先に言っておきますが、やたらに長いので…興味のある方は、どうぞ。
もうずいぶん長く帰っていない私の田舎はM県。隠居した祖父が祖母の墓を守りながら暮らしている。
海へは歩くこと1分もない。川も近くにあり、昔は渡し船があったと聞いた。
高校1年…だから、今から10年は前になるか…田舎に母と私だけが帰った。一月の事だった。
温暖な気候のM県だから、1月と言えど、海の水は少し冷たい程度だった。河口が海へと押し広がる岸で、私は一人海を眺めていた。
ただ波が寄せてかえすだけで楽しかった。時間はまだ昼前だったが、どうやら干潮が近いようで、徐々に川の底が見え始めた。
向こう岸で、5、6人の人が岩に張りつくように何かしている。干潮なら、渡れる そんな話を前に従兄がしていた。
思ったとおり、水深は膝までも来ない。ゆるゆると裸足で渡り始めた。
向こう岸で作業していたおばさんがニコニコと手を振って、手招きしていた。
着いて、聞いてみると岩海苔を採っていたらしい。なるほど、手元のカゴにはこんもりと海苔が入っていた。
満潮までは、どれくらいかと聞くと、おばさんは帰りは大回りしなさいと言った。(陸を歩けの意味)
そんな暇は…あるけど、嫌だった。それならすぐに今、引き返せば余裕だ。まだ干潮には完全になっていないんだから…
振り向いた水面はさっきとあまり変わりがなかった。あれ?もう満ち始め?おばさんに聞くと、河口ではなく、海を顎で指した。
まだ海は干からびる最中だった。しかし、河口の水位は変わらない。
「川底がえぐられるからよ」よくわかるようなわからない答えだったが、次の言葉には何かの意味があった。
「連れて行かれてしまうからね、必ず橋まで行きなさい。足は痛いだろうけども」実は、おばさんが訛りがひどくて、半分くらいしかわからなかったが、おそらくそんな内容を言われた。
簡単に言えば、それは遠いし絶対に嫌だった。いわゆる、流れに連れて行かれるなら、少しくらい濡れたって仕方ない。
おばさんに言えば橋に行けと言うに決まっているから、黙って浅瀬に見当をつけて、入った。要するに聞かん坊だ…。
川を中程まで歩いたが、まだ水位は高くない。ただ、足元から砂がさらさらと崩れていき、足を長く置いていると足は沈んでいく。
これが持っていかれる→連れて行かれる だと確信した。むふふ、そんなミステリアスな事を言っても駄目だょ。そう思ったら、後ろから声がかかった。
「?」振り向くとおばさんみたいな格好のおじさんだった。「いかんょ〜〇×■△%」何か後半はわからなかった。と言うのも、おじさんは川の深みにはまったのだ。
もちろん、私は足で自分が足を置く位置を確認しながら来たが、実は流れが渡った時より早く、川底が見えにくかった。
大丈夫ですか〜こっちが言われる台詞を言わせるなと言いたかったが…浮き沈みするおじさんのところに引き返した。
あっぷあっぷしながら、おじさんはやってきて、またわけのわからない訛りでまくしたて、もう渡りきる方がよいので、自分が先に立つと言う。
正直、信用できない。付いていきたくない。だから、おじさんの真後ろを避け、なおかつ、おじさんの手の届かない範囲を自分の足で探りながら進んだ結果…おじさんはもう一度、深みにはまった。
今度ははっきりと溺れていたが、しばらくもがいてから、靴…というか草鞋みたいなものを脱いで浮き上がってきた。
まぁ、焦ったと言えば焦ったが、自分が飛び込んでも無駄だと知っていた。
自分の靴を置いていた砂浜にあがるとおじさんは笑った。
不思議な人だと笑っていたよぅだった。おじさんの足には、クラゲに刺されたような、引っ掻いたような、ミミズ腫れがあった。
歩き方を知っていても、あの場所では掴まれて、持っていかれそうになるのが普通だとおじさんは言った。
だから、何に? おじさんはにこやかだったが、決して答えなかった。いや、答えていたとしても訛りのあまり、わからなかった。
ただ、どうやら…河口付近の流れがどうのと言いたいわけではなかったのだ。
ペタペタと裸足で歩いていき、おじさんは道沿いの道祖神に祈っていた。みたところ、一心に…
浜辺の道を、祖父の家に来るお坊さんが向こうから自転車で走ってきた。手をあげて見せると、お坊さんは止まった。
「嬢さんは豪胆だ」と笑って、河口での渡し船の話と、その昔にあった事故の話をしてくれた。
どうせベタな話なんだろ!と構えていたが…亡くなったのは漁師と盲目の娘らしい。
漁師が溺れた?いや、海に慣れない娘が溺れた結果…父親である漁師も溺れたのだ。なぜか?
船に女を乗せるなと聞いた事はないだろうか?船(舟)魂(ふなだま)さまが怒るから、と。娘が可愛くて仕方なかった父親は船乗りのルールを破って、漁船に愛娘を乗せたあとだった。
「あんたはその娘に似ているのかもしれないね」うんと昔の話だよと、お坊さんは笑って、先に家に行くよ〜と行ってしまった。
砂浜に戻ると、私の靴が満ち始めた波打ち際で爪先を波に洗われていた。
船乗りには、地方にもよるがさまざまなタブーがあるのだ。そのタブーを破ってでも漁師には娘に見せたい何かがあったのだ。
その思いが強かったんだろう。悔しかったんだろう。
薄ピンクの浜昼顔を一つ、海に浮かべてそっと手をあわせた。向こう岸は、さっきよりずっと遠く見えた。この永遠と思える距離が漁師には憎かっただろう。
大丈夫。娘はもう、渡りきれるんだょ。
後年、知った事だが、向こう岸で私が会った人たちは、渡し船をやっていた家の子孫らしい。だから、何と言うわけでもないが…その義務感?が、私を追わせたのかもしれない。まったく必要なかった気もしたが…
怖い話投稿:ホラーテラー 美利河さん
作者怖話