長編17
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【夏風ノイズ】夜祭後の

 夏に溺れている。

火照った頬を、夏風が撫でる。彼女は、どんな顔をしているのだろうか。

ドンッ!

花火の音が夜空に響く。彼女の方を見ると、彼女もこちらを見ていた。

「ねぇ。」

彼女が言う。

「ん?」

俺は短く答えた。

「抱きしめて、いい?」

少し照れた表情で、彼女は言った。俺も少し照れる。

「うん・・・。」

彼女の温度が伝わってくる。お互い、汗をかいているはずだが、彼女からはほんのりと甘い香りがする。同じようだが、どこか違う愛を、ずっと前にも感じたことのあるような気がする。このあと、どうすればいいのだろう・・・。

「はいは~い、おしまい!それ以上いくとベッドでイチャラブハァハァなんてことになっちゃいそうで怖いわ~・・・!」

「っ・・・!何言ってんすか十六夜さん!」

照れ隠しに、少し大きめの声を出した。そうだ、十六夜さんたちが居たことを忘れかけていた。となりでは露もニヤニヤしている。

鈴那は顔を赤くして俯いている。余程恥ずかしかったのだろう。俺まで更に恥ずかしくなってくる。

七月末の最後に、俺と露、鈴那は夏祭りへ行き、途中で十六夜さんと会い、そこで露が十六夜さんと行動することになった。その後、俺と鈴那は二人になり、恋仲となった。これまでの出来事を超簡単に纏めると、そういうことになる。

「ところで、お二人さんはもうお祭りは楽しんだ?ゼロくんから連絡があったのだけれど・・・。」

十六夜さんが申し訳なさそうに言った。ゼロとは、俺と鈴那より一つ年下の呪術師である。ちなみにゼロというのはあだ名で、本名は神原零という。

「ゼロが、何かあったんですか?」

俺がそう訊くと、十六夜さんは難しい顔をしてこう言った。

「実はね、あの子、今お祭り関係のお仕事してるのだけれど、ちょっと人手不足らしいの。だから、お二人に手伝ってほしいのよ。できるかしら?」

祭り関係の仕事?お祓いじゃないのか?と思ったが、それを読み取ったかのように十六夜さんが教えてくれた。

「ごめん、説明不足だったわ。お祭り時のお祓い。ほら、夏祭りと怪異は紙一重でしょ?よくあるじゃない、お祭りの怪談。」

確かに、夏祭りに関する怪談は多い。だが、本当だったのか。

「人がたくさん集まる場所には霊や妖怪も集まりやすい。そういうものね。」

鈴那が独り言のように言った。やはりその表情は、どこか悲しそうだった。

「鈴那、行くか?」

と、俺は少し俯き気味の鈴那に訊ねた。

「うん、ゼロの頼みなら行こ。」

彼女は笑顔で答えてくれた。

「決まりね。それじゃ、行きましょう。」

俺たちは十六夜さんに連れられ、ゼロの元へ行くことになった。

「で、なんで露も一緒なんだ?」

「いいじゃないですか~、仲間に入れてください♪」

「え・・・いや、大丈夫なのか?」

不安だ。不安しかない。なにかあったときに対処できないからという理由もあるが、血はつながっていなくても俺の妹だ。心配するに決まっている。

「大丈夫よ、私がついてるんだもの~。」

俺が不安げな表情を浮かべていると、十六夜さんが笑顔でそう言った。まぁ、この人がいれば大丈夫かもしれない。あ、人じゃなかったんだっけ。

「それなら・・・わかりました。」

「ひひっ、しぐったらシスコン全開。」

隣を歩いている鈴那が茶化してきた。

「う・・・良いよ別にシスコンで。」

「ありゃ、珍しく開き直った。」

もうなんと言われようが構わない。今なら何でも許してしまえる気分だ。

「あ、しぐるさん。」

不意に呼ばれたので、声のしたほうを見ると、一本の木に寄り掛かったゼロがいた。

「ゼロ、何してるんだ?」

「何してるって、待ってたんですよしぐるさんたちを。」

「そりゃそうだけど、俺たちは何をすればいい?」

お祓いをするとは聞いたが、詳しくなにをするかはまだ聞いていない。

「説明は移動しながらします。まずは行きましょう。」

ゼロはそう言って、俺たちを目的地まで誘導し始めた。露が同行していることには触れなかったが、十六夜さんが前もって伝えておいたのだろうか?

