俺は昔、24時間営業の喫茶店でバイトしてたんだが、その店では本当にいろんな事があったんだ。
数え切れないくらいの……その中でも特に、店の常連客でもある、通称メロンちゃん(メロンソーダばかり頼む彼女に対し、バイト仲間達が勝手につけたあだ名)という女の子が絡むと、本当に怖い体験をする事が多々あった。
今からその一部を話したいと思う。が、今回話す事は、おそらく誰も信じないだろう。
それぐらい、今思い返しても、リアルとはあまりにも掛け離れた話だからだ。
信じる信じないはいい。俺の気が済めば良い、それだけ。
それでも良ければ、最後まで付き合ってくれ。
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その日テレビでは、真夏の最高気温を更新したと、何ともあり難くないニュースが流れていた。
そんな嘆きたくなるような暑さの中、俺はいつものように、夜間の喫茶店アルバイトに来ていた。
夏休みのせいもあって、やたらと若い連中が多い。
ガハハハ、とおおよそ品の無い笑い声が飛び交い、お世辞にも喫茶店の店内とは思えない印象。
頼むからファミレスにでもいかねえかな。と、頭の中で念じながら、客のオーダーを取って回る俺。
やがて店の中が落ち着きを見せ始めた時だった。
ふと、何か背中に違和感を感じた。見られている。誰に?客に?
「ちょっといいかな……?」
不意に声を掛けられた。振り向くとそこには、30代半ばほどのスーツ姿の男性が2名、俺の背後に立っていた。
20分前くらいに入店した客だ。カフェオレを二杯頼んでカウンターに座っていたのを覚えている。
「はい?どうかされましたか?」
何となく威圧的な印象を受け、俺は持っていたサービストレーを脇に抱えなおし、姿勢を正した。
「こういうものだけど、店長さんいるかな?」
そう言ってスーツの懐から何やら手帳らしきものを取り出し、俺に見せてきた。
「け、警察……?」
「いるんですかいないんですか?」
後ろにいたスーツの男が言い迫ってきた。
前に居る眼鏡のスーツの男よりも、更に威圧的な態度だ。
言葉は丁寧だが、声からなんらかの圧力を感じる。
とりあえずここは素直にいう事を聞くしかない。
「店長は、」
店長は、居る。
実は末締めの書類整理のため、今、事務室の中でPCと格闘している最中だ。
俺は厨房に居る相方に事情を説明し、二人の男を事務室へと案内した。
すると二人の男はさも当たり前のように俺の脇をすり抜け、半ば強引に事務室へと入っていった。
唖然とする俺。
どうしたもんかと考えても仕方がない。しょうがなしと、俺は店内に戻った。
ふと店内に目をやる。カウンターのすぐ前のテーブル席に、見知らぬ男性が座っていた。
どうやら俺が警察官を事務室に案内している間に来た客のようだ。
やばいやばい、トレーを手に取り、急ぎ足でテーブに向かう。
「た、大変お待たせしました。ご注文は?」
が、
「……」
男性は何も答えない。それどころか無反応と言ってもいい。
やばい、怒らせたか?
