大学卒業後、就職をきっかけに父の経営するアパートで一人暮らしを初めました。
4階建てのアパートで、私の部屋は205号室でした。
1階は女の子には物騒だし、エレベーター無しの建物で階段がキツイので2階、という安易な理由です。
アパートには大学生の一人暮らしが何人かと中年のご夫婦が一組、あとは年輩の方の一人暮らしでした。
越してきて3日経った日の朝、405号室の一人暮らしのご老人が亡くなられました。
私の上の上に住む方で、身寄りの無い寂しい暮らしをしていた方だそうです。
奥様が健在だったころから405号室に住んでいたそうで、階段が辛いので空き次第一階に引っ越す予定だったそうです。
結局奥様との思い出のある部屋にいたい、との事で越さずにいたとの事です。
お爺さんが心配で父もよく訪れて話相手になっていて、亡くなったのを発見したのも父でした。
ささやかなお葬式で父は
『看取ってあげられなくて可哀想だったなぁ。一日早くきていたら助かっていたかもなぁ。』
と涙をためて真っ白な顔で菊の花に沈むように眠っているお爺さんに話かけていました。
お葬式から数週間後の土曜日の夜、父が酒持参で私の部屋を訪れました。
日本酒を呑みながらぽつりぽつりと父は不思議な話を語りはじめました。
『人の思念ってのは不思議なもんだ。そこに居たい、って気持ちは死んでもいつまでも残ってるんだよ。』
お爺さんの事だな、とすぐにわかりました。
『爺さんさ、畳に倒れて死んでたんだよ。葬式の後会社のやつらと荷物を処分しに来たらさ、爺さんの倒れてた所にヒトガタの痕があったんだ。』
『それって死んだ人の油が染みてるだけなんじゃないの?』
父は悲しそうに首を横にふりました。
『そうかもしれない、でも違う。』
私はその意味がわかりませんでした。
『爺さんを見つけたのは死んだ翌日だぜ。死亡推定時間は夜だっていうし、人の油はそんな短時間で染み込んだりしないよ。』
確かに腐敗もしていない死体なのにおかしい話でした。
『困った爺さんだなぁ、折角婆さんに逢えるってのに。』
父はまた涙を浮かべながら私のマグカップにいれた日本酒をグイッと飲みました。
お爺さんはもう少しだけこのアパートに居たかったのかもしれないなぁ、と父を見ながらぼんやりと思いました。
数年経った今も405号室は空き部屋のままです。
経営者失格だね、お父さん。
怖い話投稿:ホラーテラー リコピンさん
作者怖話