「ねぇねぇゼロ、今年も去年と同じアレやるの?」

鈴那がゼロに問いかけた。去年?毎年やっていることなのだろうか。

「そうですけど、今年は去年と少し・・・いや、結構イレギュラーでして。」

「なぁ、アレって何なんだ?」

俺が訊くと、ゼロが説明をしてくれた。

「人々が賑わう祭りの裏で、人ならぬモノたちの祭りが開かれているんです。年に数回あるんですが、夏の祭りが一番盛大でしてね。」

裏でそんなものがあったとは、そういえば、そんな怪談も読んだことがある。自分がその世界に入り込んだようで、少しワクワクする。ゼロは話を続けた。

「封印の儀式があるんですよ、夏の祭りは。年に一度、この時期にバケモノの封印が解けるんです。それをもう一度封じ込める儀式を毎年手伝っているんですが、聞いたところによると、どうも今年はいつもと違うらしくて。なので、しぐるさんと鈴那さんにも手伝っていただこうと思ったんです。急に呼び出してしまってすみません。折角いい雰囲気になっていたところを・・・。」

既にゼロにも話がいっていたのか。少し恥ずかしい。

「あ、いやぁ・・・っていうかさ、お前どうやってそういう情報収集してるの?」

「へっへっへ~。腕のいい情報屋がいるんですよ。今度しぐるさんともお話する機会があると思います。」

「なるほど。じゃあ、今回のお祓いの情報もその人から?」

「はい、そうです。あ、もうすぐ着くので、みなさんこれを着けてください。」

ゼロはそう言うと、俺たちに狐やら烏やらの面を差し出してきた。

「これは?」

俺は狐の面を受け取りながらゼロに訊ねた。

「今から僕らが行くのは、人ならぬモノたちの祭りです。これ被ってないと喰われますよ。」

喰われる。それを聞いてゾクリとした。そんなに恐ろしいところへ行くのか。

「ちゃんとお面付けてれば大丈夫ですよ。こうやって。」

ゼロはそう言って、何だかわからないものの面を着けた。蛇だろうか。

「わかった。これなら喰われないんだな。」

俺は受け取った狐の面を着けた。ちなみに鈴那は烏の面で、露と十六夜さんは筆で文字の書かれた紙の面で目の辺りだけを隠している。なぜ十六夜さんは妖怪なのに面を着けるのかと疑問に思ったが、そこには触れないでおいた。

少し歩くと、微かに祭囃子のような音が聞こえてきた。

「そろそろですよ。心の準備はいいですか?」

そう言うゼロの顔は、少し楽しそうだった。

「おっけ~い」と鈴那。

「うん」と俺。

露と十六夜さんは、声を揃えて「はーい」と言っている。すっかり意気投合してるな。

「じゃあ、行きましょう。」

俺たちは眩しく夜を盛り上げる光と喧騒の中へ入っていった。

・・・

騒々しい。眩しい。いい匂い。様々な情報が入り混じる。混沌とした世界だ。

「このまま真っすぐ進めば目的地です。屋台とか並んでますが、無視してもらって結構ですから。」

ゼロは俺たちの方を見てそう言った。左右に陳列する露店を見てみると、皆が面を着けている。その中には人型の者もいたが、多肢の者、下半身が蜘蛛や蛇の者など、明らかに人ではないモノが混ざっていた。そんな現実離れしたものを目にして、少し怖くなる。そういえば、露は怖くないのだろうか。さり気なく露を見てみたが、至って平然としている。十六夜さんと手を繋いでいるので、安心感はあるのかもしれない。だが、露は前から霊的なものにあまり恐怖心を抱いたりはしなかった。なぜかはわからないが、まぁ、怖くないのならそれでいい。

「あっ。」

不意に、ゼロが誰かを見付けたようで短く声を出した。彼の目線を辿ると、そこには赤い狐の面を被り、朝顔だか昼顔だかの着物を着た女性がいた。すると、向こうもこちらに気付いたようで小さく手を振っている。

