大学卒業後、私はとある会社の営業職に就きました。私の名前はSとさせてください。
いつもどおり外回りを終え、営業所に戻ってくると課長に呼ばれました。
直属の課長で、営業命、といった感じの課長です。
辞職する在宅勤務のパートさん(Aさん)から商品を引き上げてくれ、というのです。
そういった仕事は集配担当の業務で、営業の仕事ではありません。
なぜ?と思いましたが、「悪いけど頼むよ」の一言で、しぶしぶAさんの自宅に向いました。
Aさんってどんな人だったっけ?
向かう車の中で思い出していました。何度か見かけたことはあるはずです。
しばらくして、痩せてちょっときつい感じだけど上品そうなおばさんという姿が記憶から蘇りました。
Aさん宅には一時間ほどで到着しました。
車を降りた私の目に飛び込んできたのは、荒れ放題となった庭でした。
ゴミが散らかっているわけではないのですが、草木は伸び放題でまったく手入れされていません。
きちんとしていたらきれいであっただろう芝生のあたりも、雑草が入り混じり、惨めな姿となっていました。
Aさん宅は高級とまではいきませんが、上品な部類の住宅街にあります。
こんなんじゃ近所の目もきついんじゃないの?と思いながら呼び鈴を押しました。
しばらく待つと、Aさんが出てきましたが、出てきたAさんの姿にも驚きました。
記憶にあるAさんとはまるで別人なのです。
疲れきった顔、化粧っ気もなく、髪は白髪でぼさぼさ、生気のない目、、相当な重病人のようでした。
商品の引き上げに来たことを告げると、
「・・・いつもの人じゃないの?」
と、私が来たことが不服そうです。
俺だって来たくて来たかったわけじゃねえよ、そう思いながらも、
「ええ、この近くに用事があった私が頼まれたもので」
「そう、商品はここにあるわ」
玄関の脇に商品は置いてありました、商品はきれいな状態のままなのでほっとしました。
商品を引き上げ車に積み込み、最後にあいさつをしようとすると、
「担当でもないのに来てもらったのは悪かったわね、お茶でも入れるから上がって」
病人に頼まれると断りにくいものです。
ちょっとだけ、と上がらせてもらいました。
庭があんな調子じゃ家の中も、と想像しましたが、家の中はいたって普通でした。
不気味な庭やAさんの雰囲気に圧倒されましたが、体調のせいで庭の手入れまで行き届かないだけなのだろうと思い直しました。
リビングへ通されました。大きな窓がある明るい部屋ですが、大きすぎる窓ゆえに庭の荒れ放題ぶりが浮き立っていました。
ほどなく大きなトレイにコーヒーを乗せたAさんが戻ってきました。
なんの話題を振ろうかと頭をめぐらせていると、
「私ね、辞めることにしたんです、聞いてたでしょ?」
なんとなく知らないことにしてるほうがいいかと思った私は、
「そうなんですか?商品を引き上げるからなんでだろう?とは思ってたんですが、そうですか、お辞めになるんですか」
「ええ、もうすっかり体調が悪くて、それにもう続ける気もなくて」
「じゃあゆっくりされて、まずは体を治すことに専念したほうがいいですね」
しばらく沈黙があり、Aさんはコーヒーカップを見つめていました。沈黙が息苦しく、私は失礼するタイミングを計っていました。
Aさんは持っていたコーヒーカップをテーブルに戻し、荒れ放題の庭をぼんやりと見ながら、
「Sさんておいくつなんですか?」
と聞いてきました。
23歳と答えると、
「私ね、Sさんくらいの年の男性を見ると悔しくてしょうがないの」
「悔しくて、悔しくて、殺してやりたいくらいなの」
「本当よ、申し訳ないんだけど殺したくて、殺したくて」
さっきまでの抑揚のない声とは打って変わって、低く鋭いものに変わっていきます。
顔色は悪いにもかかわらず、庭を見つめる目の奥が禍々しく赤く光って見えました。
頭でもおかしいのかと警戒していると急に、我に帰ったのか、
「ごめんなさい、嫌なこと言っちゃったわ、ほんとにごめんなさい」
と何度も頭を下げました。
「もう、お引取りください。これ以上話していると、本当におかしくなっちゃいそうだから」
そう言って下を向いたAさんの右手に、小さな包丁がぎゅっと握られていたことに気づきました。
私は逃げるように会社に戻ったのです。
「課長、ひどいじゃないですか!!」
戻った私は課長に詰め寄りました。
課長は謝りながらも、
「ちょっとこっちに来い」
と別室に私を連れて行きました。
「悪かったな。」
課長は頭を下げました。
「実はAさんにはいろいろとあってな・・・在宅だから社内で変な話が大きくならなかったんだけどさ」
と、Aさんについて教えてくれたのです。
課長は営業部、Aさん在宅勤務の関係にもかかわらず、Aさんが課長に新規顧客を紹介するなどで接点がありました。
1年ほど前に課長はAさんから相談を受けたそうです。
内容は、
Aさんのご主人が寝込んでしまうほど体調が悪くなり会社もクビになってしまったので、生活のため、在宅勤務からフルタイム出勤へ変更したい、というものでした。
Aさんの顔色もとても悪く、フルタイムで働けるとは思えなかったそうです。
課長は、ご主人だけでなくAさん自身の体調も気遣うよう諭しながらも、そのときが来たら考えましょう、と答えるとともに、気休めにしかならないだろうけど、お祓いでも受けてみたら?と勧めたそうです。
