めて3万円ほどの会計になった。

安くはないが眼鏡やコンタクトでもこれくらいの料金になるんじゃないか?(相場は知らないけど)と自分を納得させた。

ヨクミエールを飲んでから数日が経過した。

明らかに視界が変わったと思えたのは3日目だった。

今までぼんやりとしか見えていなかった世界の解像度が急に高まって、まるでプレステからいきなりプレステ3に買い替えたときの感動を思い出した。

電車に乗っても車両の奥の方の中吊り広告の文字までがしっかりと読める。

さらに道を歩けば空の青さや木々の緑も鮮やかに感じ取れる。

これはすごい効果だと本当に驚いた。

出勤するとスタッフ一人一人の顔がよく見えるだけではなく、陳列している野菜の瑞々しさ、魚の鮮度の良さ、肉の脂のノリすべてよく見えて売り場が輝いているようにすら思えた。

なんだがそのせいで気分も良く朝礼では柄にもなくこの店の素晴らしさ、スタッフの優秀さ頑張りを褒めちぎってしまった。

朝礼の後一人で事務作業をしていたが少し大袈裟に言いすぎたと恥ずかしくなってしまった。

しかしその日の私はいつもと違った。

店舗内をチェックしていると遠くに困ったような顔をしているスタッフを見つけ声掛けすると小さな問題が発生しているようだった。

詳細を聞くと判断を間違うと大きなトラブルになりかねないような問題で、しかもそのスタッフは十分に確認せずに自己判断で誤った判断をしかねない状況だった。

結果的に大きなトラブルに発展することなく未然に解決することができた。

スタッフだけでなく様子のおかしいお客さまに積極的に声をかけさせていただくことで感謝される場面が多かった。

現場担当だったときは当たり前にできていたことだが店長になってから視野狭窄になっていたのか、一人一人を大切にするという視点が欠落していたのかもしれない。

人の顔がはっきりと見えるというだけでこれほどまでに仕事の質が変わるものなのかと気付かされた。

この勢いで来週からのクリスマス、年末商戦を店一丸となって乗り越えていこうと気合が入った。

その後視力を取り戻した私は一層仕事にも身が入り、忙しいながらも充実した日々を過ごしていた。

店長業務にも慣れてきて生活にも少し余裕がうまれたので恥ずかしながら同僚からのススメでマッチングアプリを始めてみた。

同僚に助言を受けながら自分の好みや希望する条件を入力して女性を検索する。

すると驚くほど美人な女性が多くためらってしまいそうになるがプロフィールなどを拝見して興味の持てた女性にいいねをつけたりメッセージを送ったりした。

初めのうちこそ試行錯誤であったがだんだんと慣れてきたある日、Aさんという女性とメッセージのやり取りが続き、実際にお会いできることになった。

社会人になってからデートらしいデートはしてこなかったので念入りに準備をした上で当日を迎えた。

マッチングアプリに載っているAさんの写真はスレンダーなタイプで黒髪の大変きれいな感じだ。

ただマッチングアプリの写真なんてどうせ加工しまくりだろうと疑っていたのだが、集合場所に現れたAさんは写真通りあるいはそれよりもきれいな人で驚愕してしまった。

驚きを気取られないように冷静を取り繕いながら事前に調べていたオシャレなカフェでランチをとりお話をする。

どうやらAさんはこんなにきれいなのにあまりというかほとんど男性と交流をしたことがないらしい。

そのせいか男性の私を前にして少し緊張感というかオドオドした感じがAさんの表情に現れていた。

そこでできるだけこちらで会話はリードしつつAさんの緊張をほぐしたところでAさんに話を振って私は今度は聞き手に回るようにした。

その日はランチのみで解散したが帰りの電車の中でAさんからLINEに返信があり、とてもたのしくお話しできたこと、男性といて緊張せずに話せたのは始めてであったこと、また近いうちに会いたいことが綴られていた。