「市松さん、もういらしてたのですか。」とゼロ。

市松と呼ばれる女性はコクリと頷き「ええ、お久しぶりです。」と言った。

すると、ゼロがその女性についてのことを簡単に説明してくれた。

「この方は市松さん。祓い屋さんで、トレードマークはその赤い狐のお面です。」

ということは、常にその面を身に着けているということか。変わった人だ。

「さぁ、少し早いですが行きましょうか。」

市松さんはそう言って歩き始めた。ゼロはそのすぐ後に続き、彼女と楽しそうに話している。俺たちもその後をつけた。

しばらく歩くと辺りに露店は見えなくなり、気付けば山を登っていた。さっきまでの喧騒が嘘のように木々の間をすり抜ける風の音だけが聞こえてくる。その音に微量の懐かしさを感じながら歩いていると、急に道が開けた。

そこは広場のようで、中心地点には池があり、その周りを縄で囲ってある。あそこに例のモノが現れるのだろうか。そして、その付近には和服を着た人が三人おり、一人はまだ子供のようだ。ゼロによると、今日一緒に封印の儀式をする仕事仲間だそうだ。

「さぁ、お面を着けるのはここまでで結構です。外さなくても構いませんが。」

ゼロがそう言うと、皆が一斉に面を外した。それに続いて俺も外す。確かに、これを着けていると暑い。面を外した途端、視界が開けた。

ゼロと市松さんを先頭に池の近くまで行くと、三人のうち一人の男がゼロの名前を呼んだ。

「ゼロくん、来たね。」

その男は俺と同じ歳ぐらいに見えたが、それにしてはやけに落ち着いており、左目がカラコン?義眼なのだろうか?瑠璃色をしている。

「昴さんこんばんは。お久しぶりですね。」

すばる?どこかで聞いた名前だ。その昴という男はゼロと軽い挨拶を交わした後、直ぐに俺の方を見た。

「君が、雨宮しぐるくん?」

「あ、は、はい。」

年上なのか?とりあえず敬語を使ってみる。そんなことより、なぜ俺の名はこんなに知られているのだろうか。有名人か何かなのか?

そんなことを考えていると、ゼロがクスッと笑ってこう言った。

「しぐるさん、この人は北上昴さんです。しぐるさんと同級生ですよ。この前、話しませんでしたっけ?」

「あ、思い出した!」

そういえば以前、北上昴という義眼の呪術師の名前をゼロから聞いたことがある。なんだ、同級生だったのか。ゼロはあとの二人の紹介を始めた。

「それで、こちらの男性が藤堂右京さん、こっちの女の子が蛍ちゃんです。」

右京という背の高い男性は、俺を見るとへへっと笑った。

「よろしく、しぐちゃん。右京さんとでも呼んでくれや。」

「どうも、よろしくです。」

なんか、名前に似合わずチャラい人だ。髪は金髪だし。もう一人のピンクの浴衣を着たおかっぱの女の子、蛍ちゃんは、右京さんの後ろからひょっこりと顔を出している。あまり積極的では無さそうな子だ。。

「・・・んばんは。」

挨拶はしてくれたが、少し睨まれているような気がする。嫌われているのか?すると、右京さんは蛍ちゃんの頭を撫でて笑いながらこう言った。

「アッハハ、この子人と話すの苦手でさぁ。目付き悪いのは元からだから、勘弁して。」

「お二人は、どういったご関係で?」

「親子だよ。蛍はオレの娘。かわいいだろ~。」

「親子って!?右京さん、お幾つなんですか?」

「三十四歳だよ。ちなみに嫁は看護師~。」

三十四か・・・それにしては若く見えた。正直、嫁さんの紹介は要らなかったが。その後も、皆で少し駄弁っていた。俺と露以外は全員知り合いだったが、快く俺たちを歓迎してくれた。露と蛍ちゃん、気付いたら仲良くなってるし。この人たち、変わり者だが、心は温かい。少し嬉しくて、目頭が熱くなるのがわかった。

