長編9
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現実

笑っていた。

誰かが声もなくニタリと笑っていた。

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光が点滅している。

何色かは分からない。

暗闇が広がる世界。

手の届く範囲には何もない。

只々何色か分からない点が一つ、点いたり消えたりしている。

何故か心は穏やかに静まり返っている。

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此処は、、、、何処だろう?

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底知れぬ仄暗い闇の中で、いつまで経っても闇に目が慣れる事はない。

身体の感覚を確かめる。

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、、、、?

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感覚がない。

地に足が着いているでもなく、かといって浮遊しているわけでもない。

唯それだけ。

それだけしか確認できない。

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波紋一つない澄み切った泉の様な心には、現状の把握など取るに足らない雑念だ。

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まあ良い。

何の問題も無い。

時や場所、そして存在などどうでも良い。

果てしない無。

それで良いのだ。

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しかしそれであればこの光は何だろう、、、、

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点滅する光。

無であればこの光も必要のない不純物。

警告?

警戒?

警報?

俄かに心の中の泉に波紋が広がる。

広がった波紋はやがて波となり、澄み切った泉を淀んだ池の様に変えていく。

心のざわめきは、実体のない世界から私という存在を引きずり出す。

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ヒンヤリと冷たく無機質な物質が頰に触れている。

重力を感じ、自分が今うつ伏せに寝そべっている事に気付く。

光が点滅するたび、闇の中で徐々に周囲の景色が浮かび上がる。

やがて光は鮮やかな赤色を発光し始めた。

さらにはリズミカルな音が聞こえて来る。

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かん、かん、カン、カン、カン、、、、

踏切?

ああ、そうか。

私は今踏切内の線路に寝そべっているのだ。

プァーーー!

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大きなクラクションの様な音が近づいてくる。

同時にライトに照らされ、私の周りの視界は白く霞んでいく。

光に目が眩み瞳を閉じる。

ガーーーーーー!!!

地面を大きな鉄の塊が這いずる音に気付いた瞬間、プツンッ!と意識が断ち切れる。

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ハッと目を覚ます。

遮光カーテンの隙間から陽射しが漏れ出している。

これで何度目だろう。

私は幾度となく電車に引かれる、いや自ら引かれようとする夢に悩まされている。

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一体いつからだろうか。

独りこの地を彷徨う様になって、途方も無い時間の経過を感じる。

実家を出て仕事を見つけ自立し、何不自由の無い生活を送る毎日。

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会社では重役に就き、上層部からは信頼され部下からは羨望の眼差しを受けていた。

欲しい物は殆ど手に入れた。

大抵の事は叶う立場と力があった。

しかし独りなのだ。

独り彷徨っている。

どうしようもなく孤独に苛まれ、放浪する様に人生を生きている。

現実と幻想の狭間で漂う空虚な存在。

それが私だ。

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重い身体を起こし、起き抜けに一杯の水を啜るる。

惰性で支度をし、自宅を後にする。

「おはようございます!」

快活に隣人と挨拶を交わす。

「朝早くから感心ね。

気を付けていってらっしゃい。」

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マンションの隣人は老夫婦が住んでおり、私が自宅から出る時間帯には、婦人がいつも屋内の掃き掃除をしていた。

にこやかな笑顔はこの社会で生きて行く術だ。

人に良く思われ無ければ、自分の存在価値など虫けら以下だ。

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礼儀正しく良い性格で人格を覆い隠す。

それに見合った対価として、周囲の人々が親切にしてくれる。

その繰り返しで自分の存在価値を確かめていないと、自我を保つ事すら出来ない。

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情けない。

生きるのが辛い。

あんなに誓ったのに、、、、

これで終わりにすると。

戒めのため、諦めの人生を背負い歩んで行くと。

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陽射しがジリジリと肌を焼く。

目的の場所までは1キロ弱。

毎日の順路だが、夏になると短い距離でも気が遠くなる程苦痛だ。

十数メートル先のアスファルトは、陽炎で歪んで見える。

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気がつくと滝の様に流れる汗。

慌てて持参した水を啜る。

先日の様に脱水症状で倒れては敵わない。

みっともない姿を晒すわけにはいかないと、必死で職場に辿り着く。

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「あ、おはようございます!今日も暑いですね〜。

さぁ、中は涼しいですよ。

直ぐに冷たい飲み物を用意しますね。」

職場の前で待っていた職員が、元気な挨拶と共に私を建物へ招き入れる。

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「ああ、すまないね。

本当にこの季節はここまで来るのにも一苦労だよ。」

笑顔で答え、建物の中へ入り一息つく。

自らの席に着き早速仕事に取り掛かる。

室内の喧騒を物ともせず作業をすすめる。

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「飲み物、ここに置いておきますね。」

職員が私の邪魔にならない様配慮し声をかけてくる。

「ああ、悪いね、ありがとう。」

そういえば、と職員は続ける。

「今日の午後、お客様が来られるそうですよ。

いつもの方です。」

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一瞬作業の手が止まるが、心の動揺を気取られない様直ぐに返答する。

