短編2
  • 表示切替
  • 使い方

本物

私は愛する息子を不慮の事故で亡くした。

午後2時。自宅の電話が鳴った。

『母さん、オレ』

聞き覚えのない男の声。

男は『オレ』としか言わない。

車で人を轢いてしまった。

示談金が必要だから50万都合つけてほしい。

見知らぬ声の男は

泣きながら私に助けを求めてきた。

この男は…

よりにもよって、

あの子の命日に電話をかけてきた。

いけしゃあしゃあと

あの子を装って、私からお金を騙し取ろうとしている…

私は、電話口の男に言った。

『手元に百万あるわ、直接渡したいんだけど、どう?』

相手は食いついてきた。

途中、弁護士と名乗る男が電話を代わる。

自称弁護士は、まことしなやかに事務的口調を装い時間と場所を指定してきた。

電話を切った私は身支度を始めた。

包丁を風呂敷に包み、鞄の中に隠した。

自分が何をしようとしているのか自分でもわからなかった。

少なくても表面上は冷静だった。

心が氷のように冷たくなっているだけだ。

玄関を開けると、もわっとした湿った空気が顔に全身に拡がる。

玄関を出ようとしたまさにその瞬間

『母さん…』

背中越しに声が聞こえた。

懐かしい息子の声に似ていた。

まさかと思い 部屋の中を見渡す。

誰もいない…

『母さん』

今度は、はっきり聞こえた。懐かしい匂いまで感じた。

突然

ふわりとした、何か温かいものが私の身体を包み込み、風のように通り抜けていった。

私は放心状態のまま玄関先で崩れ落ちた。

涙がとめどもなく溢れ出て視界を遮る。

お願い…

幻聴でもいい。

まやかしでもいい…

お願いだから、もう一度声を聞かせて…

願い虚しく

セミが一声ミンと鳴き、静寂を破っただけだった。

怖い話投稿:ホラーテラー みりんさん  

Concrete
コメント怖い
10
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ

泣ける。

返信