「さぁ、そろそろ本題へ移りたいのですが、いいですか?」

雑談が一段落ついたとき、ゼロが本題を切り出した。皆がそれに頷く。

「さて、あと十五分ほどで蛛螺(しゅら)の封印が解かれます。既に準備は整っていますが、これから皆さんには、それぞれの役割についてもらいます。」

蛛螺とは、これから再封印をするバケモノのことだろうか。質問をしようと思い口を開きかけた時、ちょうど隣にいた昴が教えてくれた。

「蛛螺っていうのは、クモのような妖怪で、昔からこの地に住み着いていたんだ。人里に下りては農作物を荒らし、夜道を歩く女子供を攫ったりしていたらしい。それに困った人間は、隣町に住む有名な祓い屋に蛛螺の退治を依頼したんだ。祓い屋は自分の他に四人の呪術師を引き連れ、蛛螺の住む山へ入っていった。それからしばらくして、祓い屋たちは山から下りてきてこう言ったらしい。蛛螺はこの山にある池へと封じたが、年に一度、封印の儀式をしなければまたヤツは目覚めてしまう。これから毎年、この日に蛛螺を封じる儀式をする。とね。」

それが陽暦のこの日と重なったわけか。

「なるほど、ありがとう北上。」

「昴でいいよ。どういたしまして。」

北上昴、外見通りいいヤツみたいだ。だが、確かコイツって・・・。

「それでは、役割分担をしましょう。僕、市松さん、昴さん、右京さんで、池の縄の周りを囲み、印を結びます。蛍ちゃんは援護をお願いします。ここまでがいつも通りで、鈴那さんとしぐるさんは、蛍ちゃんと一緒に援護をお願いします。日向子さんは、露ちゃんを守ってあげてください。」

「私、迷惑ではありませんでしたか?」

露が申し訳なさそうに言った。

「大丈夫だよ。日向子さんがいればたぶん最強だから。」

ゼロが笑いながら言った。それを聞いた十六夜さんは、むぅっと頬を膨らませている。

「ちょっとゼロくん、私を怪物みたいに言わないでちょうだい。正直、私より蛛螺のほうが強いわよ。」

「すみませんって、僕たちがすぐ封印してしまうので大丈夫ですよ。さぁ、では皆さん、定位置についてください。」

ゼロの合図で皆が一斉に移動を始めたが、俺にはまだ疑問に思っていることがあった。

「なぁゼロ、その、蛛螺がいつもと違うって、どう違うのかまだ詳しく聞いてないんだけど。」

「あ、そうでした。実は今年、何者かが池に細工を施したらしくて、その影響で蛛螺の妖力が強くなってるんです。どのぐらい強くなってるかは予想できませんが。ごめんなさい、言い忘れてました。」

「なるほど、いや、ありがとう。」

何者かが・・・それは人間なのだろうか。そんなことを考えながら、俺は定位置に着いた。ゼロから時計回りに、市松さん、右京さん、昴の順で、その後ろは、ゼロと市松さんの間に鈴那、右京さんの後ろに蛍ちゃん、昴とゼロの間に俺の順で並んでいる。

「では、始めます。」

ゼロは緊張した口調でそう言うと、呪文のようなものを唱え始め、前列で池を囲む四人の足元が白い光の線で繋がれ、正四角形になった。すると、何の変哲も無かった池が突如泡立ち始め、水面から蜘蛛の足のようなものが出てきた。あれが蛛螺なのだろうか。

「うわっ、あれ去年より大きくねぇ?」

右京さんが驚いたように言った。ゼロが唱える呪文が変わった。少し早口にもなっている。右京さんの後ろでは、蛍ちゃんが何かを自分の周りに飛ばせている。暗い中でうっすらと光るそれは、紙人形だった。彼女は池を囲うようにそれらを浮遊させている。鈴那はというと、自分を囲うように六つのオーブを漂わせている。いつでも攻撃ができるように待機しているのだろう。俺はというと、全く何をしたら良いのかわからずにただ立っているだけだ。そもそも俺は人格が変わってくれないと呪術が使えない。

次は池を囲む四人全員が同じ呪文を唱え始めた。すると忽ち光の柵が現れ、それらが檻を形成し、池を囲んだ。

気付けば、池から蛛螺が全貌を現していた。それは、身体は蜘蛛だが顔はイヌ科の動物のようで、大型ワゴン車程の大きさはあった。蛛螺は檻を壊そうと足掻いている。それを阻止しようと、檻の外から蛍ちゃんの紙人形が押さえつける。が、人形が檻に触れた途端、黒く灰のようになってしまった。