俺は男性の脇に立つと、たいして嬉しくもないであろう、ぎこちない笑顔を向けた。
無視だ。まあ当たり前か。
「えと、お客様……?」
再度声を掛けた、その時だった。
「ごめん、親父。本当に……ごめん。黒くなっちまった、何もかも、本当にごめん」
一瞬ぞっとするような、低い押しこもったような声だった。
表情は変えず、目線は前を注視したまま、何よりもこの男、
さっきから瞬き一つしていない。
やばいなこれは……
この店には超がつく怪しい客がよく来店する。
なぜかは分からない。
ここは留まり易いだとか、霊道かもだとか、そんな事を前に言われた事もある。
「ご、ご注文がお決まりになりましたら、ま、またお呼び下さい」
俺はそう言い残し、すばやくその場を離れる。
「はぁっ、はぁっ……」
俺はカウンターに戻ると、荒くなった息を整えた。
「何か、あったんですか……?」
斜め向かい側、店内の一番隅にあるテーブルから、聞きなれた女の子の声が聞こえた。
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出たな超がつく怪しい客。
俺は頭の中で悪態つきながら、声の方に振り返った。
ゆるふわな髪に、首に下げたヘッドフォン、大きな眼鏡の中からは、これまた大きな瞳が俺をジッと見ている。
一見幼い顔立ちをしているが、よく見ると美人だ。愛想は皆無だが。
そんな彼女は、この店の深夜帯の常連客、通称メロンちゃんだ。
メロンソーダばかり頼むため、バイト仲間の間ではそう呼ばれている。
が、俺にとっては鬼門中の鬼門。
過去、この子に関わって、俺はこの店でいろんな体験をした。
主に説明の付かないような事ばかり。
はっきり言おう。この子が絡むとろくでもない事ばかりなのだ。
が、それでも彼女はこの店のお得意さんだ。
店の顔を潰す様なマネはできない。
「な、何がって?」
ぎこちない笑顔を向けて返事を返す。
「気持ち悪いです」
ほっとけ。
「え、と俺、仕事に戻らないと」
そう言ってカウンターを離れようとした時だった。
「あれは、あまり良くないですよ。気をつけて……」
「えっ?」
なんだ今の言葉は?そう思いメロンちゃんを見るが彼女は既に、テーブルに置かれたノートPCで何やら作業を始めていた。
俺は直ぐに彼女が言ったアレ、という言葉を思い出し、カウンター前のテーブル席に目をやった。
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が、次の瞬間、首に何か冷たい物を押し当てられたかのように、俺は肩をビクリと震わせた。手足から血の気が引いていく。
テーブルには、誰も居なかった。
始めからそこには、何もいなかったかのように。
「ご協力感謝しました」
突然の声に振り向くと、そこにはさっきのスーツの男達がいた。
手には紙袋をぶら下げ、軽く会釈した後に、店を出て行った。
「中尾君?」
俺を呼ぶ店長の声。見ると事務所から体半分を出して、こちらに手招きしている。
おそらくさっきの件についてだろう、俺は呼ばれるまま事務所へと向かった。
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中に入ると予想通り、店長の用件は、先ほどの男たちの事だった。
正式な捜査依頼があり、店内の監視カメラの記録を提供してほしいとの事だったらしい。
しかし問題はここからだ、何と事件の事は一切明かせない、しかもこの事は他言するなと、念書のようなものも書かされたというのだ。
というか店長、既に俺に他言しているんだが……
ともかく、今後またあの二人が来る可能性もあるという事で気をつけておいてくれと、店長から頼まれた。
と、言われても何に気をつければいいんだ?とも思ったが、とりあえず適当に返事を返し、俺はその場を後にした。
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やがて朝を迎え、俺は家に帰宅した。
何だか長い夜だった。
変な刑事は現れるし、見ちゃいけないものまで見てしまった。
おかげで頭の中はぐちゃぐちゃだ。
俺はシャワーを浴び缶ビールを1本開けると、これ以上何も考えたくないのもあって、直ぐにベッドにダイブした。
意識がまどろんでゆく。
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灰色の空に、黒煙が立ち昇る。
どこか陰鬱な風景。
人々は手に武器を持ち、口々に何か叫んでいるのだが、何も聞こえない。
若い男が火のついたビンを投げ、地面に落ちた瞬間、辺りが炎に包まれる。
燃え盛る人々。必死に火を消そうとする仲間たちに、武器を持った人たちが容赦なく襲い掛かる。
場面がかわる。
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黒い、辺り一面が黒い。
洞窟のようなとこを抜ける。人が一人立っていた。男だ。顔がハッキリしない。
俺に向かって何か叫んでいる。
男は怒っている。俺は、男にゆっくりと手を伸ばした……
場面がかわる。
暗い部屋の床に扉があった。
重々しい鉄の扉。
その扉の前に、壷が置かれている。
壷に近づき、中を覗き込む。
次の瞬間、
うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!
「うわぁっ!?」
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俺はそこで飛び起きた。
夢?
ベッドからフラフラと立ち上がると、冷蔵庫にあったペットボトルの水を取り出し、一気にのどに流し込んだ。
器官に入り咳き込むが、構わず水を流し込む。
全部飲み干して一息つくと、俺は冷蔵庫の前にそのまま座り込んだ。
夢の中、仄暗い部屋の中にあった壷。あれは、
あれは何だ?俺は何を見た?
