この話を知人の誰かにした事はなく、常に私の気を滅入らせるので
普段は出来る限り忘れたふりをしています。
わざわざこんなところに書き込むのは、匿名性を利用して
誰かに言いたいだけです。(誰かに言うことによって少しでも精神の安定が目的です)
『三竦み』
三竦みって言葉、一度は聴いたことがあると思います。
古くは「螂蛆食蛇、蛇食蛙、蛙食螂蛆、互相食也」というのが
伝わってきた原文だそうです。
大事な点なので敢えて説明載せます。
『3つの物が、互いに得意な相手と苦手な相手を1つずつ持ち、それで三者とも
身動きが取れなくなるような状態のこと。』です。
私の母方の実家は九州にあります。 祖父と祖母がおり祖父は1年前に
他界いたしましたが二人とも孫の私には優しく、二人が怒った顔を私は
見たことがありません。
私は、というと父方が関東の出身であったことから関東で育ち、
今も関東で暮らしています。
ですので、祖父・祖母とは何年かに一度会えるかどうかです。
会う度に「Tちゃん、大きくなったねぇ」と喜んでくれます。
小さい頃は親や家族と、小学生高学年くらいからは一人で、
帰るたびに暖かく出迎えてくれました。
ただ、その度に必ず「S先生」と呼ばれるお坊様の家に連れて行かれてました。
祖父・祖母は信仰を持っていましたし辛い時代を乗り越えて来たのですから
信心深くても一切変なことはありませんでした。
(それに、別段怪しい宗教などではなく、長い歴史を誇るものでしたから)
そのS先生は女性で、品のあるペルシャ猫を飼っていて、頭を綺麗に剃り上げ
法衣を身に纏い穏やかな顔をされていたのを今でも覚えています。
S先生の家はいつ行ってもお客さんが来ていてそのお客さんとも祖父・祖母は
顔馴染みのようでした。
私が母方の実家に帰り、S先生のところへ連れて行かれると
「あぁ良かったねぇ。また会えたとねぇ」と祖父・祖母と同じように喜んでくれました。
(当時の私は、自分が子供だからそんなことを言っているのだろうくらいにしか
思っていませんでしたが)
S先生の家に行くと毎回手土産にお守りを貰っていました。
「中ばみちゃいけんけんね、効き目がうすれなさるけんが」と言われ
子供心に開けてはいけないものと信じ込んでいました。
中学3年生の夏休み、何年かぶりに九州に帰ったときのこと。
初日こそ祖父・祖母と過ごしたのですが当時の私は、まぁ反抗期ということも
あって随分生意気だったと思います。S先生の事もすっかり頭から抜けていました。
当然、親や家族との一緒の行動はダサいと思っていましたし、夜遊びにも
興味がありましたし、正直実家は退屈でした。
祖父・祖母への挨拶もそこそこに私は市内や少し遠出をしたりして
それまで行った事のない場所を回ったりしていました。
市内を一通り見た私は少し遠出をして、ふらふらと歩いていました。
はじめて見る街並みや景色が子供ながらに楽しく、いつしか日も暮れ随分遠くへ
来ていました。
ふと気付くと夜7時を回り、夕暮れに差し掛かり、しかもどこにいるのか
全く分からなくなっていました。
九州の中でも坂の多いところで有名な街でしたから、路地を越えると
坂にぶつかり、その先がどうなっているか分からなくなるのです。
進んでも知っている道にぶつからない、坂の先がどこに通じているのか
分からないといったある種閉塞感にもいた焦りから私はどんどん
不安になっていきました。
・・・ごめんなさい。 今日はここまでにしておきます。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話