「そうか、わかったよ。」

どこで調べたのか、私の居場所を嗅ぎつけて付き纏う女。

その客人には、いい加減うんざりしていた。

ため息をつきながら右手を動かしていると、背後から元気の良い男の声がする。

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「おーっす!元気かー!?」

仕事仲間の男はいつもの様に明るく声を掛けてくる。

ヒョコヒョコと歩く姿に似つかわしくない、豪快な挨拶をして来る。

「おはよう!今日も宜しくな。」

笑顔で挨拶をする。

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この男は、人生に悩みなど無いかの様に明るく振る舞う。

彼は私にとって唯一の理解者で、心を開いて何でも話せる悪友の様な存在だ。

付き合いは短いが、仕事場でこの様な関係性を築ける人物は、後にも先にもこの男だけだろうと思っている。

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「今日も来るのか?例の女。

綺麗な人だよなー。」

「そうだよ。

いい加減怒鳴りつけてやろうと思うんだ。

仕事の邪魔になるし、鬱陶しいんだ。

それで来なくなるのなら、あの人にとっても気が楽になるんじゃないかな。」

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眉をひそめ、舌打ちをしながら男の質問に答える。

「そう言うなよ。

命の恩人だろ?彼女がいなかったら、俺とお前は出会ってなかったかもしれたいんだぜ?」

「うーん、、、、」

腑に落ちない態度で、返事とも取れない曖昧な声を漏らす。

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時刻は正午を回り、食堂で昼食を摂りながら男とディスカッションをする。

事業スキームにおけるKPIの進捗確認が必要、、、、

ナレッジマネジメントをチーム全体が理解する必要が、、、、

ビジネス用語を多用し熱心に語り合う。

周囲は相変わらず喧騒に満ちていた。

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昼食を終え席に戻ると、職員が声を掛けて来る。

「お客様がお見えですよ。」

笑顔で応対し、面談室へと移動する。

部屋には黒髪でセミロング、スレンダーなモデル体型の女性が椅子に座っている。

清潔感のある黒いワンピースを着たその客人は、私の顔を見るなりにっこりと笑顔を向けて来る。

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その笑顔に酷く狼狽する。

過去を取り巻く複雑な心境に、気持ちの置きどころがなく、モヤモヤとした感覚。

その女性は私にとって、希望と悲観が交差するアンビバレンスな事象であると逢うたびに感じた。

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「もう来ないでくれないか。

貴女の顔を見る度辛くなる。

これ以上私を苦しめないでくれ。

もう十分だ。

君は命の恩人だ。

それ以上でもそれ以下でもないのだから。」

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私はゆっくりと、相手の心に染み込ませる様に言葉を紡ぐ。

何故ならばこの言葉を何度も伝えているにも関わらず、尚も彼女は毎日の様に訪問を繰り返してくるからだ。

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「私があの時あなたを助けていなかったら、あなたはこんなに苦しまなくて済んだのかも知れない。

想いをまっとうし安寧の世界へ身を委ねるのが、あなたにとっては幸せだったのかも知れない。

そう考えると、居ても立っても居られなくてあなたに逢いに来てしまうのです。」

迷惑なのは百も承知ですと、彼女は更に話す。

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「障がいを負ったあなたに、少しでも人生に希望と幸せを持っていただけるのであれば何でもします。

どうか側にいさせていただけませんか。」

右手しか動かせない私は、彼女の真っ直ぐな瞳を直視する事が出来ない。

身体に合わせた電動車椅子に支えられ、何とか座る事が出来ている。

直視できないのは身体のバランスが取れないからではなく、あの夜起こった事への自責の念からであった。

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、、

、、、

、、、、

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夜の闇と赤い点滅の中、私は踏切内の線路に寝そべっていた。

「何してるんですか!?危ない!」

女の声と共に駆け寄る音、身体を掴まれ揺すられる。

何故?何故助ける?

疑問は一瞬で消し飛び、独りで死のうとしているのに、助けに来たであろう女も道連れには出来ないと考える。

それだけはダメだ。

私は立ち上がり女を踏切の外に連れ出そうとした。

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「私に構うな!放っておいてくれ!」

私の身体にしがみつく女を引き剥がし、突き飛ばす。

女は踏切の外に押し出され尻餅をついていた。

電車は直ぐ近くまで迫っていた。

プァーーー!