思い出せない。思い出そうとすると激しく頭が痛む。
「つぅ……最悪」
俺はこめかみを押さえながらのそりと起き上がると、よろよろとした足取りで部屋に戻り、
そのままベッドに倒れこむようにして、再び深い眠りについた。
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「で、起きたら頭痛はするわで最悪だった」
「ふ~ん。変な夢だね~」
翌日、俺はいつも通りバイトに来ていた。
昨日とうってかわって客も少なく、暇を持て余していた俺は、何となく昼間見た夢について、
厨房にいる相方に話をしていた。
「それさ、学生運動とかじゃない?」
「学生運動……?」
「そうそう、知らない?昔、」
「あ、いや、一応知ってるけど……待てよ、確かに、夢で見た奴らの服装とかそんな感じだったな……」
学生運動とは、時代や個別学校によって様々なものがあるが、代表的なものとして、反戦運動、学費値上げ反対運動、学生会館の自治要求など、活動家と呼ばれた生徒を中心に行われていた運動だ。
演説やビラ配りといった地味なものが主だったが、確か1960年頃だったと思う。
東大で、警察と学生が衝突するという事件があった。警察の忠告を無視し、違法なデモを行ったというのが原因らしい。
そこで、当時活動家だったとある女性が、機動隊ともみ合いになった際、死亡してしまうという痛ましい事件が起こった。
彼女の死は日本中に知れ渡り、多くの学生運動の着火剤となってしまった。
とまあ、ここまでが、俺が大学で習った大方のあらすじだ。
相方が言うように、確かに昨晩夢で見た奴らは、どこか古臭い服装だった。
ヘルメットを被って、口元にはハンカチを巻いていたり。
じゃああれは学生運動?確かに、学生運動も末期になると、火炎瓶などを使った、もはやテロ事件のような暴動もあったと聞く。
思い返せば返すほど、納得できる場面が多々あったような気がする。
「中尾君、そういうオカルトっぽい話好きなんだね」
「えっ?オカルト?あ、いや、俺は別に、」
「いや、実は僕もね、オカルトとか大好きなんだよ。まあ主に僕の場合は呪い専門だけど」
「呪い専門?」
何だか怪しい話になってきた。まさかバイトの相方がオカルトマニアだったとは。
しかも呪いってなんだ呪いって。
「例えば一人かくれんぼ。本来は降霊術や呪術などの儀式みたいなモノらしいんだけど、浮幽霊など成仏できずにいる霊は実体を欲しがるから、呼び寄せて人形に乗り移らせる。そうすることによって霊とコンタクトを取るといった方法らしいんだ。ただ、失敗すると呪われちゃうんだなこれが」
そう言ってニヤリと口元を歪める相方。俺の営業スマイル並みに気持ち悪い。
「後は蟲毒とかね。これは気持ち悪いよ~。壷を用意してさ、その中に毒蟲や毒蛇なんかを入れて共食いさせるんだ。そして生き残った毒蟲を使って呪術を行うと、相手を呪い殺せるんだってさ。犬神っていう呪術もこれに似ててね、土佐の方ではこの犬神の儀式を……」
「あ、客だ、じゃな」
俺はそれだけ言って会い方の話を打ち切り、店内に戻った。
もちろん客など来ていない。あれ以上オカルト話につき合わされるのはまっぴらごめんだ。
オカルトはメロンちゃんだけで十分。
「店員さん」
「わっ!」
店内に戻った瞬間に声を掛けられた。しかもメロンちゃんだ。
「あ、いや、すみません。な、何ですか?」
動揺しながら返事を返す。
「お客さん、来てますよ……」
「えっ?」
メロンちゃんに言われ店内を見回す。客はメロンちゃんしかいなかったはずだが。
慌てて店内を見渡すと、居た。しかも、客は昨日の……
背筋に悪寒を感じながら、カウンター前のテーブルに近づき恐る恐る確認する。
違う、昨日の男じゃない。
が、どことなく昨日の突然現れた男に似ている気もする。いや、雰囲気だけかもしれない。
長い髪に冷たい目、灰色に濁ったような瞳をしている。
「あ、あの、ご注文を……」
「……」
男は俺の呼びかけには何も答えなかった。昨日と同じだ。
まさかこの男も……
カラカラン、
急にドアベルが鳴った。
ドアに視線を向ける。
あれは、昨日の警察官?
