薙畏悪罹羅倒葬手腐【表】

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薙畏悪罹羅倒葬手腐【表】

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春のある日の事だ。

一日の授業が終わり、ホームルームも済んだ放課後の時間。

掃除当番だった私は、教室の掃除をしていた。

生徒の机を抱え、教室の隅へ運んでいた時。抱えこんだ机の表面に、文字が掘られているのを見つけた。

斬れ味の悪い彫刻刀で無理矢理刻み込まれたかのようなその文字はささくれだっていて読み辛い。

私は、何が書いてあるのか、暫しの間その文字らしきものを凝視した。

[薙畏悪罹羅倒葬手腐]

机には、そう刻まれていた。

なんだこれは?

まったく意味の解らない漢字の羅列。読み方すらも解らない。

だが、私は、その文字の羅列に、何かの気持ち悪さ…というか、忌まわしさを感じたのだった。

それから数日後。

その机を使っていたクラスメイトが…死んだ。

家で急死した、と教師は言っていた。

私は、そのクラスメイト別段仲が良かったわけではなく、驚きはあったが、然程悲しみを感じる事は無かった。

そういえば、朝のホームルームで教師がクラスメイトの死を伝えた際、教室にいた生徒は驚きを隠せずに騒ついていた。

だが、何故か夕方には、誰もクラスメイトの死に関する話題を話す事は無かった。

なぜか、私はその状況に、違和感を感じた。

…だが、直ぐに気にならなくなった。そう。まるで、どうでもいいことのように。

数日後。

授業中、急にクラスメイトの男子が黒板に文字を書き始めた。いや。書き殴った、と表現したほうがしっかりくる。手にしたチョークが欠ける事も厭わずに黒板に書き刻まれた文字を、私は凝視する。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

黒い黒板に白い文字で、乱雑に乱暴に、その文字は書かれていた。

私がその文字を見るのは二回目だ。

私は、数日前と同様、その文字に、不快感を感じた。

何かある。私の勘が、そう言っている。あの文字と、先日のクラスメイトの急死は、何か関連性があるのではないか。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】とは、何なのか?

そう思った私は、黒板に文字を書いた男子生徒の観察を始めた。

その日、彼は文字の事を気にする素振りもなく、むしろ忘れているかのように、普通に過ごしていた。

次の日だ。

私の心に、一つの疑問が生じた。

彼は誰だっけ?

彼の名前は何だっけ?

何故か、私はそのクラスメイトの名前が思い出せなかった。

思い出そうと頭の中を整理するが、まるで頭の中に霧がかかったようになり始め、思考が鈍る。私の中の彼に関する記憶が、顔が、姿が、印象が、イメージが、黒く濁ったペンキをぶち撒けられたかのように消えていく。

そのうちに、私がどうして彼の事を思い出そうとしているのか、それすらも記憶の糸が鋏でブツリと断ち切られるように消失する。

そして、私は、ふと気付く。

彼が誰であろうと、どうでもいい。他人なのだから。

彼がどうなろうと、私には関係ない。

私の思考は、そう結論づけた。

数日後。

その彼は、死んだ。

彼の死を聞いても、クラスの誰も、気にしている素振りは無かった。

私の心に、チクリとした違和感が生まれる。だが、すぐにその違和感は、消えさった。

数日後。

休憩中。

クラスメイトの一人が、突然叫びたした。

「ないあるらとほてふ」

そのクラスメイトは、何度もその言葉を叫んでいた。

…あぁ、あの文字は、そう読むのか。そんな事を私は無意識に思う。

私は叫び声を上げたクラスメイトのほうを見た。

…あれは、誰だっけ?

…ま、どうでもいいか。

数日後。そのクラスメイトは学校に来ていない。死んだんだろう。

それを気にする人間は、私も含め周りに誰もいない。

次の日。

登校した私は、席についた。

そして、授業の為にノートを取り出す。

だが、ノートを開いた瞬間。私は息を飲んだ。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

その文字がノートに書き込まれていた。

私の手がノートのページを捲る。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

次のページにも、その文字が刻まれている。私の手は再びページを捲る。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

いくらノートを捲っても、その文字は続く。

薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐…

ノートの全てのページに、その文字が書き込まれている。

誰が書いたのだろうか?

私に書いた記憶はない。

だが、その文字は、確かに私の筆跡だった。

突然。

私は席から立ち上がった。私の意思とは無関係に。

まるで、見えない糸に吊り下げらているかのように、無理矢理立たされたようだった。

その見えない糸が、私の口をこじ開ける。

喉の声帯にまで糸は絡まったかのように、私の意思に反して、声を上げさせようとする。

私の頭に、次に私が口から発するべき言葉が思い浮かぶ。あの言葉。忌むべき言葉。

嫌だ。言いたくない。私はその糸に、意思に、抗う。だがそれは無駄な抵抗だった。

私の口から、あの忌むべき言葉が叫ばれた。

「ないあるらとほてふ」

と。

私がそう叫んだ直後。

今までクラスの中にあった喧騒が、体動が、消えた。映像を一時停止したかのように、クラスの中の全ての動きと言葉と、音が消えた。

その数秒後。

クラスの誰かが、叫び出す。

「ないあるらとほてふ」

その声に続くように、他の誰かが声を上げる。

「ないあるらとほてふ」

私の右側からも、声がする。

「ないあるらとほてふ」

私の後ろからも、声がする。

「ないあるらとほてふ」

私を囲むクラスの全ての人間から、声がする。

ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ ないあるらとほてふ…。

クラスを支配するその叫びを聞きながら、私の中に一つの疑問が生まれた。

私は口を開き、その疑問をつぶやいた。

「私…、誰だっけ…?」

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