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大きなクラクションの様な音が近づいてくる。

同時にライトに照らされ、私の周りの視界は白く霞んでいく。

立ったまま両手を広げ、向かって来る電車に向き直る。

光に目が眩み瞳を閉じた。

ガーーーーーー!!!

地面を物凄い速さで、大きな鉄の塊が這いずる音が聴こえる。

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「駄目ー!」

女の声が再び聞こえ、勢いよく右手が引っ張られた。

脱力していた身体は、平衡感覚を失い勢いよく地面に叩きつけられた。

身体が地面に倒れる際、後頭部に衝撃が走った。

プツンッ!と意識が断ち切れる。

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ーー

ーーー

ーーーー

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気がつくと病院のベットに横たわっていた。

白い天井を眺める。

喉が渇いて、身体を起こそうとする。

身体が動かない、、、、

しばらく経って、脊髄損傷という診断を受けても何とも思わなかった。

どうせ死ぬ身だ。

どうなったって同じだ。

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会社での地位と自らの能力に自惚れ、踊らされた挙句、上司の業務上横領の罪を着せられた。

いわれのない罪で、人生のすべてを失った。

誰からも真実を受け入れて貰えず、家族からも蔑んだ目で縁を切られた。

もう終わり。

人生も終わりにしよう。

自殺は失敗したが、次は必ず成功させる。

明日からリハビリだ。

退院したらいつでも実行出来る。

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生活の大半を死について考え、廃人の様な毎日を過ごす中、ある日一人の女性が病室に姿を現わす。

その女性はリハビリを終え、私が退院してからも、自宅に訪れた。

退院後は手続きを行い障がい者の通所施設に通う様になった。

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“作業”という名の仕事に取り組む事で、気持ちを切り替え新たな生活を始めた。

しかし通い始めは、奇声を発する者、自傷行為を繰り返す者などの喧騒が支配する施設に翻弄され、気持ちが滅入っていた。

そんな中で知り合った杖をついた親友。

障がいは違えど似た様な境遇である彼との出会いが、いつしか心の支えとなっていた。

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それから間も無く、女性は仕事場にも現れるようになった。

彼女と顔を合わせる度、施設へ通う度に少しずつ気持ちが前向きになり、希望にも似た感情が自分の中に芽生えて行く。

その時には既に自殺の選択肢は捨て去っていた。

この身体で生きて行こう。

すべてを背負い、生をまっとうするのだ。

そう決意し、独り厳粛な気持ちで一歩を踏み出そうとしていた。

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、、

、、、

、、、、

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障がい者施設の面談室で、向かい側に座っている女性を改めて見る。

何かを思い出しつつある私の様子をさっしてか、彼女は再び口を開いた。

「思い出しました?」

???、、、、?!

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業務上横領の濡れ衣を着せられる前、会社での私への評価がピークを迎えていた時期、取引先の中小企業との契約を強引に打ち切った事があった。

契約の解除は、取引先の社長の娘に手を出し関係を持った事が原因だった。

その事を理由に取引先の社長から取引内容の交渉を迫られていたからだ。

そんな女性は何人もいた。

権力を利用し、都合の悪いことは権力で片付ける。

罪を重ねる人間は、罪を罪とも思わずそれに関わった人々の顔など覚えてもいないのだ。

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ただ、、、、思い出してしまった。

目の前にいる女は、紛れもなく私が弄び、その家族の仕事、生活、人生までも奪ったその女性だった。

そして夢で最初に見た声もなくニタリと笑う誰かも、踏切で私が後頭部を打ち朦朧とした意識で見たニヤケた顔も彼女のそれであった。

「やっと思い出したのね。

ずっと側にいるからね、、、、死ぬまで。」

無表情で話す彼女は、私に希望と幸せを与えに来たのではなかった。

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贖罪としての姿勢で女性と向き合おうとする。

しかし、私の今の状態をもってしても未だ復讐を完遂していない様子の彼女を見ていると、恐怖という感覚が私自身をいつ崩壊させてもおかしくはなかった。

ブルブルと震えながら面談室から出る。

背後から彼女の声がする

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「これからよ。

貴方が苦しむのは。

目を逸らしてきた現実に苛まれ、浅はかな決意と葛藤で自らを欺きなさい。

再び現実から逃避する度私が連れ戻し、絶望を与え続けるわ!あはははっ!」

力一杯レバーを前に倒し、電動車椅子を前進させるがスピードが上がることはなく、ゆっくりと女から遠ざかっていく。

女はいつまでも笑っていた。

Concrete
コメント怖い
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@月舟
コメント、評価までありがとうございます。
月舟さんの作品へのコメントをしていなく申し訳御座いません。
みえるふりは創作とは思えない現実感を感じました。
非常に興味深く拝見させていております。
今後とも宜しくお願い致します。

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