私としても大変嬉しく電車が最寄駅に着く頃には来週また会う約束を取り付けていた。

その後数回のデートの後私はAさんと交際することになり、半年後にはプロポーズをして受け入れてもらうことができた。

その後は怒涛のスケジュールでさまざまなことをこなしていった。

お互いの実家への挨拶

まずはうちの実家から挨拶することになった。

結婚の挨拶をしたあとは家で簡単な食事会となり母の手料理が振舞われた。

うちの母は昔から肝っ玉母さん的なおせっかいなタイプで、しきりに彼女に「Aちゃんはもっといっぱい食べなさいよー」と勧めていたが彼女は食が細めであまり多くは食べられないのだとフォローする必要があった。

次に彼女の実家に挨拶にうかがった。

始めてお会いする彼女のご両親からは非常に歓迎され、お義父さまからは「娘が結婚すると聞いて驚いたし、こんな素敵な男性を連れてくるとは夢にも思っていなかった。ぜひ娘をよろしく頼む。」と深々と頭を下げられ恐縮してしまった。

またこれから二人で住むための新居も当然探さなくてはならなかった。

しかもこれからますます入り用なので貯金をするためにもできるだけ安いところを探す必要があった。

不動産屋にはかなり低めの予算でまずは探してもらったために候補はどうしても古いアパートしかなかった。

間取りなどを見比べていくらかましそうな築30年のアパートを内見したが写真より外観も内装もきれいだった。

もちろん築30年なので相応に古さを感じるがそれも味なような気がして1軒目だったが決めることにした。

彼女も「まあ古いけど立地は悪くないしお金貯めなきゃだからね・・・」と納得してくれた。

入籍は来年の2月、結婚式は親族のみでささやかではあるけど4月にする予定でこれらの準備もあるのだが、

その前に今年もやってくるクリスマスと年末の繁忙期を乗り越えなくてはならない。

毎年この時期は憂鬱であったが今年は彼女の支えもあるので力がみなぎってくるようだ。

その後毎日が目まぐるしく仕事に追われまくる日々で、大小さまざまなトラブルはあったものの無事になんとか今年も年末を乗り切ることができた。

うちのスーパーは年末こそ31日の深夜まで営業するが3が日は休みになっているので明日からは疲れきった体を休めるために使おうと朦朧としながらベッドに入った。

そして元旦の朝を迎える。

昼まで爆睡だろうと思っていたが最近早起きが続いていたせいか目が覚めてしまった。

二度寝するかーと考えていると不意に違和感を感じた。

視界がぼやけている。

しまった。

処方されていたヨクミエールを11月に全部飲み切ってしまっていて病院に行かなきゃと思っていたがあまりの忙しさで忘れていたのだった。

しかもよりによって正月なので病院は当然しばらくお休みだ。

正月だってのに不便だなと愚痴りながらベッドから立ち上がりトイレに向かう。

ふと目の前のドア、そして壁が気になり見回す。

顔を近づけてよく見るとドアノブは少し錆が浮いている。

壁は壁紙が一部剥がれてなんともみすぼらしい。残っている壁紙も黄ばんでいて汚らしく見える。

たまらず他の場所も調べる。

フローリングも天井もトイレも風呂も全て昨日までは味がある古さと思えていたのに今はただボロくて汚いだけにしか見えない。

我が家に何が起こったのか全くわからず混乱した状態でベッドで寝ていた彼女を起こす。

うつ伏せに寝ていた彼女がむくりと起き上がり、なによこんな早い時間にと抗議してきたが彼女の顔を見て愕然とした。

昨日までのスレンダーで美しい彼女とは程遠い、ガリガリに痩せこけた幽鬼のような顔の女がいた。

完全にパニックになった私はどうしたのよーと彼女と同じ声で話す女を背に寝巻きのまま外に飛び出してしまった。

薬の切れた1週間は酷く辛い毎日だった。

あんなボロ屋に帰りたくなかった。

あんな女と一緒にいたくはなかった。

だが薬が効き始めると世界はまた元通りに戻った。

しかし前ほど良く見えないと思ってしまう自分がいるのだ。

Concrete
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