「な、なんで?おかしいよ。」

蛍ちゃんが泣きそうな声で言った。右京さんの呪文を唱える声に少し力が入ったような気がする。

「おかしいですね。檻が溶け始めました。」

そう言ったのは市松さんだった。見ると、確かに檻が溶け始めている。

「なぁ・・・これヤバいんじゃねぇのか?」

右京さんは疲れてきたようで、息切れしている。俺に、俺に出来ることがあればいいのに・・・。

(俺を使えよ、雨宮しぐる。)

声が聞こえた。誰かはわからない。

「誰だ!?」

(俺だよ、もう一人のお前。俺に体を貸せ。)

俺の、もう一つの人格だと?

「ならなんでもいい、早く代わってくれ!お前しか居ねぇんだよ!」

(おっと、随分積極的じゃねーか。わかったよ。)

すると、俺の体は俺の意思通りには動かなくなった。檻は完全に破られ、蛛螺が池から出ようとしている。蛛螺は昴の方を向き、口から蜘蛛の糸のようなものを吐き出した。

「やっぱり僕が狙いだったんだね。」

昴はそれを間一髪かわした。鈴那は蛛螺へと六つのオーブを一気にぶつけた。しかし、蛛螺には傷一つすら付いていない。

「うそっ!マジか!」

鈴那はなぜか笑いながらそう言った。大丈夫だろうか・・・?

「おい蛛螺ぁ!テメエちょっと強くなったからって調子に乗ってんじゃねーぞ!」

そう言ったのは俺だった。蛛螺は俺の方を見た。すると、俺は真正面から蛛螺に突っ込んでいった。何をするつもりなんだ?

「このやろおぉぉぉぉ!!」

「グオォン!グオォン!」

俺の叫びと蛛螺の咆哮が交わった瞬間、俺の目の前に大蛇が現れた。いや、俺の足元から伸びているのだ。大蛇は蛛螺の首根っこへと咬みつき、肉を引き千切ろうとしている。すると蛛螺は首から出血し、池の畔へ倒れこんだ。それと同時に大蛇は消え、俺の体は自由になり、その場にへたり込んだ。。

「皆さん、今です!」

ゼロが叫ぶと、今まで目の前で起きていた出来事に呆然としていた皆がふと我に返り、再封印の体制を立て直した。

今度は四人一斉に呪文を唱え、素早く檻を形成させた。檻は蛛螺を閉じ込め、池から見えない何かが檻を掴んでいるかのようにズルズルと引きずり込まれていく。蛛螺と檻が見えなくなった頃、呪文を唱えるのがゼロ一人だけになった。さっきまでとは違う呪文だ。すると、池を中心に陣のようなものが刻印された。ゼロは呪文を唱えるのをやめ、ふぅとため息を吐くとこう言った。

「念には念を入れておきました。陣でほんの少しだけ封印の質を高めたんです。」

やり切った表情の彼は、両手を組んで伸びをしている。

「今年もお疲れ様でした。なんとか無事に終わりましたね。」

市松さんがゼロに歩み寄りながら言った。

「今年もありがとうございました。それよりしぐるさん、大丈夫ですか?」

ゼロと市松さんが俺に近付いてきた。俺はなんとか立ち上がり、ゼロたちの方へ歩み寄った。

「大丈夫だと思う。何があったんだ?」

俺は自分に起きたことが何なのか理解できず、思わず訊いてしまった。すると、ゼロは神妙な面持ちでこう言った。

「まだ、はっきりは分かりません。でも気を付けてください。」

「気を付けるって、何に?」

「いえ、しぐるさん、ここ数日間で人格の解離が激しくなっているんじゃないですか?」

確かに、そう言われてみればそうだ。特にさっきのは異常だった。もう一人の俺が俺に話しかけてきたのだ。それに解離しているときだって、いつもなら俺の意思は無く、もう一人の俺がすべての主導権を握っている。そして人格が戻った時に、解離中の記憶が流れ込んでくるのだ。しかしその記憶は断片的で、そして客観的である。だが、さっきは違った。体の主導権はもう一人の俺が握っていたが、中には俺の意思が残っており、リアルタイムで記憶を共有することができた。これは、良いことだったのだろうか。それとも・・・。