スーツ姿の男達。昨日の二人の他に、今度は年配のスーツの男が一人増えている。
しかし今はそれどころじゃ、視線をテーブルに戻した。
「えっ!?」
居ない。目の前にいたはずの男が……もう勘弁してくれ。
眩暈がしそうだった。
昨日の男といい今の男といい、そしてこんな時間に現れる警察官といい……
「中尾、優樹君だね?」
近づいてくる警察官の男達。先頭に立つ年配の男が、なぜか俺の名前を呼んだ。
な、何で俺の名前を?
「は、はい」
さっきの男の件もあり、俺は少し上擦った声で返事を返した。
「緊張しなくて良いよ。質問に答えてさえしてくれれば悪くはしないから。少し事務所で話そうか」
年配の男が諭すように俺に言った。
「あ、店長に電話するんで、ちょっと待って、」
俺がそこまで言いかけると、
「いや、今日は店長にではなく、君に会いに来たんだよ。いいかな?」
俺に?俺に用って、警察が?
動揺する俺の背後に、昨日のスーツの男二人が、逃げ道を塞ぐようにして立っている。
年配の男は手を事務所に向け、どうぞ、と言った感じで俺にジェスチャーを送ってきた。
俺は何も言えないまま、事務所の中へと移動するしかなかった。
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事務所の中に入ると、俺は一番奥のソファーに座らされた。そして向かい側に年配の男が座り、事務所の中の入り口に一人、外にもう一人が待機した。
何だこの布陣は。明らかに俺が逃げないように警戒している。
何もやってないぞ俺は。
いや、この前バイクでスピード違反した時の?あ、まさか一時停止してなかったやつか?
「すまないねこんな時間に。ただ、この時間帯の方が君にも会いやすいし、人目も引きにくいから都合よくってね」
年配の男はそう言って目元の皺を細めた。
歳のほうは60に近い感じだ。
優しそうな印象だが、目は笑っていない。
「あまり時間をとらせるのも何だし、単刀直入に聞くとしようかな」
年配の男がそう言うと、入り口に立っていた男が、一枚の拡大された写真のようなものを、年配の男に手渡した。
「実は、我々が今追っている男が、この店に出入りしているという情報を入手してね。昨日お店の店長さんに、捜査以来の協力をお願いしたんだよ」
俺はそこまで聞いて黙ったまま頷いて見せた。
「ここ一ヶ月分の監視カメラの映像をお貸し頂いてね、記録映像の解析を行ったんだが、その結果にちょっとおかしな映像を発見してね」
「おかしな映像……ですか?」
気になり聞き返す。すると年配の男は頷き、持っていた写真を俺に見せてきた。
「映像の一部だ。コレ、中尾君、だよね?」
カラー写真だ。店の店内で、トレーを持って注文を聞いている俺の姿と、テーブルに座る男が一人写っている。
これは……昨日の男だ。わけの分からない事を言った後、煙のように掻き消えた男。
「は、はい、間違いありません」
「ふむ、では、このテーブルにいる男なんだが、この男で間違いないかな?」
年配の男はそう言うと、スーツの懐から、一枚の写真を取り出した。
写真は、隅の方が茶色く変色し所々擦り切れている。かなり古い写真のようだ。
しかも白黒の写真。
男の上半身姿が写っている。
これは……昨日のあの男だ、間違いない。
服装まで同じ。しかも、男の後ろにはもう一人、誰か写っている。
写真に目を凝らす。
驚いた。さっきの男だ。
スーツの男達が来る前、店に姿を現した、もう一人の、髪の長い、冷たい目をした男。
それにしても、何でこの二人の男の写真を警察が?