後日、Aさんからお祓いに行ってみたいので紹介してほしいと問合せがあったため、評判の良いお寺を紹介したのですが、話の成り行きで課長もそのお祓いに同席することになったそうです。
課長に霊感や、熱心な信仰心はなく、面倒だなと思いつつも勧めた手前ということで付き合ったそうです。
たずねた寺は小さなお寺で、ご住職も小柄でだいぶお年ですが、柔和で優しい方だったそうです。
お祓いがどのように進められたのかは聞きませんでしたのでわかりませんが、一通りの儀式を行ったそうです。
終わった後に、ご住職が、Aさん夫妻と課長を座敷に案内し、お茶を勧めてくれ、
「このところ、悪いことばかり続いていたでしょう、でも、よく来られました。来てくださって本当によかった」
と言ってねぎらったそうです。
「なぜ、うちがこんな目に遭ったんでしょうか?」
「以前、あなたの家には猫がいましたねぇ」
「ええおりました。でもちょっと前に死んでしまって、かわいそうでかわいそうで。。。それ以来もう何も飼っておりません」
「その猫のなきがら、庭に埋めたでしょう?」
「ええ、庭の隅に埋めました。でも、どうしてそんなことがわかるんですか?」
しばらくご住職はAさん夫妻を見つめていましたが、
「それが原因なのです」
きっぱりと言いました。
課長もAさん夫妻も驚いてご住職を見つめていました。
「どんなに可愛がっていても、飼っていた猫を庭に埋めてはいけないんです、祟ってしまうのです。」
「でも、その辺に埋めるよりは庭のほうがいいと思って、猫も庭でよく遊んでいましたし・・・」
「わかります。知らなかったのですからねぇ。でも、やってはいけないことでした。」
ご住職はさらに優しく
「元気を出して、気持ちを強く持ってください」
とAさん夫妻を励ましました。
「もう、これ以上悪いことは起きませんか?」
とAさんが聞くと、
「あとひとつ、あとひとつだけ悪いことが起きます。覚悟なさってください」
と、悲しい目でAさん夫妻を見つめました。
「何が起こるんですか?教えてください」
「かわいそうで、かわいそうで、私には今は言えません、とにかく強い気持ちを持ってください」
と、ご住職はぽろぽろと涙をこぼしたそうです。
これはどうやってもどうにも変えられないことだから、受け入れなくてはならないとAさん夫妻に説いたそうです。
Aさん夫妻が何度聞いても、あとひとつ起こる悪いことは最後まで教えてくれなかったそうです。
その後、埋めた猫の今後の処理などを聞いて、帰ったそうです。
帰りの車の中でAさん夫妻は落ち込んでいたそうです。
可愛がっていた猫です。よかれと思ってやった庭への埋葬が原因で、祟りに遭うなんて信じられないと言いつつも、
ご住職が猫を庭に埋めたことなどを当てたため、それを真実と受け止めなくてはいけないと思いつつも受け止めるのに苦労していたようです。
さらにあとひとつ起こる悪いことも気になると。
それから数週間後の深夜、たまたま会社に残っていた課長宛にAさんから電話がありました。
「はい、○○社です」
「あ、課長さん?Aです、実は先ほど・・・・」
Aさんの息子さんが亡くなったと伝えてきたのだそうです。
自転車に乗っていた息子さんは、信号無視したトラックに轢かれてしまい、即死だったそうです。大学生になったばかりの息子さんでした。
これがご住職がおっしゃっていたことだったんだと課長はわかりました。
課長は葬儀にも列席し、心厚くAさんに接したそうですが、しばらくの間Aさんから、あの寺に行ったからこんなことが起きたんだ、と罵られたそうです。
「それ以来、Aさんはだんだんおかしくなっちゃって、あのエリアの集配担当が嫌がってたんだよ。だから、辞めてくれてちょっとほっとしていたところもある。今日、何の関係もないお前が行くのは問題ないと思ったんだけど、言われてみればお前とあの息子さんの年が近かったから、、、ショックを受けちゃったのかも知れんな」
課長は少し申し訳なさそうに言いました。
「でもさ、本当に不思議なことってあるんだな。あのご住職は息子さんが死ぬのをお祓いの時点でもうわかってたんだろ?だから泣いたんだよ、そういうことってあるんだよ、わからんけど。」
「ただな」
課長は続けます。
「ご住職は、あとひとつ悪いことが起きたらもうおしまい、って言ってたんだけど、息子が死んじゃったらそのあとにどんないいことがあったとしても、もうどうしようもないよな・・・」
「そのお坊さんは、このままほっといたらAさん夫妻も死んじゃうってことを言いたかったんじゃないですか?」
「まぁ、そうなのかもな。でも、あんなんなっちゃったら死んでるのと同じだろ、現に今日だってほら・・・な?」
ご住職の話が全て本当なら、猫の祟りは消えうせているはずです。でも、祟りが消えたからと言っても、子供を失った母親の気持ちまで元通りになるわけはありません。
私は、今日Aさん宅で遭ったことを思い出していました。
そのお寺のことも詳しく聞いたので、なにか困ったことがあったらそこをたずねてみようと思いながら、気がついたら何年も経ち、その間に私も転職したため、もうほとんど覚えていません。
Aさんのその後ももちろんわかりません。
猫を自宅の庭に埋めると祟るという話が本当なのか私にはわかりませんが、猫を飼っている人には、死んでしまっても庭には埋めないように、と言っています。
怖い話投稿:ホラーテラー ルイコスタさん
作者怖話