「みんな~、おつかれさま~!」

そう言いながら、十六夜さんと露が俺たちの方へやってきた。

「旦那様、すごかったですね!あんなことできちゃうなんて!」

露が目を輝かせながら言った。

「あははは、そうだなぁ。」

どう反応したら良いのかわからず、苦笑いになってしまった。

「まぁ、なんとかなってよかったんじゃね?昴も無事みてぇだし。それより蛍~、頑張ったなぁ~!パパ見てたぞ~蛍の活躍!」

右京さんが蛍ちゃんを抱きかかえながら言った。小柄な蛍ちゃんだが、妙に落ち着きがある。何歳なのだろうか?そんなことより、昴は「僕が狙いだったんだね」と言っていた。それはどういう意味なのか?昴の方を見ると、池の近くに座り込んで何かを見ていた。俺は昴に近寄り、あの言葉の意味を聞こうとした。

「なぁ、昴。お前、自分が蛛螺に狙われていること知ってたのか?」

「え?あぁ、うん。ある人が僕を殺そうとしたみたい。ちょっと前までその人のスパイをしてて、取れるだけの情報を盗んだままこっち逃げてきたから、たぶん殺そうとしてたんだと思う。今回、蛛螺に施された細工が、その人の呪にそっくりだったんだ。」

俺はそれを聞いてあることを思い出した。あの雨の日に、ゼロから聞いた話を。

「そのある人って、御影ってヤツか?」

「そう、知っていたんだね。」

やはりそうだったか。御影とは、呪術師の間で要注意人物とされている中年の男だ。俺もそうだが、名前は知っていても、まだ顔を見たことのない人の方が多いらしい。

「昴さん、しぐるさん、そろそろ解散にしましょう。皆さん、お疲れでしょうし。」

ゼロが欠伸をしながら言った。そういえば今何時なのだろう?腕時計を見ると、もうすぐ夜の十時になるところだった。蛍ちゃんも右京さんに抱かれて寝てしまっている。

俺は鈴那の方を見た。彼女は十六夜さんと何かを話していた。俺とゼロと昴以外はもう集まっている。

「鈴那~、お疲れ。」

俺が駆け寄りながらそう言うと、鈴那がこちらを見た。

「しぐ~!からだ大丈夫?そっちこそお疲れさま!」

鈴那はそう言いながら俺に手を振ってきた。俺も手を振り返しながら言葉を返す。

「ああ、なんとか。ありがとう。」

俺が鈴那の前まで来ると、彼女は俺の頬にそっと手を触れさせた。少し、ドキドキする。

「しぐ、ほっぺに泥付いてる。ひひひっ!」

そんなことだろうと思った。実に鈴那らしい。

「あはは、ありがと。」

一応拭き取ってくれたので礼を言った。

「さ、そろそろ帰ろう。蛍も寝ちゃってるし。」

右京さんが寝ている蛍ちゃんに微笑みながら言った。

「そうね、帰りましょ。」

十六夜さんもニコリとわらって言った。露も眠たそうにしている。

ついさっきまで夜空を彩っていた花々はもう消え、静かな夏の夜空が広がっていた。月明りに照らされた木々は、会話をするかのように風で揺れており、少し気味が悪い。だが、それでも、こんな現実離れしたことも、たまにはいいかなと思った。

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 虫や蛙の鳴き声と、微かな風の音だけが聞こえる。前を歩くしぐるさんたちとは少し離れた位置で、隣の昴さんと会話をしている。

「しぐるさんの能力、あれは、僕も初めて見ました。」

「なるほど、それじゃあ、ついに目覚めたってことだね。」

「はい、恐らくは。それで昴さん、しぐるさんに、御影のことは話したんですか?」

「いいや、御影の話はしたけど、例のことは、まだ。」

例のこと・・・それをしぐるさんが知ったら、きっとショックを受けてしまう。だから、まだ話すときではない。今はただ、この環境に慣れて、色々なことを楽しんでほしい。きっと、鈴那さんもそれを望んでいるだろうから。お面越しに満天の星空を見上げ、そんなことを願った。

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