突然の事に頭が混乱しそうになる。それを察してか、年配の男は俺に手の平を向けて制止を促してきた。
「落ち着いて。君が昨日出会った男は、この男で間違いないんだね?」
年配の男が繰り返すように聞き返してきた。
「は、はい。この男です」
俺がそう言った瞬間、
「嘘をつくな!その男はもうとっくに死んでるんだぞ!でたらめを言うな!!」
突如入り口にいた、威圧的な態度を取っていた男が、怒鳴り声を上げながら俺の側までやってきた。
「西崎っ!!」
年配の男が突然一喝。俺は椅子から飛び上がりそうになったが、西崎と呼ばれた威圧的な男は、ビクリと肩を震わせ、年配の男に頭を深々と下げてから、元の位置にそそくさと戻っていった。
俺も椅子に座りなおす。
いや、それよりもさっきの西崎って男が言ったこと、あれはなんだ?何で警察は、死人なんかを追っているんだ……
「いやあ申し訳ない、あいつもまだ若くてね。うちの課に配属されたばかりで、まだ不慣れなんだ、許して欲しい」
そう言って年配の男が頭を下げる。
「い、いえ。あの。それより死んでるって……?」
俺がそう聞くと、年配の男は罰の悪そうな顔で困った顔をすると、観念したかのような顔を俺に向けた。
「これは、他言無用に願いますよ。まあ後で念書は書いてもらいますがね。実はその男、革マル派の一員でね。我々がマークしていた男なんですよ。が、1969年、ある事件をきっかけに行方不明になり、家族からも死亡届が出されている始末でね。当時奴は22歳、もし生きていれば、今頃私と同じ皺くちゃな爺さんだ、ははは」
頭をかきながら、年配の男はそう言って軽く笑って見せた。
当時22歳、ならもし生きていたら68歳か、
「はあ、すまないね。こんな馬鹿げた話につき合わせて」
「えっ?」
「いや、死んだはずの人間が生きていたって言うのなら、我々も捜査のし甲斐があるんだがね。残念だが、これは何かのイタズラとしか判断のしようがない。まあ、情報が寄せられる限り、我々も捜査しないといけない立場でね」
「そ、そうですか、でもイタズラっていうか、俺が見たのは……」
どう返事を返していいのかも分からず、俺は困惑しながら言った。
「君は何も見なかった……」
「えっ?何を、」
俺が言いかけて、
「この記録映像も、我々が然るべき形で処分させてもらう。君は何も見なかった、いいね?」
俺の言葉を遮る様に、年配の男は言った。先ほどの人の良さそうなおじさんといった印象はそこにはなく、一人の警察官としての凄みと、何事もねじ伏せてしまいそうな威圧感を放っている。
「は、はい……」
居心地の悪さを急激に感じ、早く開放されたいと願うばかりに、俺はすぐに返事を返した。
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その後、俺は念書のような書類を書かされ、そこにサインさせられた。
書類には、公安二課と書かれていたが、俺は四の五の考えるのをやめ、年配の男の言うまま素直に従った。
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やがて取調べのような空間から開放され、スーツの男達は、軽く会釈しただけで、店を出て行った。
「ねえ」
男達が出て行くのを確認し、入り口から引き返した時だった。
店の隅から声を掛けられた。いつものダウナーな声、メロンちゃんだ。
「お客様だよ……」
メロンちゃんの声でそう聴いた瞬間、俺の頭の中は一気に、沸点に達した。
メロンちゃんに返事は返さず、その場で踵を返すと、カウンター前のテーブルへと向かった。
居た。昨日のあの男。先ほどまでスーツの男達が追いかけていたという、死んだはずのあの男だ。
テーブルのすぐ横に立つと、男を見下ろすようにして、俺は口を開いた。
「何なんだあんたは……何で出てくるんだ……何で俺の前に出て来るんだよ!!」
声を出す度に、言い知れぬ怒りが込み上げてくる。
が、そんな俺にすら、男は当たり前のように何も答えようとはしない。
ぶん殴ってやりたい、今すぐこの男を。
恐怖などそこにはもうなかった。
あるのは、訳の分からない事に俺を巻き込んだ、この男に対する怒りだけ。
「聞こえないの?」
「えっ?」
突然の声に振り向くと、そこにはメロンちゃんが立っていた。
困惑する俺を余所に、メロンちゃんはテーブルに座る男の正面側に、当たり前のように腰掛けた。
「そう、見つけて欲しいんだ。あいつより先に」
何を言っている?いや、この男と、メロンちゃんは会話をしているのか?
俺には聞こえない言葉を、この男と交わしているのか?
「この人に見つけて欲しいの……?」
メロンちゃんがそう言った時だった。
今まで何も言わず、瞬きすらしなかった男の体が動いた。
頭だけを僅かに下げたのだ。今のは、頷いたのか?
「大変な事を、大変な事をしてしまった……取り返しのつかない、取り返しのつかない事をしてしまった。あれを、あれを見つけてくれ……あいつより先に……黒い、黒いあの場所に、俺の思い出の場所に……」
精気のない、消え入りそうな声で男は言った。
「あいつって、あの人のことですか……?」
メロンちゃんがそう言うと、男はまたもや頭だけをゆっくりと下げ頷いた。
「おーい、何かあったの?」
突如、カウンター越しに声が聞こえた。振り向くと相方が耳からイヤホンを抜きながら、厨房から姿を現した。
「い、いや、何もない」
俺は急いでそう返事を返すと、相方は怪訝そうな顔をしながら、再び厨房へと戻っていった。
テーブルに振り返ると、男の姿はもうそこにはなかった。居るのはメロンちゃんだけ。
「消えた……まじで意味わかんねえ。俺に何探せって……あいつより先にってなんだよ……くそっ!」
半ば切れ気味に言う俺に、メロンちゃんは微動だにせず顔だけをこちらに向けた、そして、
「あいつって、さっきの男ですよ。スーツの男の人たちが来る前に現れた人……」
メロンちゃんに言われ、俺はその男の事を思い出した。……先ほどの白黒写真に写っていたもう一人の男、いや、亡霊か。
髪の長い、冷たそうな目をした男。あれが、さっきの男が言っていた、あいつ、なのか?
「じゃあ何か?俺は亡霊同士の揉め事に巻き込まれたって事か?」
俺は呆れつつも、もはや投げやりな気分でメロンちゃんに言った。が、
次のメロンちゃんの言葉で、俺は全身の血が凍りつくような感覚に襲われた。
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「あれは、何なんでしょう。少なくとも、幽霊なんかじゃありません」
「はっ?」
「私、あれが幽霊だなんて一言も言ってませんよ。ただ、あれが生きている人間とも思えません」
何だそれ……
全身から力が抜けていくような感覚と同時に、波のように押し寄せてくる不安に、俺はよろめきそうになった。
「あれ、人間なのかな……関わらないほうがいいです。たぶん、私たちには、手に負えないと思う」
メロンちゃんはそう言うと、代金をテーブルに置き店を出て行った。
俺はその後ろ姿を、ただただ愕然とした気持ちで見送るしかなかった。
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バイトを終え帰宅した俺は、ベッドに沈み込むようにして眠った。
そして、夢を見た。
昨日見た夢だ。
人が炎に包まれる。
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やがて場面はかわり、暗い洞窟のような場所、中には男が居た。怒っている。
俺はそいつの首に手を伸ばす。そいつは首を絞められ、苦しむ表情を見せた。
そいつの顔が鮮明になっていく、そいつは、
そいつの顔は、
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俺だった。
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話は以上ではない。この後、俺は一生トラウマになるような体験をしたのだが、
今回は、少しだけ気が晴れたから、ここまでにさせてもらう。
長く付き合ってくれてありがとう。
もしこの続きを知りたいと思う人がいるのなら、その時はまた、続きを書こうと思う。
正直こんな話、誰も信じないと思う。
ただ、決して気持ちの良い話ではないのは確かだ。
不快で陰惨な、人間の隠れた本性と対峙するような、そんな話になると思う。
それでも良ければ……また。
作者コオリノ
red purgeとは、連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーの指令により、日本共産党員とシンパ(同調者)が公職追放された動きに関連して、その前後の期間に、公務員や民間企業において、「日本共産党員とその支持者」とした人々を解雇した動きを指す。
1万を超える人々が失職し、「赤狩り」とも呼ばれた。
この話は一旦終わります。
反響あれば、またいずれ。
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